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プレイバック~1968.8.22 半世紀にわたる栄光

今からさかのぼること40年前
私は小学校1年生
このブログへお越しいただく方の中には、まだ生まれていない方もたくさんおられますね

50回記念大会が行われました
ギリギリで覚えていない大会です(翌年からは何となくですが覚えています)

1年生エースというと、同学年のバンビ坂本を連想するのですが、この大会も1年生エースが力投して決勝戦に進出しました
決勝戦にふさわしい、引き締まった素晴らしい投手戦だったようです

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1968.8.22 興国、1点を守り抜く

静岡商(静岡)000 000 000|0
興  国(大阪)000 010 000|1

静岡商
(二)青木
(中)佐藤
(右)藤波
(一)小泉
(三)松島
(左)戸塚
(遊)寺門
(捕)鈴木五
(投)新浦

興国
(三)熱田
(遊)孫田
(左)益川
(一)岡本
(右)芦田
(二)樽本
(捕)丸目
(投)丸山
(中)深崎

力の新浦、技の丸山、両投手とも懸命に投げ合った。重苦しい決勝の雰囲気にもひるまず、それぞれの持ち味を発揮してのスタートは見事というほかはない。
下手投げの丸山、準々決勝、準決勝よりも投球がピリッとひきしまっていた。高目いっぱいに浮き上がる速球、内角をつくシュート、さらに外角へのカーブ。機械のように正確なコントロールだ。第一球をほとんど確実にストライクを取っていたのも、ピッチングの幅を広くしていた。ミート打法の静岡商も、その頭脳的で変化に富んだ投球にはさすがに的が絞りにくいようす。1回2死後、藤波が内角球を左へ安打したが、小泉は高目につられて三振。2回も2死から青木が左前安打、二盗しながら、佐藤が2-0から内角ボールにひっかかって三振した。3回までに5三振。これまで1試合平均4三振の静岡商にしては意外なことだが、それだけ丸山の投球がさえていたのだろう。

一方の新浦も力投した。試合前の打撃練習中、バットが折れてきき腕、左手中指の外側を裂傷したが、『ここまでくれば気力』とばかりに表情に苦しさを出さない。えらい1年生だ。カーブが投げにくいので直球がほとんどだが、180センチの長身を精いっぱい傾けて興国の好打を力で押え続けた。2回、3回、ともに1死2塁になったが、少しも動じない。
そんな新浦が5回に軽率な守備をやった。1死丸山遊ゴロ内野安打。深崎の当たりそこねは投手左へのゴロ。2封のタイミングが十分だったのに、新浦はわき目もふらず1塁へ投げた。2死2塁。プレート度胸のある新浦も内心『しまった』と思っただろう。次打者熱田は軽く合わせて中堅手左へ安打した。歓声にわきかえる興奮のルツボの底を丸山が本塁へかけこんだ。

興国1点、大試合になればなるほど先取点がものをいう。果たして静岡商の反撃が可能かどうか。満員の球場はいよいよ決勝らしい熱気がただよってきた。6回静岡商は1死後、青木が遊ゴロ失。佐藤のバントで2進した。2死を取られても3番藤波の1発に期待する捨て身の作戦だ。丸山-藤波に緊張感がみなぎる。1つのヤマだ。1回に安打している藤波。しかも左打者だけに丸山の大敵だが、あらん限りの勇気と力をふりしぼるように丸山は1球1球慎重に投げた。藤波のバットもおくれ気味。2-2からの7球目。右へはっしと打った。ライナー。一瞬はっとしたが、打球は伸びない。右翼手にとられて静岡商は3度目のチャンスを逸した。

あと3回。静岡商は必死に打ったが、7回小泉、戸塚と大飛球をとられた。さあ9回。無心の好投を続けてきた丸山。驚いたことに平然としている。恐るべき18歳の神経だ。青木遊ゴロ、佐藤2飛、藤波2ゴロ。静岡商の攻撃は終わった。初出場興国の優勝、丸山を中心とした見事な守りの勝利だ。しかし新浦。よくやった。過去の大会にも1年生でこれほど健投した投手は少ない。技と力、第50回の決勝にふさわしい見事な投手戦だった。

