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局地的豪雨

大阪は不安定な天候ながらも、さほど雨も降らない数日ですが

愛知県東部、岡崎とか蒲郡のあたりがとんでもないことになっているようで…
オッサンファイヴの三男・ぼぶさんがお住まいになっているエリアなのですが

ぼぶさん、大丈夫ですか?
そこは少し高いところだから大丈夫だとは思いますが

西と東の距離はあれど、マルちゃんも愛知県
大丈夫ですか?

関東でもとんでもない雨のようですね
みなさん、お気をつけて下さい

今は何とも無い関西も、いつ何が起こるかわかりません
【自然はナメたらアカン】、注意しましょう


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ガッツだぜ

忙しいよー
2か月分くらい働いてるなー(9月の稼ぎも2か月分はありそうですが)
コピーロボットが欲しい

頑張ろうrock

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山越のうどん

ヒデさんのブログであった【甲子園カップ】で、指名高総得点3位ということで0223さんからの商品が届きました。
(オッサンファイブ内で回し合いcoldsweats01やっているわけではありません、初出場初優勝の方もおられて、今回はメンバーも新鮮になりました)

先日、無事に賞品が届きました
袋を開けてみたら、美味しそうな生のうどん
生のうどんを頂いたときは、まずは茹でて湯を切ってしょう油を少しだけかけて食べます
これで、うどんの良し悪しがわかるのですが、このうどんサイコー
いや、固さを確認するために茹でる途中で少し食べている時から、『これは絶対に美味しい』という確信がありましたheart02

Yamakoshi_udon

写真は、しょう油をかけただけでは写真として寂しいので、生卵と薬味を少々あしらっています(これも美味しいですよ)
茹でたてのうどんの湯を切ったら手早く具をあしらい、ほんの少ししょう油をかけるだけ(うどんにしっかりと味があるので)
うどんをしっかり噛みしめて味わいました
【麺を訪ねて三千里】の目(舌)はダテでは無いことがわかりました
ありがとうございます、0223さん

参考までにお店は
香川県綾歌郡綾川町羽床上602-2(高松市の南西15キロ位、車がないと辛いかなー…高松琴平電鉄滝宮駅か羽床駅から地図上で見る限り徒歩1時間弱)

大きな地図で見る


大きな地図で見る
山越うどん
087-878-0420

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日本は広い

昨日は【オッサン祭り】で1日中遊んでいました

大阪は、かなり湿度は下がってきたものの連日のカンカン照り
昼間は空調の効いた難波場外馬券売り場で【勝負】しておりました
残念ながら、どこも大荒れで回収率は40%程度に終わってしまいましたがweep

で、小倉競馬場の実況を見て驚き
ダートに水が浮くような不良馬場
相当な雨が降らないと、あそこまではならんで…という雰囲気でした

栃木県では、冠水した高架下の道路に突っ込んだ車が動けなくなって死者が出たそうです
1時間に66ミリという激しい雨だったそうです(確か、1時間で15ミリの雨が降ると峠越えや落石危険のある国道は通行止めになったはず、その4倍の雨量ですから、ハンパな雨ではないですね)

大阪はほんの少し夕立があった程度でした

日本は広い

少し前には下水工事をされている方が流されて亡くなったり、神戸では河川の急激な増水に子供を含む何名かの方が流されて亡くなったり
今年は、今までの平地の感覚では予測できなかった自然災害が増えています
お互いに気をつけたいですね

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プレイバック~1998.08.20 一丸の底力 横浜vsPL学園

就職して仕事やら家庭やらが忙しくなり、多くの方は昼間の高校野球から遠ざかっていくと思います
私もそうでした
でも、この年度だけは日本中の野球ファンに、『見ろ!』というオーラを発信していたような気がします
そして、それにふさわしいプレーヤー、ゲームが揃ったのではないでしょうか

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横浜17回、一丸の底力
3時間37分、一振りが決めた 『点取るぞ』松坂の250球支える


横浜(東神奈川) 000 220 010 010 000 12|9
PL学園(南大阪) 030 100 100 010 000 10|7

横浜
(右)  小池
(中)  加藤
(一)  後藤
(投)  松坂
(捕)  小山
(左)  堀
 左   栄
(三)  山野井
 三   斉藤浩
 打三 常盤 
(遊)  佐藤
(二)  松本

PL学園
(左)  田中一
(右)  井関
 打右 平石
(遊)  本橋
(三)  古畑
(中)  大西
(一)  三垣
(捕)  石橋
 捕   田中雅
(投)  稲田
 投   上重
(二)  松丸

