35年前のプロ野球~セリーグ<一部追記>
続いてセリーグです
記事は朝日新聞縮刷版1973.8月からの引用です
☆広島、2安打で勝つ☆
(神宮)観衆9,500
広 島 100 000 000|1
ヤクルト 000 000 00X|0
勝:佐伯10勝10敗/敗:渡辺孝2勝5敗/本塁打:山本一4号
広島東洋カープ
(遊) 三村
(右) 山本一
右 深沢
(中) 山本浩
(一) 衣笠
(左) ヒックス
走左 上垣内
(二) マクガイア
(三) 国貞
三 苑田
(捕) 水沼
(投) 佐伯
ヤクルトアトムズ
(遊) 東条
(右) ロペス
(中) 山下
(左) 若松
(二) 船田
(一) 中村
打 内田
(三) 城戸
(捕) 大矢
走 井上
捕 奥宮
(投) 渡辺孝
投 安田
広島はヤクルトの渡辺孝・安田に8回までわずか1安打に抑えられた。しかし、勝負は貧打の広島が勝つという皮肉な結果に終わった。その1安打は1回、1死から山本一が右へ本塁打したものだが、2回以降はピタリと沈黙。3回1死から登板した安田には8回まで3人ずつでかわされる元気のなさ。結局、広島の安打は1・9回の2本だけ。
ところがヤクルトも2回から8回まで毎回安打を佐伯に浴びせたもののあと一押しがない。6回の1死1・2塁、7回の1死1塁はいずれも併殺。8回の1死2塁もものにできなかった。安田の好投がもったいなかった。
☆11安打打って1点も取れなかった翌日に…別に意味はありません(^_^;;;
この時点でまだ優勝未経験の両チーム。Vメンバーが揃うのはもう少し先のようですね。アトムズのラインナップを見て『4番若松???ちゃうやろ』と思いましたが、【一番信頼できる打者】と考えれば、こうなるのでしょうか。大杉さんはまだパリーグ、マニエルはアメリカ…
ここから追記☆
この記事をご覧になった方から他の場所でコメントを頂きました。
この直前までアトムズの4番は荒川尭さんだったそうです。前日の試合前練習後に目の異常を訴えて欠場、この日病院で検査を受けた結果、全治2ヶ月の診断で戦列を離れる事になったようです。
後日復帰するものの、荒川さんの目は元に戻らず。早稲田大学で谷沢さん(ドラゴンズ⇒評論家)・小田さん(アトムズ⇒ファイターズ⇒ホークス⇒バファローズ、現在はスワローズのフロント?)とクリーンナップを組み、通算19本塁打(高橋由伸・田淵さん・岡田さんに次ぐ東六歴代4位)の打者は5年で引退する事になります。
リンク先は東京六大学歴代ベストナインなのですが、当時はワクワクする名前がズラッとならんでいますね。
☆ここまで追記
☆上田、中日かわす☆
(中日)観衆30,000
阪神 000 000 022|4
中日 100 001 000|2
勝:上田18勝5敗/敗:松本6勝7敗
阪神タイガース
(左) 望月
(右) 川藤
打 カークランド
走中 佐藤
打 和田
投 上田
(遊) 藤田平
(捕) 田淵
(一) 遠井
(中)右中 池田
(三) 後藤
(二) 野田
(投) 山本和
投 谷村
打 安藤
走右 末永
ヤクルトアトムズ
(二) 高木守
(左) 高木時
左 飯田
左 井手
打 大隈
投 三沢
(中) ウイリアム
(三) 島谷
(一) 谷沢
(右) 大島
(捕) 木俣
打 井上
(遊) 正岡
(投) 松本
打左 テーラー
6回まで三者凡退。『カリカリきた』金田監督の阪神は7回、望月が突破口を開く三遊間安打。このあと、つまったり、拙守に幸いされたが池田の2塁打など3長短打が出て2-2と追いつく。幸運もあったが、松本の投球にちょっとスピードのにぶりが出たのを見逃さないあたり、打線の好調さを物語る。
望月は8回にもヒットエンドランを決めて1・3塁とする。死球、藤田平の犠飛で勝ち越し、さらに田淵のふり逃げ(捕逸)で決定的な4点目をあげ、上田を送って逃げ込んだ。
