タイガース背番号物語【31】
堀尾文人⇒玉置玉一⇒森田忠勇⇒河西俊雄⇒戸梶正夫⇒滝川博己⇒平山英雄⇒カークランド⇒掛布雅之⇒萩原誠⇒広沢克実⇒濱中おさむ⇒林威助
私たちの年代ですと、『子供の頃、最初に意識した外国人選手はカークランドとロッテのアルトマン&ロペス』という方が多いのではないでしょうか?
爪楊枝を加えて打席に入る姿(覚えていないのですが…)で人気のあった外国人選手・カークランド。ややオールオアナッシング的な部分(通算打率.246)もありましたが、在籍6年間で126本塁打を記録しています。
掛布さんは74年のドラフト6位で習志野高校からタイガースに入団。実質的にはテスト入団だったそうです。
が、キャンプでの練習が認められて一軍オープン戦に抜擢。ただし、藤田平さんが結婚式で欠場するため員数合わせみたいな形で呼ばれて代役出場。そこで4-4の大活躍してそのまま一軍定着。ワンチャンスを逃さないのも実力です。ここで結果を出していなかったら、日本を代表する左打者・掛布雅之は現れなかったかもしれません。鳥谷がWBC壮行試合にタイガース代表で選ばれて欠場した時、下から呼ばれた前田大和に若き日の掛布さんを思い出したオッサンも何人かはいるのではないでしょうか?
翌年からレギュラーとなり、76年(だったかな?)には【GO GO 掛布】などというレコードまで発売されました(関西以外でも流れていたのかな?)
オールスターゲームに強くて、3発打った年が2度(78年と81年)ありました。タイガースはVから遠ざかっていて、【優勝を知らない子供たち】というパロディー曲もありましたが、掛布さんのホームランで明るい気分になりました。
ただ、ケガが多かったのと、多くの方が言われているようにホームランを求められて本来の打撃スタイルを見失ったのか成績は徐々に低下(と言っても、十分にレギュラーは務まる成績ですが)。極めつけがドラゴンズ戦でぶつけられた死球。これで掛布さんは終わってしまいました。
打撃のことばかり書きましたが、ライン際ギリギリの打球に飛びついて一塁へ送球する掛布さんはカッコよかったなー
掛布さん、タイガースに打撃コーチとして戻ってきてもらえませんか?
余談ですが、掛布さんの母校である習志野高校は名球界会員の谷沢さん、現役で5年連続規定打席3割をクリアするマリーンズの福浦と、優れた左打者を輩出しています。左打者が育つ土壌のようなものがあるのでしょうか?
☆ウィリー・カークランド:703試合/2273打数559安打/83二塁打/1三塁打/126本塁打/304打点/190四球/14死球/504三振/打率.246
☆掛布雅之:1625試合/5673打数1656安打/250二塁打/31三塁打/349本塁打(歴代20位)/1019打点(歴代25位)/49盗塁/48犠飛/124併殺打/819四球(歴代28位)/29死球/897三振/打率.292:本塁打王1979:48/1982:35/1984:37)/打点王(1982:95)/ 最多出塁数(1981:243/1982:232),ベストナイン(1976:セ三/1977:セ三/1978:セ三/1979:セ三/1981:セ三/1982:セ三/1985:セ三),ゴールデングラブ(1978:セ三/1979:セ三/1981:セ三/1982:セ三/1983:セ三/1985:セ三)
球団の方、この背番号をもっと大切にして下さい
掛布さんのホームランでファインプレーでいくつ笑顔が生まれたか、わかってますか?
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Comments
大姐御ちゃんも登場で(^^
面子も4人揃いましたし、4ヶ国語麻雀でもしましょう(^^;
時にシルクはん、今更ながらですが。。。
>>私たちの年代ですと、『子供の頃、最初に意識した外国人選手はカークランドとロッテのアルトマン&ロペス』という方が多いのではないでしょうか?