 もう、ガッツポーズをする気力さえ残っていなかった。延長17回、田中雅をカーブで三振に仕留めた横浜の松坂は、両腕をだらりと下げて下を向いた。250球。『野球人生で一番苦しい試合でした』
 その言葉に、わずかな誇張も含まれてはいない。
 PL学園のすさまじい粘りだった。11回。1点を勝ち越したら追いつかれる。13・14・15回は得点圏に走者を送りながら、上重にかわされた。16回には再び1点を勝ち越したが、また振り出しに戻されてしまう。
 『いい加減にしてくれ』松坂の心の叫びだ。
 なえそうになる気持ちを奮い立たせることができたのは、仲間たちがかけてくれる言葉だった。『いつか必ず点を取ってやる。抑えることに集中しろ』。捕手の小山が言い続けた。17回の攻撃に入るとき、常盤が『絶対打つからな』。
 女神を最後に振り向かせたのは、代打で11回から出場した、その常盤の一振りだ。『真っすぐだけにヤマを張って振りぬきました』。2死から敵失の走者を1塁に置いて、右中間席に本塁打を打ち込んだ。
 『自分が打てば決まっている場面があった。あそこはどうしても松坂を楽にしてやりたかった』。常盤が振り返る。
 『PL学園の強さは特別です。自分たちでなければ勝つことはできなかったでしょう』。松坂は『自分たち』の【たち】に力を込めて話した。
 『準決勝は松坂を投げさせられない』。横浜・渡辺監督の言葉が本音であるかどうかは、わからない。
 『そうだとしても、僕たちには全員野球がありますから』。常盤が最後に言った一言に、横浜の本当の強さがひそんでいる。
 
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記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

この試合も営業車のラジオで聞いていました。こんな激闘になるなんて、最初は考えてもみませんでしたよ。アポイントも無かったので、木陰に車を止めて、最後まで聞いていました。もしも今の時代だったら、『明日もこんな試合だったら…』と、ケータイをワンセグ内蔵に機種交換しにいったかもしれないですよ、マジで。
準決勝、控え投手が登板して松坂は外野。一方的に6-0になってしまうのですが、最終回に松坂が登板して、そこから逆転(だったと思います)。こんなドラマチックな大会、生きている間にもう一度あるかどうかわからないですね。決勝のノーヒットノーランも【オマケ】と感じてしまうような大激戦の2日間でした。

この試合の出場選手でプロに行ったのは松坂・小山・後藤・小池・大西だけかと思っていました。つい今までは。で、記事を書きながら、『最後の打者の田中雅…どっかで聞いたよな?ファイターズ?スワローズ? あ、マリーンズか』。もしかして、トップバッターの田中一もどっかに? ベイスターズに在籍していた小柄な外野手の田中一徳外野手。平石選手も大学⇒社会人経由でイーグルスに。他にも、杉内に和田に古木に村田に久保田に森本…田中選手のような下級生まで含めたら、この大会の出場選手が一体何人プロに進んだのか…

宇部商業-豊田大谷の【サヨナラボーク】も忘れられない試合です

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40回記念大会から80回記念大会までを振り返ってきましたプレイバック・高校野球、とりあえずこれで終了します。取り上げたい試合は山ほどありますが、なかなか時間も取れなくて残念です。
残念と言えば、広島商業の佃投手、早稲田実業の小沢内野手、お二人の訃報を知ったことも。私の年代の高校野球ファンであれば絶対に忘れない名選手でした。ご冥福をお祈りします。

また、折りを見て、不定期で続けていきますのでコメント・ご指摘、よろしくお願いします。

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プレイバック~1986.08.21 守った 耐えた 天理V 天理vs松山商業

2,566安打567本塁打の門田博光さんから、タイガースのオールラウンド内野手・関本賢太郎まで多くの人材をプロに送り込んだ天理高校。ベスト8あたりまでは何度もたどり着くのですが、そこから先へはなかなか進むことが出来ませんでした。その天理が奈良県勢として初めて決勝コマを進めたのがこの大会。しかし、相手は百戦錬磨の松山商業、そこにはとんでもない安打製造機が待ち構えていました。

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ミスついて逆転・加点 鮮やか“変身フィナーレ”

天 理(奈良)000 201 000 |3
松山商(愛媛)100 001 000 |2

天理
(遊)大平
(中)萩原
(二)北浦
(左)山下和
(一)中村
(捕)藤本
(右)藤井   
(投)本橋
(三)山下勝

松山商
(遊)水口
(左)堀内
(一)上川
(二)中村
(投)藤岡
(右)岩田
(三)菊谷
(捕)池田
(中)大野

 ベンチの策を責めるつもりはない。バントはもろ刃の剣にも似て、功罪なかばすることを痛感した。松山商5回の攻めである。
 1点を追う松山商は先頭の大野が遊ゴロ低投で二進、水口の一打は遊撃正面で不規則バウンドする安打で無死1・3塁とした。またとない反撃機に松山商ベンチは堀内に初球スクイズを命じた。ファウル。2球ボールのあとまたスクイズ策に出たところ、今度は空振り。三塁走者が挟殺されてしまった。このあと堀内が中前安打するというちぐはぐさで、結局無得点に終わった。
 堀内は前の打席でもスリーバントに失敗し、やや自信を失っていた。ここは一気に攻め込み、チームを波に乗せる方が先決ではなかったろうか。1点にこだわりすぎ、その重みにつぶされてしまった感さえした。

