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タイガース背番号物語【21】

小島利男⇒比留木虎雄⇒松本貞一⇒大橋棣⇒塚本博睦⇒森下博⇒谷田比呂美⇒金田正泰⇒河野博⇒弘瀬昌彦⇒横山光次⇒滝川博己⇒山尾孝雄⇒早乙女豊⇒米田哲也⇒益山性旭⇒山内新一⇒遠山昭治⇒関川浩一⇒コールズ⇒クリーク⇒山村宏樹⇒吉野誠

弘瀬投手はタイガースへ入団したものの1勝しただけで退団。一度ノンプロへ戻ってカープへ再度入団しています。昭和30年代のカープが苦しかった時期に8年間在籍、一度も勝ち越しはありませんでしたが、カープ入団後333試合に登板して44勝61敗、完封も4試合記録しています。昭和40年代以降、江本さん、鹿取さん、中西、津野・球児など多くの投手を輩出する高知商業ですが、プロで初めて実績を残した投手が弘瀬投手です。

米田さんがタイガースへ来たのは選手生活の晩年。ブレーブスの若返りによって出番が減り、移籍を決意したと記憶しています。75年のシーズン途中に移籍したのは、確か連続年度2ケタ勝利がかかっていたからだったでしょうか?
ほとんどの記録は金やんこと金田正一投手に次ぐ2位(勝利数350、敗戦数285、イニング数5,130、与四球5,130、奪三振3,388)ですが、通算登板試合数949は金田投手を5試合超えて1位です(他に、被安打4561も金田投手を抜いて1位)。打者としてもなかなか優秀で、33本塁打を記録しています。

益山さんは選手としての活躍はほとんどありませんでしたが、故・パンチョ伊東(伊東一雄・元パリーグ広報部長)さんのドラフト司会時代のエピソードで、『益山性旭の性はセックスの性』というのが必ず出てきます(^_^)

山内新一さん。この方はどこのチームのファンとしていつ頃見ていたかで、印象(評価)がすごく変わってくるのではないでしょうか? ジャイアンツ時代=『V9時代の後半に投げていたけど、あまりパッとしない投手だった』 南海ホークスファン=南海ホークス最後の優勝の功労者の一人、晩年は【トリプル山内】と背番号だけの写真を撮られていた タイガースファン=連続試合先発登板記録にしがみついていた…色々あると思いますが、野村監督が南海ホークス時代に再生を手がけた投手としては江本さんの113勝、松原(福士)さんの91勝を超える出世頭でしょう。73年と76年に20勝を記録していますが、最多勝投手にはなれませんでした(73年=成田文男21勝・76年=山田久志26勝)。

遠山がドラフト1位に指名されたのは85年Vの年。クジで清原を外して、外れ1位指名でした。1年目こそ8勝してまずまずの成績でしたが、その後はサッパリでオリオンズへトレード。オリオンズ・マリーンズでの後年は打者に転向しましたが、97年オフに自由契約。テストを受けてタイガースへ再度入団して、左のワンポイントで最後の最後に働き場所を見つけました。頼りになる先発投手がおらず、来る日も来る日も伊藤敦→葛西→遠山だった暗黒時代晩年です。現在は育成担当コーチ。

捕手をやったり外野をやったり中途半端でレギュラーになりきれなかった関川。97年のオフに久慈・関川⇔大豊・矢野のトレードでドラゴンズへ移籍。125試合に出場して.285の成績でレギュラーを確保します。99年は.330の好打率でベストナインに選出され、チームの優勝にも貢献します。その後、ヒジのケガとチームの若返り方針で出番が減り、04年はついにノーヒット。無償トレードで新チーム・イーグルスへ移籍。選手層の薄さもあって、101試合出場・.287の成績を残しています。もう長くない現役生活、最後の最後にタイガース魂を!

吉野、もうイケるやろ? 苦難を乗り越えて頑張ってきた先輩の背番号や、2003年の輝きを見せてくれ!

☆米田哲也:949試合登板(歴代1位)/262完投(歴代8位)/64完封勝利(歴代7位)/350勝(歴代2位)285敗(歴代2位)/勝率.551/投球回数5130(歴代2位)/4561被安打(歴代1位)/370被本塁打(歴代7位)/1480与四球(歴代2位)/143与死球(歴代3位)/3388奪三振(歴代2位)/1659自責点/防御率2.91/最優秀防御率(1973:パ:2.47)/最多勝利(1966:パ:25)/最多奪三振(1962:パ:231)/MVP(1968:パ)
☆山内新一:431試合登板/118完投/18完封勝利/143勝142敗/勝率.502/投球回数2459/252被本塁打/693与四球/66与死球/774奪三振/防御率3.74
☆遠山昭治(奨志):393試合登板/16勝22敗5S/3完投/2完封勝利/投球回数480.1/奪三振283/防御率4.38/カムバック賞:セ99

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Comments

昔はスポーツ医学もクソもなかったにもかかわらず、エースと呼ばれる投手は毎日のように登板し、投手寿命を縮めていったわけで
稲尾さんだって、故障しなかったらどれだけ勝てたか

そう考えると、金やんと米田さんってホンマにホンマに身体が丈夫だったんでしょうね

益山…まったく記憶がありません(^^ゞ

Posted by: シルク@仕事終わり | February 21, 2006 09:52 PM

そない考えると、この21番も味のある選手が多いですな(^^

仰る通り米田さんは当時の上田監督とそりが合わなくなったんと違いましたっけ?シーズン途中の移籍にもかかわらず8勝をあげたのは流石ですな(^^

ところが、そうこうしているうちにヨッサンともそりが合わなくなった。んで、西本さんのいる近鉄へ移って引退。

引退して関テレで解説してる時にヨッさんと和解♪ 第2次吉田内閣の投手コーチとして迎え入れられ、見事日本一(^^ ところが翌年またもそりが合わなくなって、訣別(^^; 人間関係とはオモロイもんですな。

益山といえば、ルーキーの年に後楽園で張本・王を連続三振に取ったのが思い出されますな。っちゅうか、思い出されるのはそのシーンのみ(^^;

Posted by: スチャラカ課長 | February 21, 2006 06:42 PM

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