中日は立ち上がりがよくない山本を攻めきれず、高木守が打ち、走ってあげた2点だけ。致命的な田淵のふり逃げもベースカバーや投手の指示があれば防げたはず。
☆今だったらJFK投入ですが、この時はまだそんな時代ではなく、エース級をつぎ込んで逃げ切っていたのですね。この年は江夏さんと上田さんが大車輪の活躍、二人で594+1/3イニング46勝を挙げています。今だったら、エース2.5人分位の働きですわ。この時点でタイガースは首位ドラゴンズに1ゲーム差の2位です。そして、2戦残して1つ勝てば優勝まで迫るのですが…夢は12年後に持ち越しとなりました。今のタイガースの選手もまだほとんど生まれていなくて(生まれていたのは金本・下柳・矢野・桧山・ジェフだけ)、そう考えると『あ、そんなこともあったよな』みたいな遠い世界ですね、35年前って。
初めて野球をナマで見た(選手権決勝、広島商業vs静岡)記念すべき年です。
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Comments
違う投手で4年連続最多勝ってーのは、ちょっと例がないんやないですか?
黄金時代を築けたのは、やはり浩二さんと衣笠さんという芯がしっかりしていたからでしょうね
ライオンズの伊東、ブレーブスの福本さんに山田さん、スワローズの古田
タイガースが長続きしなかったのは、掛布さんがケガもあって一気にダメになってしまったのも原因だと思うんですな
今は矢野と金本が芯ですが、出来たらコレを鳥谷あたりがやってくれたら嬉しいのですが
次の芯が新井だったりすると、チョッと複雑なものがあります
Posted by: シルク | April 16, 2008 12:51 AM
73年の佐伯投手は19勝ですな。これが自身の年間最多勝でもあります。初優勝の75年は部長のお見立てどおり15勝でした。
3年連続最下位の2年目、プロ野球も見るようになって何となくカープを応援し始めた頃ですね。
トレードの理由は分かりませんが、翌74年から金城→外木場→池谷→高橋里と、4年連続で違う投手で最多勝を獲ってる層の厚さみたいなものはありましたね。
Posted by: 0223. | April 16, 2008 12:02 AM
仕事中にコレ全部書いていたらとんでもない話です
ボチボチ書いては下書き保存していたものを仕事中に仕上げてアップしたので???という時間なだけですわ
1回こっきりの優勝であれば、2~3人位エエ選手が来たら達成できますが、【黄金時代】となると、絶え間無き血の入替が必要ですな。パリーグ編のブレーブスはスペンサーがやってきて意識改革が起こり、長池さんが入団して芯が出来て優勝。さらに福本さん・加藤さん・山田さんを同時に獲得して優勝回数を伸ばす。さらに、衰えの見える初V時のレギュラーを入れ替えるために島谷さんやマルカーノの獲得…
これだけやらな、黄金時代は続かないんですよね、きっと
ライオンズなんて秋山も出してしまうんですからね
1回優勝して舞い上がってその後にドツボにハマったのは…まあ、言うまい
Posted by: シルク@仕事中 | April 15, 2008 10:25 AM
仕事中に何やってまんねん(^^;
\(^^\)(/^^)/
カープの先発は佐伯和司ですか。懐かしいなあ。
この年20近く勝ってるんやないですかね。
優勝の年も15くらい勝ってる筈です。
そんなピッチャーが、若くして何故放出されたんでしょうかね?
(新美との交換だった筈)
そういえば同期の金城基泰も同時期に放出されましたが。
もっとも、この時の血の入れ替えが、S54年以降の連覇に結びついたのかもしれませんが。
Posted by: スチャラカ部長 | April 15, 2008 08:16 AM