 天理は4回、1死から藤本が四球、藤井の右前安打で1・3塁としたあと、松山商・藤岡の暴投で難なく同点。なおも連続暴投で走者を進め、大平が右前に適時打して逆転。6回にも松山商内野陣の乱れから幸運な追加点をあげて逃げ切った。

 松山商は緻密な守りと、積極的な攻めが武器だったのに、【頂点】を目前にして守りのリズムがわずかに崩れ、そこを突かれてしまった。不運としかいいようが無い。逆に天理はひじ痛のエース本橋が想像以上の精神力で踏ん張り、最後まで投げぬいた。野放図なまでの攻守には、やはり強靭な気力がバックボーンとなっていたのだろう。

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記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

就職して3年目、営業車の中でラジオを聞いていました。

天理のエース・本橋投手は6月頃からのひじ痛が甲子園に来て悪化。ベスト8あたりではキャッチボールもままならない状態だったそうです。無理を承知で登板した準決勝の鹿児島商戦も集中打を浴びて5回降板。2年生投手(確か、緑川という名前だったように記憶しています)が必死で踏ん張って打線が何とか打ち勝つ苦しい展開で決勝までたどり着きました。相手の松山商業には、今も個人大会記録として残る19安打・27塁打・最多打数連続安打8の水口を中心とした好打のチーム。浦和学院戦では11連続安打を記録するなど、かさにかかって攻めてくる攻撃は脅威で、戦前の予想は松山商有利でした。本橋投手の精神力がナインを集中させて運も引き込んで勝ったとも言えるでしょうか。主軸の中村選手がドラフト2位でバファローズに入団、後年はタイガースへ移りますが、プロでは成績を残せませんでした。山下和輝選手もプリンスホテルを経てタイガースに入団しますが、こちらも成績は残せませんでした(この年のタイガースのドラフト指名選手って、ほぼ全滅ですね)。

松山商業からは2名が大学進学後プロへ。昨年、惜しまれながら引退した水口選手は早稲田大学経由。小池が『ロッテだけは…』と語った90年のドラフト2位でバファローズへ。観戦に行くとよく打ってくれて、印象に残る選手です。30歳を過ぎてから勝負強さが光っていました。現在はバファローズのコーチとして後進育成に奮闘中。リリーフ役の佐野投手は近大工学部から同年ドラフト3位で同じくバファローズへ。全盛期は短かったのですが、赤堀につなぐセットアッパーとして活躍しました。よみうりテレビの朝の番組で見かけます。

バントを2度失敗し、最後の打者となってしまった堀内選手の名誉のために…『堀内がバントをできないほどなのだから相手の方が上だったんですよ、私のミスです』という監督のコメントが出ています。他の選手がフリー打撃で快音を響かせる間もひたすらバントの練習に汗を流し、監督もそれにつきっきり。監督が最も信頼していたと言うことでしょうか。堀内選手は大会後に行われる日韓親善野球のメンバーにも、水口選手・藤岡投手と一緒に選ばれています。

高校野球を真剣に見ていたのはこの大会が最後。その後は仕事が忙しくなったりして、疎遠になってしまいました。怪物登場まで…

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プレイバック~1982.08.18 やまびこ打線爆発 池田vs早稲田実業

社会人1年目…のはずでしたが、思うような就職先がなくフリーター(当時はそんな言葉は無かったと思いますが)していましたhappy01。居酒屋で知り合った方に誘われて、日本を代表する高級リゾートホテルで住み込みのバイトをしていました。

熱戦の続く甲子園、今大会も打撃戦が多く、2ケタ得点のチームが8/13時点で8チームあります。1回戦の東邦-北海は15-10の乱打戦。自分たちが高校生の頃は、2ケタ失点なんて滅多にありませんでした。私が高校3年生だった61回選手権では大会期間中を通じて6試合でした。2ケタ失点というのは、よほど力の差がない限り起きない現象でした。高校野球といえばバッテリー&センターラインを中心とした守りの堅実さと、『ここぞ』という時にスクイズを使って1点を取って守りきる…そんなイメージがありました。

