朝起きて顔を洗っていたらオフクロが言った
『稲尾さん、亡くなりはったわ』
西鉄ライオンズ(西武ライオンズの前身)の大エースで、通算276勝を挙げた稲尾和久さんが、悪性腫瘍のため福岡市内の病院でお亡くなりになられました。70歳でした。
稲尾さんは1956年に大分県の別府緑ヶ丘高校から西鉄ライオンズに入団。初年度いきなり21勝6敗・防御率1.06(今も破られぬパリーグ記録)で最優秀防御率と新人王を獲得して日本一にも貢献。その後、63年まで8年連続20勝を挙げ、西鉄ライオンズのエースとして活躍されました。
この間、61年には42勝(プロ野球タイ記録)を記録。また、この年の78試合登板は球児に破られるまで日本記録でした。
しかし、『勝てるゲームはすべて稲尾』的登板過多がたたって64年は0勝。65・66年と2ケタ勝利を挙げますが、全盛期の力は戻らず、69年に1勝に終わると、現役を引退されました。
引退後はライオンズの監督に就任。しかし、豊田・高倉ら主力打者が移籍した上に黒い霧事件でローテーション投手がごっそり抜けてチームはボロボロに(そんな辛い状況でチャンスをつかんで一流選手になったのが東尾さんや真弓さんです)。74年までライオンズの監督を務めた後、ドラゴンズのコーチ、オリオンズ(現在のマリーンズ)の監督を務められました(稲尾ロッテって、自由奔放な雰囲気があって好きやったなー)
ABCの解説者を長く務められたので、関西の方にはおなじみな方かもしれません
球児が登板記録を更新した際、『色々言われるかもしれんが、今と昔は時代が違う、優勝争いの中で作った立派な記録だ、胸を張れ』と言葉をかけて下さった記憶があります(福間さんや菊地原は偉大な記録に敬意を表したか、抜かなかった事があったからでしょうか)
稲尾さんの時代に【リハビリ】【スポーツ医学】などが存在したら、稲尾さんの記録はどうなっていたでしょうか?
天国でのんびりと野球を楽しんでください
ご冥福をお祈り申し上げます
ここから追記
稲尾さんの通算成績(投手)
756試合登板(歴代7位)/276勝(歴代8位)137敗(歴代40位以下)39引分/179完投(歴代18位)/43完封勝利(歴代14位)/34無四球勝利(歴代12位)/勝率.668(2,000イニング以上で歴代2位)/投球回数3599(歴代10位)/719与四球(歴代40位以下)・73与死球(歴代40位以下)/2574奪三振(歴代8位)/793自責点(歴代40位以下)/防御率1.98(2,000イニング以上で歴代3位・戦後入団の選手では歴代1位)
記録マニアでなくても、長く野球を見てきて書籍をそれなりに読まれた方でしたらお分かりだと思いますが、投手の通算記録は【良くも悪くも金田・米田】という傾向があります。長く投げ続ければ、大投手でもそれなりに悪い記録(敗戦・四死球等)が積み重なるものです。【針の穴を通すコントロール】と言われ、通算無四球試合1・2位を記録している鈴木啓司さん・小山正明さんでも、通算与四球ランキングではそれぞれ9位と23位にランクインしています。
ところが、稲尾さんは投球回数・登板試合数の両方でベストテンにランクインしながら、自責点・与四球・与死球・敗戦の4項目で歴代40位以下です(金田正一さんも与死球ではランク外)。敗戦はともかく、自責点・与四球・与死球は投手の責任で積み重なる記録ですが、これが少なかったのは特筆に価するでしょう。
監督
1970年:130試合 43勝 78敗 9分勝率 .355 ゲーム差34.0最下位
1971年:130試合 38勝 84敗 8分勝率 .311 ゲーム差43.5最下位
1972年:130試合 47勝 80敗 3分勝率 .370 ゲーム差32.5最下位
エース・稲尾が消えただけでなく、黒い霧事件でローテーション投手がごっそり抜けた戦力低下はどうしようもありませんでした。初年度チーム打率.225 防御率4.12(当時と今は野球が違うので、今のチーム防御率に換算すると5点台でしょうね)…タイガース暗黒時代どころやない、勝てって言われても無理でしょ。 3年連続最下位で西鉄ライオンズはその歴史を閉じます。
海戦で戦艦が沈むとき、艦長は艦に殉ずるといいますが、稲尾さんもそんな気持ちだったのではないでしょうか。チームの歴史が途絶えても、OBの冠婚葬祭などの世話役には、先輩後輩問わず常に稲尾さんの名前があったと聞きます。
1973年:130試合 59勝 64敗 7分勝率 .480 シーズン通算4位
1974年:130試合 59勝 64敗 7分勝率 .480 シーズン通算4位
球団運営が太平洋クラブになり、ようやく最下位を脱出します。チーム経営は厳しいながら、若手選手をアメリカのマイナーに派遣(太平洋1期生の真弓さんも海外留学した選手です。ニックネームの【ジョー】は、アメリカのアナウンサーが【マユミ】とうまく言えないので代替につけられた名前なのは有名な話ですね)したりと、先を見据えた活動を起こすようになりました。ここで、稲尾さんはライオンズの監督を辞任され、現役時代から通算すると18年間にわたるライオンズ生活に別れを告げます。
監督としての通算成績は、84年から3年間のオリオンズ時代を含めて1040試合 431勝 545敗 64分 勝率 .442でした。
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