またそういう嘘をつく(^^;
シルクはんの場合は【スタルヒン】とか【カイザー田中】とか【呉昌征】でしょう(((^^;
Posted by: スチャラカ次長 | May 14, 2006 09:52 AM
おはようございます
夕べはniftyのサーバーが不調でイライラしとりました
31番をつけた選手の事をどうこう言うつもりはありませんでして
わかりやすく言えば【ジャイアンツの18】【ドラゴンズの20】と同じくらいに考えてちょーだいよ
って事でして
実績を残した若い野手が『31番下さい』『アホ、1度3割打っただけで付けられる番号やないねん。来年3割30発90打点のどれかをクリアしたら考えたろ』って番号にして欲しいのであります
林は左で一発も打てる打者だし、まだまだ若いし、後継者として文句なし
10年後も【31】を背負ってチームを引っ張っているような打者に成長してもらいたいです
Posted by: シルク | May 14, 2006 07:30 AM
この話題だけで、一晩飲めそうですね(^^)
>>球団の方、この背番号をもっと大切にして下さい
こんな事言ったら怒られるかもしれんけど
広沢の「31」は似合ってたと思う。
濱中は・・・やめとこ(^^;
林ちゃん、大事に大事に引退するまでつけててね。
掛布さんについては、やめ方に忸怩たる思いがありましたが
そのキモチもだんだんと薄らいできております。
中日戦の死球・・・その瞬間はナゴヤ球場の外でラジオを聞いてました。
当時のナゴヤ球場、タイガース戦はプラチナチケットでした。
Posted by: マル | May 14, 2006 02:24 AM
これはこれはご両人
田淵さんや江夏さんは小学生の頃のヒーロー、野球を詳しく知るようになってからのヒーローは間違いなく掛布さんでして、思い入れもたくさんございます
私たちの世代は【引退試合】というと『巨人軍は永遠に不滅です!』『長嶋ーーーーー』『長嶋ーーーありがとう!』『長嶋ーーー辞めんとってくれーーー』『長嶋ーーーーー』『長嶋ーーーー』『長嶋ーーー』『長嶋ーー』『長嶋ー』・・・・・・というシーンだと思い込んで育ちました
タイガースは掛布さんに限らず、『辞めるヤツに何でゼニ使わなアカンねん』みたいな部分がありましたからね
それに、藤村さん・ヨッさん・村山さん…悔いを残さず華々しく引退された方っていませんよね(^_^;;;
背番号物語の参考としている【阪神タイガース70年史】の中に、真弓さんと掛布さんの対談が掲載されているのですが、『もう少しキレイに辞めさせて欲しいよな』という言葉で対談を締めくくっております
次長
ナベQって、相手にとって超ウルトラ美味しい場面で一発喰らうのが好きなようですね
実力と成績の割に評価が高くないのもそんな部分があるのでしょうか?
Posted by: シルク@休日出勤 | May 13, 2006 03:36 PM
>>あんなもん引退セレモニーって言えません。
相変わらず厳しいお言葉(^^;
でも、場内に【GOGO掛布】が流れる中、掛布が花束持って場内を駆け足で一周。時々止まってスタンドに深々とお辞儀をするあの光景はよかったですわ。
内外からボロクソに叩かれて『タイガースなんか、なんじゃい』と掛布も思うてたそうですな。それがあの試合の日、グランドに出てみたらライトスタンドに【掛布雅之 夢をありがとう】の横断幕が。『タイガースに居てよかった』と思いはったそうですな。
>>ま、掛布に限らず功労者晩年の扱いはほんとに酷かったですよ。
よくよく考えますと、あの年のクリーンアップ【バース・掛布・岡田】3人共が石もて追われるような辞め方なんですねえ。そういう意味では、その岡田が今監督をやってるというのは、まさに球団の体質が変わったという事でしょうか(^^;
Posted by: スチャラカ次長 | May 13, 2006 03:28 PM
ありゃ、次長さん(笑
管理人不在中、勝手に喋らせていただきますと
あんなもん引退セレモニーって言えません。
ま、掛布に限らず功労者晩年の扱いはほんとに酷かったですよ。
本人の問題もあるにしろ、暗黒時代の象徴ですわ。
あの頃からすると阪神球団の体質もかなり変わりましたね
確かに世界記録ではあるけど、例の金本セレモニーの豪華さには吃驚しました(;^_^A
Posted by: とり | May 13, 2006 02:21 PM
おっと、とりさん。
>>引退試合さえなく去っていった掛布の姿を忘れられません。
引退試合はありませんでしたが、引退セレモニーがありましたがな。
甲子園でのヤクルト戦。ダブルヘッダーでしたね。
私、見に行きました(^^
私も掛布には強い思い入れがあります。
私が本格的に野球を見出したS49年に入団してきて。
当初は線の細い『大丈夫かいな』っちゅう感じでしたが。
年々成長し、3年目のS51年に大ブレイク。
【掛布コール】よかったですな。か~け~ふ、か~け~ふ
カープの【コージコール】のパクリと言う説もありますが(^^;
S60年の日本シリーズ第6戦、ナベQからダメ押しのホームランを打って。
3塁を回った時に右腕(左腕?)を掲げて人差し指を伸ばし【日本一やっ】のポーズをしたのが印象的ですわ。
Posted by: スチャラカ次長 | May 13, 2006 01:52 PM
ご存じ「掛布命」の男です(笑
「31」は私にとっては数字以上の意味があります。
私の青春時代(というほど綺麗なものではないけど)は全て掛布雅之とともにありました。
心ないファンやオーナーからの罵詈雑言や、寂しく、引退試合さえなく去っていった掛布の姿を忘れられません。
決して監督向きではないだろうけど
なんとかもう一度、縦縞のユニフォームを着て欲しい
そして、掛布雅之の本当の笑顔を見たい。
それが私の切なる願いです。
カークランド
彼が三振して讀賣のV9が決まった試合をスーパーの電気売場で見ていました・・・
Posted by: とり | May 13, 2006 01:29 PM