そういうイメージが崩れ、高校野球が変わり始めたのがこの大会だったのではないでしょうか。

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早実大敗 関東勢姿消す 池田、毎回の20安打

早稲田実(東東京) 000 002 000 |2
池   田(徳  島) 230 002 07x |14

早稲田実
(二)    小沢
(中)右中 岩田
(一)    板倉
(左)    池田
(遊)    黒柳
(投)右投 荒木
(三)    上福元
(右)    有賀
 打     萱原
 投     石井
 右     杉山
(捕)    松本

池田
(二)    窪
(中)    多田
(右)    江上
(投)左投 畠山
(左)投左 水野
(一)    宮本
(捕)    山下
(三)    木下
(遊)    山口

 早稲田実、池田とも打力のチームだけに、投手の好不調の差は極端な形で出る。池田の畠山は、2回戦の対日大二では登板間隔(中6日)があきすぎて苦戦。連投になった3回戦の対都城はへばりがみえた。だが、中2日で臨んだこの日は、過去の試合とは比べものにならない投球内容。腕の振りが大きく速い。そのため速球は球威十分でカーブの切れも鋭かった。
 1回先頭の小沢に二塁左を抜かれたが、岩田を高めの速球で三振に取り、小沢の二盗を失敗させて併殺。その後も速球で押しまくる豪快な投球ぶり。6回こそ失策、死球から無死満塁のピンチを招き、板倉の三遊間安打で2点を失ったものの、好打者ぞろいの早実を4安打に抑え込んだ。
 早実の荒木は連投の疲れからか腰の切れが悪く、身上とする制球のよさも見られなかった。2回までに強打を浴び5失点。それでも何とか踏ん張っていたが、6回水野に中堅へ大本塁打されて気力もこなごなにされたようだ。

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記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

 池田高校の蔦監督は、79年の選手権決勝で箕島に逆転負けしたとき、『どんな相手と当たってもびくともしないチーム作り』と思ったそうです。豪腕・畠山を育て、守りを鍛え、ウェートトレーニングを取り入れ、それが実ったのがこの大会。準決勝では東洋大姫路を4-3で降し、決勝では広島商業を12-2と粉砕し、3度目の決勝進出で初優勝します。ただ、大会前のスポーツ新聞等では【豪腕・畠山が実力を100%発揮すれば上位進出も可能か】という、ダークホース的な評価だったと記憶しています。この大会以降、打撃を身上とするチームが増えました。いわゆる【野球後進県】と言われてきた地方でもピッチングマシンを購入し、ウェイトトレーニング設備を備え、【予選チーム打率.285】というような学校が珍しくなくなってきました。そうなると私学が優位なのは当然で、これを機に首都圏・京阪神以外の地区でも私学優勢が顕著になります。また、乱打戦を勝ち上がるために複数のエース級投手を擁するようになるキッカケにもなっていると思います。
 かつて部員11名で四国の山間部から甲子園にやってきて準優勝し、『公立でも頑張ればやれる』の象徴だった池田が私学断然優位のキッカケを作ってしまうことになるといえるのでしょうか。

 優勝した池田高校からは畠山投手がホークスへ。84年には規定イニングをクリアして5勝しますが、その後故障で低迷し打者転向。ホエールズに移籍して2度規定打席をクリアする活躍を見せ、95年は選手会長も務めました。99年まで現役。『どうしているのかなー』と思っていたのですが、ベイスターズの球団職員として野球に携わっておられるそうです。
 2年生ながら5番を任されスタンドに2発放り込んだ水野外野手は翌年に投手に。センバツで優勝し、春夏連覇の期待がかかりますが、準決勝で1年生だったKKコンビ(これも死後だなー…桑田真澄・清原和博)のPL学園に敗れます。ドラフト1位でジャイアンツに入団し、96年まで現役。87年には10勝を挙げています。88年のオールスターゲームでは、チャンスに打者を使い切った場面で代打として登場し、サヨナラ犠牲フライを打ったのは昔取った杵柄か。現在は解説者として活躍しています。

 敗れた早実の荒木投手はスワローズにドラフト1位で入団。87年には10勝を記録。92年には故障による4年のブランクから復帰し、ベイスターズ移籍の96年まで14年間現役を続けます。現在はスワローズの投手コーチ。甲子園5期連続出場ながら1度も優勝できなかった荒木ですが、端整なマスクで人気絶大。この年生まれた子供に【大輔】という名前が多かったのはご存知の通り。ライオンズ⇒レッドソックスの松坂大輔もこの年に生まれました。
 2番手で登板して水野に満塁ホームランを打たれた石井投手は法大へ。1年上に西川(ホークス⇒タイガース)同学年に猪俣(タイガース⇒ドラゴンズ)がいたために登板機会は少なく、プリンスホテルへ。ここでの活躍が認められ、ライオンズに指名されて入団。92年には15勝を挙げてMVPに輝くなど、森ライオンズのエースとして活躍します。ファイターズから台湾へ渡り、01年まで現役。現在はライオンズのコーチを務めています。
 2年生だった板倉選手は内野手がジャンプするようなライナーがスタンドインする力強い打撃で注目され、翌年のドラフト4位でホエールズに入団しますが、1軍でヒットを打つことは出来ませんでした。
 プロには進みませんでしたが、荒木と同じくレギュラーで5期連続甲子園にやってきた小沢選手は早大へ進学しますが、故障のため選手を断念。卒業後、千葉英和高校の教員となり甲子園を目指していましたが、2006年に病気のため帰らぬ人となったそうです。

