訃報・栽弘義さん死去
沖縄県の高校野球発展に尽力された、沖縄水産高校監督の栽弘義(さい・ひろよし)さんが8日午前、お亡くなりになられました。
こんなことを言うとエラく年寄りみたいに聞こえますが、私が小学生低学年の頃、沖縄はまだアメリカ領でした。復帰したのは1972年、小学校5年生の時です。
この年、センバツは日大三vs日大桜丘の日大対決、故・ジャンボ仲根さんの力投で桜丘が初優勝。
選手権は名将・小島監督率いる津久見高校が柳井高校を降して選手権初優勝。
沖縄県からは名護高校が初めての甲子園にやってきましたが、初戦で敗退しています。
68年の選手権50回記念大会で興南高校がベスト4まで進出する快進撃はあったものの、まだアメリカの統治下にあった沖縄県の高校は【甲子園に行くことが目標】という時代でした。
そんな沖縄県の高校野球を変えたのが栽監督でした。
甲子園に行くだけやない、勝とう、優勝しよう と。
豊見城高校の監督として初めて臨んだ75年のセンバツでは赤嶺投手の好投もあって初出場でベスト8へ進出、ジャイアンツの原監督が主軸を打っていた東海大相模に惜しくも敗れました。
その後、指揮を執った沖縄水産高校では90年・91年と2年続けて選手権準優勝。
沖縄県の高校野球発展に尽力されました。
現役ではホークスの新垣投手、OBではブレーブス・タイガースで活躍した石嶺選手が主な教え子です。
天国で泡盛飲みながら、のんびりと野球を楽しんで下さい。
ご冥福をお祈りします。
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Comments
企業は定年延長や再雇用で従業員が65才まで働ける道を用意しなくてはならない時代。つまり、現役世代なわけですからね。
甲子園で勝てる高校が出てくると、そこの卒業生はプロ以外にも進学やノンプロ入りで高校卒業後も野球を続ける機会が出来てくる。そこで、上のレベルで野球を続けた選手が地元へ戻ってきて指導者として活躍する。そうやって地域のレベルは上がっていくものだと思います(都会ではないですからね)
そういった意味でも、栽監督の功績は大きいと思います。
出来ることなら、高校野球の解説席に座って頂いて、本土復帰前の野球のお話などを聞かせていただきたかったですね。
私が初めて沖縄を意識したのは、南沙織のサラサラの長い髪でした(^^;;;
小学校4年生、沖縄が本土復帰する前年の事です。
野球で言えば、ブレーブスの山田さんが王さんに日本シリーズでサヨナラホームランを打たれた年です。
Posted by: シルク@仕事中 | May 09, 2007 at 12:49 PM
まだ65歳ですからね。まだ早いやないですか。
ご冥福をお祈りせずにはいられません。
全然関係ないですけど、私の記憶している最古の沖縄は、
当時の米軍の毒ガス撤去であります。
トレーラーで運んでいるのをTVで見ましてね、
子供心に【怖いなー】と思うたもんです。
Posted by: スチャラカ次長 | May 08, 2007 at 09:47 PM