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プレイバック~1977.8.20 15歳エース、決勝のマウンドへ

今年の選抜に【希望枠】で初出場し、一気に決勝まで勝ち進んだ大垣日大。
惜しくも準優勝に終わりましたが、勝ち上がった自信は大きく、選手権も岐阜県予選を勝ち進み、甲子園に駒を進めてきました。
大垣日大の監督は阪口慶三さん。東邦高校で監督として24度甲子園に出場し、優勝1回・準優勝2回の記録を残した名監督です。
教え子は、ジャイアンツの正捕手だった山倉さん、ドラゴンズで中堅投手として活躍した山田喜久夫、一昨日タイガースが煮え湯を飲まされたドラゴンズの朝倉
バッテリーの育成に長けているという印象があります

その阪口監督が初めて進出した甲子園の決勝戦がこのゲームです

1977年8月20日 甲子園球場

劇的幕切れ【優勝アーチ】

東邦    010 000 000 0 |1
東洋大姫路 000 100 000 3 |4

東邦      東洋大姫路
(左)浅井    (二)田村
(遊)佐藤    (中)松田
(捕)大矢    (投)松本
(三)森田    (捕)安井 
(右)立松    (三)春名
(一)井上    (左)平石
(中)古川    (遊)金沢
(二)木戸    (一)山本
(投)坂本    (右)菰方

すばらしい決勝戦だった。東邦・坂本、東洋大姫路・松本と柔と剛の対決で、試合は1-1のまま延長へ。十回、東邦が二死一塁の好機を逃した後、東洋大姫路は一死後田村が1-1からの高めのカーブを左前へ巧打。松田がバントで送り松本に期待をつないだ。しかし、東邦ベンチは松本を敬遠して安井に勝負を挑んだ。
いくらか疲れの見え始めた坂本は、きわどいコースを攻めるのだが決まらず、カウントは1-3。続く5球目、外角高めに直球を配すと、安井は待ち構えたような打法で強振。白球は右翼ラッキーゾーンへ飛び込んだ。劇的なサヨナラ3点本塁打である。豪快な一撃は、坂本の158球目の投球をたたいたものだった。
決勝戦の雰囲気は、お互いに重苦しいものである。準決勝まで無失策を誇った東邦が1回、田村の遊ゴロを佐藤が一塁へ悪送球したり、制球のよい坂本が松田、松本に連続四球を与え、いきなり無死満塁のピンチを招いたのもそれである。東洋大姫路にしてみれば願ってもない好機が早く来たのに、打とう打とうとの意識が強く、硬さもあって強攻策が失敗。
こうしたピンチを脱出した東邦は2回、立松が遊撃強襲安打して二盗、井上のバントで三塁へ進み、古川が一塁手の左を破って先制点を奪った。
一方の東洋大姫路は、一見平凡な坂本の投球に、いつでも打てるという意識過剰からか、高めのボールに手を出したり、大振りが目立った。だが4回、平石が左中間三塁打し、金沢四球の一死一・三塁で打者山本の四球目に三塁走者の離塁が大きいのを見た捕手からの送球を三塁手が後ろへそらす間に、平石が還り同点、試合は白熱してきた。
松本の投球にも力強さが加わり、坂本もようやく自己のペースを掴んで譲らない。東邦に惜しかったのは6回。森田が中前安打、立松が三遊間を破り、井上が四球を選んで無死満塁。しかし、四連投にもめげず松本の左腕はピンチになると燃える。古川を三ゴロ、木戸の1-3からのスクイズを投飛にうちとり、併殺に退けた。並みの投手ではない。しかも、内角ギリギリに食い込む速球は威力がある。東邦にとって惜しまれるのはこのスクイズ。カウント2-3になってからでも遅くなかったと思う。
東洋大姫路がこの大ピンチを脱してからは一進一退のこう着状態。結局、安井の一発が勝負を分けたわけだが、古豪東邦は東海の雄だけに、よく鍛えられていた。
そのユニフォームは純白ですがすがしく、プレーもきびきびしていて、いかにも高校生らしかった。