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プレイバック~1979.08.16 死闘18回 星稜vs箕島

自分の学年からはプロで大成する選手は生まれませんでした
ただし、高校野球では90年の球史を語る上で絶対に外れない出来事が2つありました
その一つがこの試合です

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死闘18回、星陵力尽きる

星稜(石川)  000 100 000 001 000 100 |3
箕島(和歌山) 000 100 000 001 000 101x|4

星稜
(一) 加藤
(左) 金戸
(遊) 北
(捕) 川井
(投) 堅田
(右) 音
 二  高桑
(中) 山下
(二) 石黒
(三) 若狭

箕島
(捕) 嶋田
(左) 宮本
 打  辻内
(二) 上野山
(一) 北野
(遊) 上野
(中) 森川
(右) 久保
(三) 榎本
 打 石橋
 三 浦野
(投) 石井

 箕島が2度敗退の瀬戸際からはい上がって、延長18回、規定による引き分け寸前にサヨナラ勝ちするという劇的な試合をみせた。球史に残る大接戦といってもいいだろう。
18回、先頭の代打辻内が四球、上野山がスリーバント失敗後、北野がストレートの四球を選んだ。1死1・2塁。耳をつんざくような大歓声の中、上野は0-2後の内角球につまりながらも左前に適時打し、辻内が2塁からかえって、3時間50分にわたる熱戦に終止符が打たれた。 

 大技・小技を身につけた箕島が、得意のはずのバント戦法を、固い守りの星稜にことごとく封じられ、形成はまったく不利であった。延長に入った12回。1死1・2塁のピンチに星稜・石黒のバットの先に当たった難しいゴロを2塁手が取り損なった。考えられない失策から決勝点となる1点を失ったかに見えた。ところが、その裏2死を数え、敗色が濃くなった空気を嶋田が見事に吹っ飛ばす同点本塁打を左へ放った。
 こうした箕島は14回、安打の森川が久保のバントで2進し、投手のけん制の逆を巧みにつく3盗。粘る星稜の度肝を抜きかねないこの盗塁。だが、鍛えられた星稜ナインには落ち着きがあった。あまりほめられたことではないが、3塁手の隠し球で、この3塁走者をアウトにした。一瞬ぼう然とする箕島のナイン。

 これで生気を取り戻した星稜は16回1死後、川井が死球、堅田の2塁強襲安打で1・2塁のチャンスを得た。音の投ゴロで堅田は2封されたものの、2死1・3塁から山下が右翼線に好打、川井がかえって、また星稜がリード。こんどこそ勝負あったかにみえた。だが、まさに大熱戦。その裏2死から箕島は、森川が2-1後に左へ本塁打して3度目の同点。

試合展開は、いまだ見聞きしたことのない大試合ともいえた。箕島の大技が、大事な場面で発揮された底力は、やはり大したものと言うべきだろう。しかし、敗れたとはいえ、腕も折れよとばかりに、箕島打線を圧倒した左腕堅田の力投は、大いにたたえなくてはならない。そして堅田をもりたてたバックスの見事な攻守の援護ぶりも、絶賛に値する。 

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記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

高校3年生でしたが、大学進学の意思がなかったので、まったく勉強していませんでした。この日はバイト。寿司屋さんで出前と皿洗いと調理補助。出前で出たり入ったりしていて、断片的にしか覚えていません。『まだやってるで…』という感じで。延長18回、それまでは『何とか勝ち越し』『取られてたまるか』という緊迫した試合だったのが、『あー、引き分け再試合かなー』と空気が変わった気がします。その一瞬の空気の変わり目を逃さなかった箕島が上だったのでしょうか。

今でこそ、ヤンキース・松井秀喜の母校として有名な星稜高校ですが、この時点でプロ入りした選手は小松辰雄さんだけ。この試合のメンバーでは北内野手と1年生で出場していた音外野手がプロへ。北選手はほとんど出場機会のないままに去りましたが、音外野手は新日鉄名古屋を経てドラゴンズへ(立浪の年度の5位指名)。ドラゴンズとカープで外野の準レギュラーとして活躍しました。その後、ホークス⇒ブルーウェーブ・バファローズで活躍する村松、ジャイアンツ⇒ヤンキースの松井、バファローズで今年突然エースにのし上がった山本などがプロへ進んで活躍します。