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息詰まる投手戦を征したのは大阪代表の興国高校。村井監督は高校野球のゲスト解説でおなじみです。3番打者の益川選手が後にプロ入りし、スワローズ→バファローズ→ライオンズと移りますが、思うような成績は残せませんでした。興国も大阪激戦区でなかなか甲子園進出は難しく、75年の選手権が最後の出場となっています。身近なOBに元タイガースの湯舟投手がいます。
野球とは全く関係ありませんがhappy01、簿記検定3級を受験したのは興国高校でした。

静岡商業の新浦投手は中退してジャイアンツへ。これは、当時の規約で外国籍の選手は日本の高校に在籍していてもドラフトにかける必要がなかったためです。第1次長島監督時代は小林繁さんとならんでエース格で活躍し、最優秀防御率のタイトルを2度受賞しています。
その後、韓国プロ野球・三星で3年間在籍した後に帰国。ホエールズ→ホークス→スワローズと移籍して引退しました。日本のプロでは592試合登板(歴代36位)/投球回数2158.2/116勝 123敗39セーブ 1706奪三振(歴代35位)という立派な成績を残しています。3番打者の藤波外野手は翌年も主軸として活躍しベスト8進出し、卒業後は中央大学へ。中央大学では1年春からレギュラーとして活躍し、放った安打133は今も破られぬ東都記録です。73年のドラフト1位でドラゴンズに入団(東六人気ナンバーワンは慶大の山下大輔さんでした)。ドラゴンズでは準レギュラー・代打の切り札として活躍し、87年に引退。
静岡商業からはその後も、カープ初優勝時の主力投手池谷さんやバファローズの監督代行を務める大石さんなどがプロで活躍します。

50年の歴史でもすごいと思うけど、そこからもう40年も経ったんですね。

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Comments

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Posted by: Read Source | February 20, 2015 at 01:17 PM

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Posted by: hack a facebook account | February 07, 2015 at 12:22 PM

部長
スコアボードが手書きで、一瞬『戦前か?』と思いますなeye

PLはそれまでに1度出ていましたが、全盛期に入るのはおっしゃる通り2年後。新美さん・新井さん(注:タイガースの新井ではありません、念のため)の年からですね。ここからはしっかりと覚えていますな。

Posted by: シルク | July 19, 2008 at 11:38 PM

おはようございます
さすがにエアコンなしでは眠れません
2階の西側なので、まず帰宅したらサウナだし

ぼぶさん
評価が低いと言うのか、マスコミの取り上げ方が少ないという気がしました。
小林さんはルックスがいいし、帽子飛ばして熱投タイプで、やられると余計にムカついて印象に残りますからcoldsweats01

銭湯などのロッカーで避けるのは17かなーthink
狙うのは6と7と10と11と22と28と31

0223さん
私もこの年度まで記憶にありません。翌年の三沢-松山商業から覚えています。PL学園のエースの名前が新美って名前だったことも
三沢-松山の熱戦は野球バカのハートに火をつけたゲームだったのですな。

Posted by: シルク | July 19, 2008 at 07:57 AM

映像は、こちらをドウゾ(^^ ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=QcJ_6u9Bego

浪商・明星・大鉄・興国で大阪4強の頃なんでしょうね。
PLが出てくるのは、この2年後ですか。

Posted by: スチャラカ部長 | July 19, 2008 at 07:53 AM

日の出と同時に目が覚めた。熱帯夜のせいかしらsad

>>ジャイアンツ内でもそういうものがあったのも

新浦さんってジャイアンツ内で評価低かったかなぁ? あまりそう言う印象はないんですけれど。プレーヤーとしては野茂がメジャーへのパイオニア(マッシー村上さんが本当のパイオニアですが)なら新浦さんは韓国プロ野球で活躍した日本選手のパイオニアですかね。また帰国してからも大洋で活躍しましたからねぇ。

