プレイバック~1982.08.18 やまびこ打線爆発 池田vs早稲田実業
社会人1年目…のはずでしたが、思うような就職先がなくフリーター(当時はそんな言葉は無かったと思いますが)していました
。居酒屋で知り合った方に誘われて、日本を代表する高級リゾートホテルで住み込みのバイトをしていました。
熱戦の続く甲子園、今大会も打撃戦が多く、2ケタ得点のチームが8/13時点で8チームあります。1回戦の東邦-北海は15-10の乱打戦。自分たちが高校生の頃は、2ケタ失点なんて滅多にありませんでした。私が高校3年生だった61回選手権では大会期間中を通じて6試合でした。2ケタ失点というのは、よほど力の差がない限り起きない現象でした。高校野球といえばバッテリー&センターラインを中心とした守りの堅実さと、『ここぞ』という時にスクイズを使って1点を取って守りきる…そんなイメージがありました。
そういうイメージが崩れ、高校野球が変わり始めたのがこの大会だったのではないでしょうか。
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早実大敗 関東勢姿消す 池田、毎回の20安打
早稲田実(東東京) 000 002 000 |2
池 田(徳 島) 230 002 07x |14
早稲田実
(二) 小沢
(中)右中 岩田
(一) 板倉
(左) 池田
(遊) 黒柳
(投)右投 荒木
(三) 上福元
(右) 有賀
打 萱原
投 石井
右 杉山
(捕) 松本
池田
(二) 窪
(中) 多田
(右) 江上
(投)左投 畠山
(左)投左 水野
(一) 宮本
(捕) 山下
(三) 木下
(遊) 山口
早稲田実、池田とも打力のチームだけに、投手の好不調の差は極端な形で出る。池田の畠山は、2回戦の対日大二では登板間隔(中6日)があきすぎて苦戦。連投になった3回戦の対都城はへばりがみえた。だが、中2日で臨んだこの日は、過去の試合とは比べものにならない投球内容。腕の振りが大きく速い。そのため速球は球威十分でカーブの切れも鋭かった。
1回先頭の小沢に二塁左を抜かれたが、岩田を高めの速球で三振に取り、小沢の二盗を失敗させて併殺。その後も速球で押しまくる豪快な投球ぶり。6回こそ失策、死球から無死満塁のピンチを招き、板倉の三遊間安打で2点を失ったものの、好打者ぞろいの早実を4安打に抑え込んだ。
早実の荒木は連投の疲れからか腰の切れが悪く、身上とする制球のよさも見られなかった。2回までに強打を浴び5失点。それでも何とか踏ん張っていたが、6回水野に中堅へ大本塁打されて気力もこなごなにされたようだ。
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記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました
池田高校の蔦監督は、79年の選手権決勝で箕島に逆転負けしたとき、『どんな相手と当たってもびくともしないチーム作り』と思ったそうです。豪腕・畠山を育て、守りを鍛え、ウェートトレーニングを取り入れ、それが実ったのがこの大会。準決勝では東洋大姫路を4-3で降し、決勝では広島商業を12-2と粉砕し、3度目の決勝進出で初優勝します。ただ、大会前のスポーツ新聞等では【豪腕・畠山が実力を100%発揮すれば上位進出も可能か】という、ダークホース的な評価だったと記憶しています。この大会以降、打撃を身上とするチームが増えました。いわゆる【野球後進県】と言われてきた地方でもピッチングマシンを購入し、ウェイトトレーニング設備を備え、【予選チーム打率.285】というような学校が珍しくなくなってきました。そうなると私学が優位なのは当然で、これを機に首都圏・京阪神以外の地区でも私学優勢が顕著になります。また、乱打戦を勝ち上がるために複数のエース級投手を擁するようになるキッカケにもなっていると思います。