今でこそ、いわゆる【野球後進地域】と言われていた北海道・東北・北陸のチームでも打撃を売り物にするチームは多いですが、この時代に優勝候補の学校に勝とうと思ったら、大エースがいるか、堅い守りでしのいで何とか勝機を見出すしかなかったんですね。
高校野球の質が変わるまでには、もう少し年月がかかります。

優勝した箕島からは決勝打の上野選手がジャイアンツに入団しましたが、活躍の場はありませんでした。バッテリーの石井毅・嶋田宗彦は地元の社会人・住友金属和歌山へ。都市対抗でも優勝し、石井投手はライオンズ、嶋田捕手はタイガースへ。石井投手は腰痛が原因で、思ったとおりの活躍が出来なかったのは残念です。和歌山県には私大がなく、社会人チームも住友金属が廃部。そんな中で、『和歌山は野球王国じゃなかったのか?』『何で高校から先がないんだ?』と心を痛めるかつてのプレーヤーが行動を起こします。
箕島高校OBが中心になって、住友金属廃部の少し前に設立された【和歌山箕島球友会】
そして、石井投手(現・木村竹志)は、通信制高校と提携して、高校をやめてしまった子供がスポーツをしながら学べるスポーツ学校【和歌山スポーツアカデミー】を設立。そして次のステップとして、来春スタートする関西独立リーグに参加する紀州レンジャーズの理事長と監督に就任されました。道は険しいと思いますが、野球に携わる同学年には頑張ってもらいたいです。
嶋田捕手はタイガースへ。木戸捕手の控えに回ることが多く、7年間で300試合の出場にとどまりました。引退後もコーチ・スタッフとしてチームを支え、現在はファームのバッテリーコーチです。

箕島は決勝で池田(徳島)を降して春夏連続優勝を記録します。春夏連続優勝は62年の作新学院から98年の横浜まで5回記録されていますが、公立高校で記録したのは箕島だけです。2年連続も、旧制中学時代には和歌山中学・第一神港商業・広島商業・海草中学・小倉中学&小倉高校が記録していますが、【高校野球】となってからはゼロ。池田高校の【夏春連続】があるのみです。

今は和歌山と言えば智弁和歌山で、箕島が63回のセンバツを最後に甲子園から消えて、もう17年経ちまが、私の高校の卒業アルバムにも【3年間の出来事】として登場する箕島高校はいつまでも忘れられない高校です。

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プレイバック~1979.08.09 同級生は牛島・香川・仁村弟 浪商vs上尾

いよいよ、自分の同学年まで来ました
私の学年はプロで大成した選手がおらず(1つ下はなかなかのメンバーなのですが)、そこそこに活躍した選手も、表題のの3人以外ではジャイアンツの岡崎内野手、カープからファイターズで投げていた長富投手、ドラゴンズの中継ぎ投手だった鹿島投手程度でしょうか
が、この年の選手権は球史に残る好勝負がありました。もう一つの試合が偉大過ぎてかすんでしまいましたが、この試合も緊迫した好勝負でした

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あと1人…上尾“大魚”逃がす 浪商・牛島 同点2ラン

浪商(大阪)000 000 002 01|3
上尾(埼玉)100 001 000 00|2

浪商
(二)椎名
(中)木村
(捕)香川
(遊)山本
(投)牛島
(一)川端
(右)井戸
(左)森川
 打 山脇
 左 石見
(右)片山

上尾
(遊)福田
(二)細渕
(左)角田
(中)市川
(投)仁村徹
(三)江本
(一)長堀
(捕)長島
(右)梶原

上尾は浪商の力の前に屈したが、善戦は激賞に値する。
仁村徹投手は下手投げ特有のくせのある球を十分に生かしたすばらしいピッチングで、香川・牛島を軸とする強打の浪商打線に真っ向から勝負を挑み、9回2死までは完全に自分のペースで投げた。あるときは外角へカーブを、またあるときは内角へシュートをと仁村徹の右腕はさえ、2-0のリードを守り切るかにみえた。
試合の主導権を上尾に握られた観の浪商は、9回2死1塁で牛島が内角に入ってくる変化球を左へ2点本塁打。土壇場での1打で、ようやく苦境からはい出した。形勢を互角にしてからの牛島-香川のバッテリーは、すっかり本来のペースに立ち戻った。バットを短く持って牛島攻略に必死の上尾打線も、立ち直った牛島の球に的が絞りきれずに終わった。
延長11回、浪商は1死から木村が右中間3塁打。香川は仁村徹の頭脳的な配球に三飛に倒れ、これまでかと思わせたが、山本の左中間長打で決勝点をあげた。
上尾は1回、1死2塁で市川が遊撃右を抜いて1点。6回には2死3塁で仁村徹が2塁右へ強打(記録は失策)して2点目をあげた。積極果敢なスイングで牛島を攻め、9回2死まで優位に試合を運びながら、あと一人のところで投げた仁村徹の甘い変化球。この1球が惜しまれてならない。それにしても、対外試合禁止から短期間で立ち直って、すばらしい試合を見せたのは立派だった。

