タイガース背番号物語【15】
御園生崇男⇒安居玉一⇒御園生崇男⇒西山和良⇒ベルトイア⇒権藤正利⇒谷村智啓⇒赤松一朗⇒上田二朗⇒稲葉光雄⇒嶋田章弘⇒鶴見信彦⇒湯舟敏郎⇒藤田太陽(太陽)
結構イケてる背番号ですね。御園生さんから始まって、渋いエエ投手が背負ったバックナンバー
権藤さんは野球を見始めた頃のローテーション投手でした。三振の山を築く江夏さんと、晩年とはいえ投球術で点をやらない村山さんが左右のエース。次が権藤さんと若生さん。【大したことないようで負けない】という印象でした。権藤さんはベイスターズの前身、洋松ロビンスに入団、東映フライヤーズを経てタイガースにやってきます。【権藤】というと、ベイスターズの優勝監督、10.19バファローズの投手コーチ、亡くなられた近藤貞雄さんが『権藤を潰してしまい、投手を分業制にしなければいけないと思った』と言った権藤さん~権藤博さんが有名です。が、こちらの権藤さんは細く長く21シーズン。ホエールズ時代の【足掛け3年28連敗】という記録にも腐らず投げ続けました。真弓さんや若菜さん、久保コーチなどを輩出し、今では誰もが知っている高校野球界の名門・柳川高校(旧・柳川商業)から初めてプロ入りした選手です。
谷村さんは大して球速も無く、つまらなそうなのらりくらりとした投げ方だったのですが、ツボにハマると『何でこんなん打たれへんの?』という投手だった記憶があります。ブレーブスに移籍してもその味は変わらず、谷間でポッと出てきて味を出していました。
湯舟も面倒くさそうに投げていた気がします。92年V争いではマイクと二人左のエース格で、ノーヒットノーランも記録しています。もう少し投手が楽を出来る時代に投げさせてやりたかったなー
御園生崇男(投手):285試合登板/108完投/17完封勝利/127勝70敗/勝率.645/投球回数1708/477奪三振/防御率2.39/最高勝率(1937秋:1.00/1938春:.909/1947:.750)
御園生崇男(打者):831試合/2062打数/506安打/67二塁打/18三塁打/5本塁打/247打点/87盗塁/39犠打/258四球/147三振/打率.245
権藤正利:719試合登板/84完投/20完封勝利/117勝154敗/勝率.432/投球回数2513/1943奪三振/防御率2.78/最優秀防御率(1967:1.40)/新人王(1953:セ)
谷村智啓(智博):393試合登板/43完投/9完封勝利/72勝82敗/5セーブ/13セーブポイント/勝率.468/投球回数1489/392与四球/56与死球/512奪三振/防御率4.12
湯舟敏郎:257試合登板/25完投/10完封勝利/60勝79敗/3セーブ/8セーブポイント/勝率.432/投球回数1182.1/502与四球/929奪三振/防御率3.99/ノーヒットノーラン(1992. 6.14)
「タイガース背番号物語」カテゴリの記事
- タイガース背番号物語【58】【59】【60】~最終回(2006.08.27)
- タイガース背番号物語【55】【56】【57】(2006.08.15)
- タイガース背番号物語【52】【53】【54】(2006.08.06)
- タイガース背番号物語【50】【51】(2006.07.30)
- タイガース背番号物語【48】【49】(2006.07.23)
The comments to this entry are closed.
Comments
嶋田章弘・・・
やっと「当たった!」と思ったのも束の間(T_T)
本気でこいつは20勝投手になれると思ってました。
今の阪神に入ってたら・・・
>課長さん
>>湯舟も面倒くさそうに投げていた気がします。
>あれはね、面倒くさかったんですわ多分(^^;
爆笑、同意!
Posted by: とり | February 19, 2006 01:30 AM
初めまして。阪神と背番号でこちらの記事にたどり着きました。
お友達が背番号39番のサインを見つけたそうですが古いもののようで誰のものかわかりません。よろしければ見ていただけないでしょうか?
http://plaza.rakuten.co.jp/shimashima555/diary/
こちらの記事です。 すみませんがよろしくお願いいたします。
Posted by: ジェニファー | January 27, 2006 12:36 AM
おはようございます
スポーツクラブでメニュー追加を言い渡され、全身筋肉痛であります
アキ(嶋田弟)はカープと競合ですね。で、カープは杉本を指名しております。私も『あと少しでノーヒットノーラン』のゲームは覚えています。結局、白星すらつかずに故障。野手に転向しましたが活躍できずにバファローズへ移籍して引退してしまいました。
育成方針というのか、育成するのが面倒になったんやないですかね?
マイクを最後に、高卒投手がパッとせずに消えていく時期が続きます。いわゆる【すぐに使える5勝7敗路線】の始まりですな。
それだけに、井川がローテ投手になってくれた時はホンマに嬉しかったんですわ。
Posted by: シルク | January 14, 2006 11:33 AM
阪神の15番と言えば、ぼくは谷村投手ですね、何となくですけど。(^_^;)
ところで上田二朗投手も15番つけてたんですか。16番のイメージしかないんですけど。
かちょ
わたくし安仁屋宗八投手と誕生日いっしょです。(^_^;) 他には思い当たる野球選手いないんだよなぁ。翌日だった清原といっしょなんですけど。
Posted by: ぼぶ@シカゴ | January 14, 2006 08:43 AM
追記です(^^
>>湯舟も面倒くさそうに投げていた気がします。
あれはね、面倒くさかったんですわ多分(^^;
Posted by: スチャラカ課長 | January 14, 2006 08:20 AM
権藤さんねえ。ロビンス時代に28連敗された方ですな(^^;
しかし、28連敗て、その間どんな心境なんでしょ?
谷村さんは当初18でしたが、安仁屋宗八のトレードで15に変えたんですな。S51年、江本・古沢・上田・谷村・安仁屋と2桁勝利が5人出た、あのあたりが最盛期ですかね。
赤松投手、極めて残念でした(--
上田ジロー。ファンでした(^^ 南海でブレイザーに干され、出戻りで15番付けたんですな。往年の切れも勢いもありませんでしたが、ヘロヘロながら神宮のヤクルト戦(だったと思う)で勝利投手になったんですよね。
嶋田弟。ドラフトで広島と競合したんでしたっけ?んで、敗れた広島は同じ箕島の杉本を指名した筈。圧巻は85年9月の甲子園での中日戦ですな。あと少しでノーヒットノーラン。最後は岡田のサヨナラ2ランでした。
しかし、この年の嶋田弟といい、翌年の遠山といい、遡って源五郎丸といい、今のタイガースの育成方針が当時にあれば、彼らも故障せずにすんだかもしれませんな。
Posted by: スチャラカ課長 | January 14, 2006 08:19 AM