かつて部員11名で四国の山間部から甲子園にやってきて準優勝し、『公立でも頑張ればやれる』の象徴だった池田が私学断然優位のキッカケを作ってしまうことになるといえるのでしょうか。
優勝した池田高校からは畠山投手がホークスへ。84年には規定イニングをクリアして5勝しますが、その後故障で低迷し打者転向。ホエールズに移籍して2度規定打席をクリアする活躍を見せ、95年は選手会長も務めました。99年まで現役。『どうしているのかなー』と思っていたのですが、ベイスターズの球団職員として野球に携わっておられるそうです。
2年生ながら5番を任されスタンドに2発放り込んだ水野外野手は翌年に投手に。センバツで優勝し、春夏連覇の期待がかかりますが、準決勝で1年生だったKKコンビ(これも死後だなー…桑田真澄・清原和博)のPL学園に敗れます。ドラフト1位でジャイアンツに入団し、96年まで現役。87年には10勝を挙げています。88年のオールスターゲームでは、チャンスに打者を使い切った場面で代打として登場し、サヨナラ犠牲フライを打ったのは昔取った杵柄か。現在は解説者として活躍しています。
敗れた早実の荒木投手はスワローズにドラフト1位で入団。87年には10勝を記録。92年には故障による4年のブランクから復帰し、ベイスターズ移籍の96年まで14年間現役を続けます。現在はスワローズの投手コーチ。甲子園5期連続出場ながら1度も優勝できなかった荒木ですが、端整なマスクで人気絶大。この年生まれた子供に【大輔】という名前が多かったのはご存知の通り。ライオンズ⇒レッドソックスの松坂大輔もこの年に生まれました。
2番手で登板して水野に満塁ホームランを打たれた石井投手は法大へ。1年上に西川(ホークス⇒タイガース)同学年に猪俣(タイガース⇒ドラゴンズ)がいたために登板機会は少なく、プリンスホテルへ。ここでの活躍が認められ、ライオンズに指名されて入団。92年には15勝を挙げてMVPに輝くなど、森ライオンズのエースとして活躍します。ファイターズから台湾へ渡り、01年まで現役。現在はライオンズのコーチを務めています。
2年生だった板倉選手は内野手がジャンプするようなライナーがスタンドインする力強い打撃で注目され、翌年のドラフト4位でホエールズに入団しますが、1軍でヒットを打つことは出来ませんでした。
プロには進みませんでしたが、荒木と同じくレギュラーで5期連続甲子園にやってきた小沢選手は早大へ進学しますが、故障のため選手を断念。卒業後、千葉英和高校の教員となり甲子園を目指していましたが、2006年に病気のため帰らぬ人となったそうです。
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Comments
kaneさん、こんばんは

私もこのあたりが一番熱心に高校野球を見ていたと思います
色々な意味で
しかし、けた違いの打撃力でしたね、池田
40代の野球ファンだったら、池田高校の校歌のサビと歌いだしは誰でも知っているんやないかな?
Posted by: シルク@仕事せな | September 01, 2008 at 11:02 PM
こんばんわ、kaneです。
仕事中ではありません。(笑)
ちょいと気になってしまい、ついYOU TUBEで検索し
この戦いをチェックしてしまいましたよ。
当たり前ですが、みんな、初々しい。
この頃は今以上に熱心に観てましたね甲子園を。
いとこが北海道代表として出場していましたから尚更に。
いやいや懐かしい限りです。
Posted by: kane | September 01, 2008 at 09:45 PM
いえいえ、とんでもない
このシリーズ(プレイバック)は検索に引っかかる事が多く、不特定多数の多くの方が見ていますので、指摘はありがたいです
【後から組み入れる】といえば関西では立命館ですな
『え、あそこも?』『ここも?』ってな感じで
子会社と関係会社ってどう違うんでしたっけ?
