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プレイバック~1958.8.16/8.17 引分け再試合

タレント・野球解説者として活躍する板東英二さんがプロ野球を引退したのは1969年のシーズン終了後。吉田義男さんや金田正一さんと同じ時期なのですが、残念ながら現役時代は覚えていません。世間の認識は【野球解説もやっているお笑いタレント】という感じの板東さん、実は高校野球史に残る大投手でした。

試合解説・メンバー・スコアは日本経済新聞縮刷版より抜粋しました

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1959.8.16 板東(徳島)村椿(魚津)一歩も譲らず

徳島商(徳島)000 000 000 000 000 000|0
魚 津(富山)000 000 000 000 000 000|0
延長18回引分け

徳島商
(中)桧皮谷
(右)富田
(左)広野
(投)板東
(一)大野
(捕)大宮
(遊)大坂
(三)玉置
(二)荒川

魚津
(三)堀田
(左)東金
 打 倉谷
 右 板沢
(投)村椿
(一)吉田
(二)平内
(捕)河田
(右)貫名
左右 林
 打 森内
(中)沢崎
(遊)盛本

力の板東・技の村椿がマウンドに火花を散らす投手戦は互いに一歩も譲らなかった。両投手は綿のように疲れきった身体にムチ打ち、根限りの投げ合いを続けたが、18回徳島が大野の内野安打と四球などで迎えた1・3塁の好機は大坂のスクイズと重盗の失敗に、魚津もその裏二塁打の川だが暴走して刺され、3時間半にわたる死闘も引分けに終わった。

村椿は同じモーションから繰り出す直曲球に威力を示し、特に直球のスピードがかなりあって徳島打線を苦しめたが、後半はさすがに疲れ、ピンチにさらされた。しかし、7回無死満塁に大坂を三振に討ち取り、9回無死富田に安打を許したが、このピンチも併殺に退けて延長戦になったもの。板東は前半投球がやや雑に荒れ、2回2四死球と内野失で1死満塁にされたものの、魚津の強攻策を鋭い球威で圧倒し去った。そして6回あたりから外角低めに快速球をビシビシと決めて魚津の打線をキリキリ舞いさせ、5回以降は2塁を1度しか踏ませなかった。板東の快投で後半は明らかに徳島が優勢だったが、好機が上位打線に限られたため早目にケリをつけることが出来なかった。

なおこの試合で板東は25三振を奪い3試合合計57個を記録した。

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1959.8.17 善戦魚津、力尽きる
板東、奪三振新記録 4試合で66個

徳島商(徳島)000 102 000 |3
魚 津(富山)000 000 100 |1
引分け再試合

徳島商
(中)桧皮谷
(右)富田
(左)広野
(投)板東
(一)大野
(捕)大宮
(遊)大坂
(三)玉置
(二)荒川

魚津
(三)堀田
(遊)右 盛本
(左)投 村椿
(一)吉田
(二)平内
(捕)河田
(右)板崎
左右 林
 遊 倉谷
(中)沢崎
(投)森内
 左 東金


村椿が疲れて先発しなかったとあっては魚津の不利はすでに明らか。先発の森内は1年生とは思えぬクソ度胸で立ち上がり軽く徳島の3者を退けたが武器といえば内角に浮き上がるシュートだけ、これを狙われたらもう投げる球がなく4回大坂に適時打されて1点を許した。この回、徳島は無死四球の板東がけん制球に倒れたが、2四球を続けて1死1・2塁から大坂が内角高目のシュートを遊撃越しにたたいて先行点をあげたあと魚津はエースの村椿を繰り出して追加点こそ阻んだが、この遅すぎる継投策は完全な失敗。しかし、村椿も当たりの出はじめた徳島打線を牛耳るだけの球威に乏しく、6回大宮・大坂に痛打を浴びたあと玉置、荒川の連続スクイズに捕手失も手伝って決定的な2点を奪われた。

徳島の板東は7回遊ゴロ失と死球でピンチをまねき河田の犠飛で1点こそ許したが前夜から連続27イニングを投げ続けながら快速球のスピードが落ちなかった鉄腕ぶりにはまったく驚かされた。特に8回2死満塁で吉田を三球三振に打取ったときの球はあきれるほど早かった。魚津の5安打の大半は振り遅れによる幸運によりもたらされたものだ。

なお板東はこの試合で9三振を奪い、通算66個となった。これは昭和7年(19回大会)で明石中学の楠本投手が作った大会通算三振奪取記録(4試合36イニングで64個)を26年ぶりに破る最多三振奪取の記録。

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この大会から【延長戦は18回を超えて新しいイニングに入らない】という規定が出来、それが適用された最初の試合でした。
徳島商業は準決勝で作新学院(栃木)を4-1で降して決勝に進出します。しかし、連投の板東投手は疲労がピークを超えていたか柳井(山口)の短打狙いに14安打を浴びて力尽き、7-0で敗れて準優勝に終わりました。
しかし、169センチ(私とほぼ同じです)という小柄な体格の板東投手が奪った三振83は、フォークやシンカーなどの落ちる球を高校生が操るようになった今も破られぬ選手権新記録として残っています。
板東投手はドラゴンズに入団し、11年間で435試合に登板して77勝65敗の成績を残しています。

魚津高校は翌年も連続出場しますが、それが最後の甲子園となったまま現在に至ってます。一方の徳島商業は現在も県内の強豪として健在、昨年の夏、22回目の出場を記録しました。ホークス・スワローズ・ブルーウェーブで【メモリアルホームランアーチスト】として活躍した広永外野手、イレブンからやまびこ打線と池田高校を率いて甲子園を沸かせた故・蔦文也さん、ドラゴンズのエース・川上投手などがOBです。

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Comments

Fine way of telling, and good piece of writing to take information concerning my presentation subject matter, which i am going to convey in college.

Posted by: crunchbase.com | December 21, 2014 at 02:13 PM

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