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記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

高校3年だというのに受験勉強もせずに東京へ遊びに行ってまして、電車の中でラジオのイヤホンで聞いていました。牛島のホームランは西武線の江古田あたりだったかなー?
『もうアカン』って思いました、正直な話。ホームランで同点と言われてもピンとこなくて。
【野球は9回2死から】の典型的な試合でした。

牛島投手はドラゴンズに入団。そして、落合選手との電撃トレードでオリオンズへ。故障が多く、30代前半での引退は残念でした。14年間で395試合に登板、53勝64敗126セーブ の記録を残しています。ベイスターズでの監督業は不完全燃焼に終わってしまいましたが、同級生のリーダーとして、また現場に戻ってきてもらいたいです。
【ドカベン】香川捕手はホークスへ。初打席初本塁打を打ち、83年にはベストナインにも選出されますが、太りすぎで成績は低下、10年で引退します。決勝打の山本内野手も翌年ドラフト外でホークスへ入団しますが、1軍の試合には出場することなく退団しました。代打に出てきた山脇内野手もドラフト外でタイガースへ。しかし、和田・平田さんに久慈を抜くことは出来ず、1軍半の控え選手で終わりました。現在はタイガースの守備走塁コーチを努めています。
上尾の仁村投手は東洋大へ。通算29勝を挙げて83年ドラフト2位でドラゴンズに入団(4位指名で入団したのが、先日200勝を達成した山本昌)。入団後は1試合に登板しただけで内野手に転向。主にセカンドを守り、勝負強い打撃で主力選手として活躍し、主将を務めたことも。マリーンズへ移籍して97年に引退。その後、2004年までドラゴンズでコーチを努めておられました。

近鉄バファローズがパリーグで優勝、これで優勝経験ゼロのチームはなくなりました。日本シリーズは伝説の【江夏の21球】。サザンオールスターズの“いとしのエリー”がヒットし、初代3年B組金八先生が放映開始。円広志の【夢想花】がヒットして“一発屋”という言葉が市民権を得、山口百恵が三浦友和と交際宣言し、翌年引退。
私は“彼女いない歴継続中”のまま、高校3年は過ぎていきました

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プレイバック~1978.08.20 逆転のPL

60回記念大会は30年も前の出来事なのですね(当たり前か…)
私は高校2年生、セブンティーンですわ
年が明けてすぐに原チャリの免許を取りました
『モーリス持てばスーパースターも夢じゃない♪』という、谷村新司のCMにそそのかされてギターを買ってフォークソング部に入部しました
でも、上手くならなかったらスーパースターにはなれんのですな
もっと早く言うて欲しかったthink

そんな時代もあったのかhappy01

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PL“不死鳥の逆襲”再演
柳川、左中間を真っ二つ 西田、歓喜のホームイン