資本関係と人的交流の比率がどうのこうのだったと思うのですが
よくこれでAFPの試験に合格したもんだ>自分
Posted by: シルク | August 15, 2008 at 02:22 PM
連日の寝不足の上、今日は炎天下の中、墓参りをしたせいか熱中症気味(?)です。車で行ったし、外に出ていた時間は15分ぐらいなもんだし、お参りしてない時は帽子もかぶってたのに。四捨五入して40代の最後の年(あと2日でゾロ目)だからな、体は正直と言うべきか。
(/ ^^;)/ \( ^^\;)
早実は付属高でなく系属校でして、早大の子会社でなく関係会社(^_^;)みたいなもんです。
日大系や東海大系なんかも付属校とは言うものの希望者全員エスカレーターではないと思います。(既存の学校を後から組み入れいるケースも多いと思うし)
追:たびたびの指摘ですいません、記事中早実のスタメンにショートが2人います。板倉はファーストだと思いますか。
Posted by: ぼぶ@熱中症気味 | August 15, 2008 at 01:35 PM
野球日本代表の応援していたら疲れて寝てしまいました
>ヒデさん
確かに、どことやっても普段の練習以上の投手と当たるケースは少ないですね
これは今まで考え付かなかったなー
この時代だと、プロ野球選手でもまだウェイトトレーニングやっている選手って少なかったんじゃないですかね
>ぼぶさん
内部進学6割ですか
しかし、スポーツの全国大会に出ていながらエスカレーター式に進学できないというのも早稲田ならではでしょうね
他ではちょっと考えられないケースのような気がします
Posted by: シルク | August 15, 2008 at 02:44 AM
>>石井はなぜ早稲田ではなく法政に行ったんでしょうかね
普通に考えれば、成績が足らんかったんでしょう。当時、早実から早大への学内推薦は6割ぐらいだったと思いますんで。
Posted by: ぼぶ@さいたま | August 15, 2008 at 12:40 AM
そもそも石井はなぜ早稲田ではなく法政に行ったんでしょうかね
池田に関していえば特に当時はまだ珍しかったウエイトを取り入れたのが大きかったみたいですね
最初は蔦監督も嫌がってたらしいですが控えの選手にさせたら効果てきめんでレギュラーも取り組むようになったそうです。
あとは畠山、水野という当代随一の投手がバッピを務めていたので、どんな試合でも練習以上の投手にはなかなかお目にかかれないような環境だったのも大きかったようですね。
Posted by: ヒデ | August 14, 2008 at 11:10 PM
東京六大学で早稲田以外で広沢以降で1000本以上の安打を打った選手だと法政の大島公一(1088安打)ぐらいみたいですね、東大は調べてませんが。
Posted by: ぼぶ@さいたま | August 14, 2008 at 08:53 PM
広沢と水口で7つ開いていますが、この間が何故か東六は不毛の時期なんですよね。大豊作の65年生まれは高卒でプロへ行く選手が多かったのですが、『大学へ行っても得るべきものは無い』などと思われていたのか?
ヨシノブあたりから東六も盛り返してきましたね
ウチの鳥ちゃんも634安打打ってます
Posted by: シルク | August 14, 2008 at 08:27 PM
失礼、仁志はシルクはんのコメントに入ってましたね。
Posted by: ぼぶ@さいたま | August 14, 2008 at 07:41 PM
>>スポーツ推薦枠が狭まったとか
少なくとも早稲田はガバガバに拡がっていると思います
。
東京六大学出身で1000本安打ならまずはパッと思いつくところで弊社の由信が今シーズン現在まで1392安打打っております。
早稲田限定で広沢以降だと水口が1213安打、仁志が現在までで1549安打打っているようです。
ちなみにヤクルトの青木がここまで693安打(うち今シーズン103安打)打っております。
Posted by: ぼぶ@さいたま | August 14, 2008 at 07:40 PM
というか、私らのあたりを境目に東六と東都の力関係が変わってしまっていますよね。東六出身でプロで1,000本安打を記録した選手って、ざっと見た限りでは広沢の後は仁志・稲葉まで出てこない?
急に入試の難易度が上がったとか、スポーツ推薦枠が狭まったとか、何か事情でもあったのでしょうかね?
出身大学を覚えている選手も、自分の年代だと東都の選手が大半です
Posted by: シルク | August 14, 2008 at 02:46 PM
と言うわけで3年生がぼくと同学年の世代になりましたな。
この早実のメンバーから早大野球部に入ったのもそれなりにいるのでしょうが、上に名前が出てくる選手でレギュラーとなったのは黒柳ぐらいですねぇ。(この試合ではショートだったみたいですが、大学時代はサードの印象)
池田からも江上(この試合時は2年生)が翌々年早大にスポーツ推薦で入りました。(PL学園・加藤と同期、ちなみに1年浪人して入学した石井浩郎とかぼく
とも同期) が、人望からか4年時には主将を務めましたけどプレーヤーとしてはお世辞にも活躍したと言う感じではありませんでしたねぇ。
ぼくの在学中の4年間の早稲田は暗黒時代で。よくて3位、普通は4位が定位置でした。その間、法政が強かったり、明治が強かったり、慶応が強かったり。ラグビー4年時に社会人まで破って日本一になったんですけどね。(学生が社会人を破ったのはそれ以来ないですね)
Posted by: ぼぶ@さいたま | August 14, 2008 at 02:02 PM