☆朝日新聞縮刷版より抜粋しました☆

東邦の投手・坂本とは、バンビ坂本です。この記事内には【バンビ】という言葉は見当たらないところを見ると、大会後についた名称なのでしょうか?
坂本佳一・15歳
学制改革後、決勝のマウンドに登ったエースとしては、この時点では最年少だそうです
サヨナラホームランを打たれた後も涙は無く、白い歯がこぼれていました
甲子園のマウンドはこの年だけとなってしまいましたが、30年経った今も【バンビ坂本】の名前は、多くの高校野球ファンの脳裏に残っています

また、安井選手のサヨナラホームラン、決勝戦では初めてのサヨナラホームランでした

東洋大姫路の松本投手は阪急ブレーブスに入団しますが、思ったほどの活躍は出来ませんでした。
他には、星陵・小松投手、智弁学園・山口投手などがプロへ進みます。小松さんは星野さんの後のドラゴンズのエースとして【20】を背負いましたね
プロには進まなかったけど、今治西の三谷投手は早稲田でエースとして活躍しました(うろ覚え)

もう30年前ですねー(遠い目)

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Comments

高津は高校時代(県広島工)も誰か(^_^;)の陰に隠れていたみたいですね。
そういう意味で、松坂世代の明徳義塾で寺本四郎の陰に隠れていた高橋投手にも期待していたんですが…。いまは藤井寺…もとい世田谷で居酒屋をやっているようです。

Posted by: ヒデ | August 21, 2007 at 12:46 PM

確かに、桑田を抜くのは無理ですね(^_^;;;
タイ止まり

サッシーは前の年のようです

本文で書き忘れましたが、東洋大姫路・松本の控え投手としてひっそりと投げていたサイドスロー投手は亜大へ進学して大ブレイク。通算35勝は東都通算勝利記録4位タイ。スワローズで先発にリリーフに細く長く頑張った宮本賢治投手ですな。

○○の影に隠れて目立たなかったサイドスロー…って、スワローズにとっては狙い目かもしれませんね(小池の影に隠れて目立たなかった高津)

Posted by: シルク | August 20, 2007 at 10:42 PM

最年少記録は桑田ですか。確か4月1日生まれでしたよね。
決勝の日取りが早くならない限りは抜けそうもないですね(^_^;)。

ちなみにあの年の東洋姫×東邦の決勝は家族旅行のため見れませんでした(^_^;)。
海星・サッシーもこの年でしたっけ?

Posted by: ヒデ | August 19, 2007 at 11:36 PM

妃垣俊吾さん
今となっては残像すらおぼろげですが、松本さんはイーグルスの田中マー君タイプの馬力がありそうな印象がありました。というか、東洋大姫路のメンバーが高校生にしてはオッサンっぽかったイメージがあります。

まあ、バンビと比べたらみなオッサンやろけどね(^_^;;;

Posted by: シルク | August 19, 2007 at 10:19 PM

懐かしいですね。もう30年ですか…。松本さんは今でもオリックスの裏方さんとして頑張っておられるとか。素晴らしい投手でしたね。

Posted by: 妃垣俊吾 | August 19, 2007 at 02:38 AM

新井ほどの選手が金銭では体面悪いから誰か適当にってなもんでしょ
谷(バファローズ⇒ジャイアンツ)の交換相手が『あんた、誰?』なのと同じように

三浦投手、引退後はゴルファー転向と言っていたような気がしますが、今はどうしているのか
藤井寺あたりでスナックでもやってるんですかね

Posted by: シルク@仕事中 | August 18, 2007 at 01:04 PM

ぼぶさん。
お誕生日おめでとうございます(^^
お祝いに、串カツおごって下さい(^^;;;

>>玉三郎とか言われてませんでしたっけ

おおっ、球界の玉三郎!
確か松本がドラ1で、三浦がドラ3。MMコンビなんて言われてましたが。
三浦は1年目に初登板初勝利を飾ってるはずです(うろ覚え)
肩を痛めたんやなかったですかねえ。