それよりも小林さんってジャイアンツ時代そんなに華があった印象はないですねぇ。長嶋監督就任からようやく出番が出始めてふたケタ勝てるようになったかなぁ、ってところで江川さんとの電撃トレードでしたからねぇ。当時のタイガースの希望がどうだったのかわかりませんが、本当にジャイアンツの中心だったら別の選手が出されていたでしょうからねぇ。

余談ですが、ジャイアンツで背番号19と言うのは投手にとって運のない番号とされていたと思います。急逝した湯口投手、電撃トレードされた小林投手、先日の広島オフでもちょっと話題に出た金城投手もジャイアンツに在籍時は19だったんですね。木田投手も素質が高く期待されたけど、伸び悩んだ感があるしなぁ。上原ぐらいです、大活躍できた投手は。彼が入団し背番号19となった時不安に感じたもんなぁ。coldsweats01 ただ今年の大不振は19の呪いかも。去年リリーフやって連投で肩が消耗しちゃったのかなぁgawk

ジャイアンツの背番号の変遷
http://www.giants.jp/G/museum/g_number/number10.html

Posted by: ぼぶ@豊橋 | July 19, 2008 at 05:18 AM

この年は当方は記憶にないですなぁ…
さすがに翌年の松山商-三沢の決勝再試合、さらに翌年の東海大相模-PLの決勝はハッキリ記憶にあるので、野球に目覚める少し前、と言ったところでしょうかね?

Posted by: 0223. | July 19, 2008 at 02:18 AM

高校野球プレイバックの楽しみの一つが『え、チームメイトやったん?』であります。控えで目立たなかった選手がプロで活躍したりすることもあって、発掘する楽しみがあります。

藤波さんはライオンズの基さんとのトレードを拒否して、それ以降はレギュラーが遠くなった気がします。一時期はプロ野球ニュースでよく見かけましたが、今はラジオがメインで、テレビはCSが大半のようです(ウィキペディア参照しました)。
大学野球が一番華やかだった時代ではないでしょうか。

新浦さんは、思ったよりも通算成績の積み上げが高かったのは意外でした。小林繁さんという華のある投手が全盛期にいて、いなくなったと思ったらマスコミ注目の的の江川さんが来て。同じセリーグでも取り上げられ方の違うジャイアンツ・タイガース以外のチームの選手の評価が不当に低く、パリーグの選手はさらに不当に評価が低いというのは誰でも感じるところだとは思いますが、ジャイアンツ内でもそういうものがあったのも、発見でした。

それはそうと、野球をやっていたなんて知りませんでした。

Posted by: シルク | July 19, 2008 at 12:47 AM

新浦さんと藤波さんがチームメイトだったとはぜんぜん認識していませんでしたcoldsweats01

藤波さんと言えば、背番号3で新人王も取って、ドラゴンズのバリバリの(レギュラーと言う意味での)主力でしたが、(詳細は覚えていませんが)トレードを拒否して背番号も40になり、ほぼ代打専門となったと記憶しております。以前は東海テレビ(フジテレビ系)の解説者としてよくテレビでも見かけましたけど最近は見かけませんねぇ。どこか球団のコーチとかスタッフをやられているんでしょうか?(ドラゴンズのコーチではないようですけど)

新浦さんと言えば思い出すのがコーラ茶漬けcoldsweats02。夏バテだったかでご飯が食べられなかったかなんだかでコーラをかけてご飯を食べたと言う逸話を思い出します。
タイガースファンならずとも背番号28番のサウスポーの代名詞と言えば江夏さんでありましょうが、ぼくにとっては新浦さんでした。ぼくが少年野球をやっていた時の背番号が28番だったこともありまして。(たまたま順番でこの番号になっただけで希望したわけではないのですが)

Posted by: ぼぶ@豊橋 | July 19, 2008 at 12:19 AM

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