全然関係ないですが。漫画【1・2のアッホ】てあったやないですか。
あの中で【坂東玉触郎(タマさわろう)】というのが出てました(^^;
更に、その兄貴の【坂東玉握郎(タマにぎろう)】というのも居ましたな(^^;;;

Posted by: スチャラカ次長 | August 18, 2007 at 11:54 AM

0223.先輩

>>「また日本シリーズで山口投手に痛い目に遭うのか」

なるほどねー。
カープは75年に山口高志にやられましたからね。
【今度は山口は山口でも、山口哲治かいな】てなもんですな(^^

シルクはん

>>山口さんはトレードでホークスへ移籍するのですが、交換相手は新井さん。

あのトレードは何やったんですかね一体。
当時の山口投手にホークスはホンマに期待したんでしょうかね?
たぶん、ホークスにしてみたら【高額選手の整理】やったんでしょうね。
大昔、ライオンズが豊田・高倉・田中と主力を放出したようにですな。

Posted by: スチャラカ次長 | August 18, 2007 at 11:46 AM

0223さん
一線に出た時のセンセーショナル度合いでは、山口さんがナンバーワンかもしれませんね(小松さんの剛速球も目立ちましたが、少なくとも関西では)
勇者・ブレーブス相手にプレーオフ好投で『山口、それ誰やねん?』ってな具合に盛り上がりました。西本さんがバファローズを率いて初めての優勝だっただけに余計に。
長続きしなかったのは残念ですが。

山口さんはトレードでホークスへ移籍するのですが、交換相手は新井さん。佐々木にメドがたって、『これ以上上がり目が無いので…』と放出されたのですが、新井さんが本領を発揮するのはそこから先だったと思います。【バットにボールを当てて思ったところへ転がす能力】に関しては当時ナンバーワンだったでしょう。
打撃理論は後進の指導にも生かされていますね。

Posted by: シルク@仕事中 | August 18, 2007 at 10:47 AM

1年生で活躍したからその後も順調に…と行かないのが難しいところですな。今大会でも、京都外大西の本田投手は一昨年の方がキレのある球が来てましたな。

松本投手に関しては皆さんと同じ印象(^^;)ですが、あと挙げておられる投手の中では何と言っても山口投手。
ブレークした79年にはバファローズ初優勝に貢献し、「また日本シリーズで山口投手に痛い目に遭うのか」と恐れていたことを思い出します。

Posted by: 0223. | August 17, 2007 at 11:14 PM

まいどです

次長
私も、覚えてるのは足立さんが降板した後の『何しに来たん?登板』だけですわ

ぼぶさん
大会で活躍した投手のところで三浦投手を出そうかどうしようか迷ったんです。確か、最高で8勝くらいしたシーズンがあったと思います。ケガとかであまり長続きしなかった気がしますが

福島県代表は【磐城】【福島商】【学法石川】という時代が長かったけど、最近は聞いたことも無い私学が出てますね

ヒーローインタビューを勉強せーよ>杉山

Posted by: シルク@よー頑張った杉山 | August 17, 2007 at 09:24 PM

東洋大姫路の松本投手と言うとセットで覚えているのが福島商の三浦投手。こちらはプロでそこそこ活躍しましたよね。(玉三郎とか言われてませんでしたっけ)

Posted by: ぼぶ@誕生日なのに仕事中 | August 17, 2007 at 07:09 PM

甲子園球場前のダイエー甲子園店。
この当時は、まだ甲陽学院が建ってましてね。
出場校がグランドを借りてよく練習してたんですが。
そこで、バンビ坂本を見ました。
『わー、あれが坂本投手か』てなもんでしたわ(^^

かたや、松本投手。
【甲子園優勝投手はプロではアカン】の典型例になったのが残念です。
78年の日本シリーズ第7戦。
例の大杉選手の打球を巡っての長時間の中断直後にマウンドに上がって、
マニエルにホームランを打たれた位の印象しかプロではありません(^^;

Posted by: スチャラカ次長 | August 17, 2007 at 05:39 PM

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