高知商(高知) 002 000 000|2
PL学園(大阪)000 000 003|3

高知商
(三) 明神
(遊) 森田
(右) 正木
(中) 青木悟
(一) 松浦
(左) 中山
(投) 森
(捕) 坂上
(二) 中沢

PL学園
(中) 谷松
(一) 渡辺
(捕) 木戸
(投) 西田
(右) 柳川
(左) 荒木
(三) 戎
(遊) 山西
(二) 中村

2試合も続けて9回裏に、こんなドラマが起こると、誰が予想できたか。
3回に2点を先行され、PL学園は高知商の森に『ゼロ』を重ねた。ベンチで鶴岡監督はナインに何度もどなった。『1点がどうして取れんのや。きのうのようなことは2度と起こらんぞ』
だが、奇跡はまた起こったのである。今大会、前日まで10打数1安打の中村が突破口の中前打。幕開けにまず意外性があった。
森の顔が青ざめる。谷松に対して腕が縮みストライクが入らない。二宮主将がベンチから伝令に走った。リードを背負った投手は9回になると気持ちが攻めから守りに変わるといわれる。高知商ベンチはそれを心配して『これで終わると思うな、延長戦をやるつもりでいけ』とこの回森を送り出していたが、投げる本人には無理な注文だったかも知れない。
谷松ストレートの四球。渡辺のバントに森は立ちすくんだ。一塁手の松浦が拾って危うくアウトにしたが、この硬い動きにも森の不安はよく表れていた。前日、PL学園9回裏の逆襲に中京の武藤投手は『代えて欲しい』とベンチを何度もうかがったが、森の心境も同じようなものだったのだろう。
木戸の中犠飛で1点差とした後、打席に入った西田は、森の弱気を読んでいた。『2年生でしょう。経験不足で硬くなっていましたね』。1-1から西田はとんでもない高いボールに手を出し空振りした。『何でもいいから一つ思いっ切り振ってやろう』とヤマを張っての失敗だったが、不安いっぱいの森は、この強振に恐怖を感じたかもしれない。4球目は内角カーブ。森は『ねらったとこへいった。失投とは思わない』といったが、西田に言わせると『左打者にあのカーブはボクもよく打たれる球』。これが同点の二塁打。
このあと柳川の打球が左中間を真っ二つに割って、西田が両手をあげて本塁へ。森は柳川の一打を何か信じられないものを見るように、ぼう然と見送っていたが、マウンドを2,3歩降りると、しゃがみこんでしまった。勝者から一気に敗者へ。残酷な場面だった。
西田は4回、三直を打ったとき、球につまって左手の親指を痛めた。『気の強い子』(鶴岡監督)で、西田はこの試合明らかに気負いがあり、3回の失点は多分に力みが災いとなっていた。だが、親指を痛めたことで、投球を『打たせてとる』方向に変えた。これが高知商の追加点を阻むことになったのだから、野球は面白い。
PL学園はこの試合、ジャンケンに勝って『後攻』をとった。木戸が“グー”で高知商の二宮は“チョキ”。鶴岡監督は『昨日の9回裏を考えて後攻をとらせたのではない』と苦笑したが、後になってみると何もかもが『9回裏』のおぜん立てになっている。高知商はやはり運がなかった。

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記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

前日の中京戦も9回裏に4-0を追いつき、延長12回裏にサヨナラ勝ち。【逆転のPL】の名を全国にとどろかせ、過去2回決勝戦で涙を呑んできたPLはこれが嬉しい春夏通じての初優勝。テレビ観戦をしていましたが、内容はあまり覚えていませんsweat01 ただ、試合後に涙が止まらない森投手を上級生がなぐさめていた姿は覚えています。

PLの主将・木戸は法大へ進学してベストナイン5期連続の活躍でタイガースへ。田淵さんがトレードで移籍した後空いていた捕手のエースナンバー【22】を背負って、85年V時の正捕手。今はタイガースのコーチ。エースの西田投手も木戸捕手と同じく法大へ進学して外野手に転向。こちらもベストナイン5回の活躍で卒業後はカープへ。しかし、山本浩二さんに山崎さんといった鉄壁の守備を誇る選手がいたためにレギュラーは取れず、【代打の切り札】として長年活躍しました。現在は四国・九州アイランドリーグ・香川オリーブガイナーズの監督をされています。

敗れた高知商業の森投手はブレーブスへ。もっぱらワンポイントリリーフが役目で12年間4勝6敗の成績を残して引退。昨年まで打撃投手をしていました。その森投手がピンチになると高知商業の谷脇監督が『あれが森へのボクの作戦』と、継投するつもりもないのにブルペンへ走らされた控え投手はタイガースの中西コーチ。木戸さんと同じく85年Vメンバーで、胴上げ投手になりました。

この年はタイガースがセ・パ両リーグ分裂以来初めて最下位に沈む年。この日も初回に先制したもののジャイアンツに逆転されて29勝63敗、首位との差は26ゲーム。どうしようもないブッチギリの最下位です。

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プレイバック~1973.08.22 初めてのナマ観戦 広島商業vs静岡

毎日暑い日が続きます
甲子園も、熱戦が始まりました
私が野球に興味を持ち始めて4年、初めて球場で見たのがこの試合です
暑かったなんてもんやない
家から持っていった水筒の麦茶はあっという間に空っぽ
カチワリ(1つ50円だったかなー?)を1イニングごとに買っていた記憶があります
暑くて、試合内容はあまり覚えていません(^_^;;;

みなさんの初めてのナマ観戦は?

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9回満塁、スリーバント成功! 栄冠五たび広島商に

決勝
静岡  (静岡) 000 001 010  |2
広島商(広島) 200 000 101×|3

静岡
(三)  永嶋
(遊)  永野
(中)  植松
(捕)  水野
(左)  白鳥
(右)一 高橋
(一)  岸端
走右  森内
(投)  秋本
(二)  野田

広島商
(三)   浜中
(左)中 田所康
(遊)  金光
(右)  楠原
(一)  町田
(捕)  達川
(二)  川本
(中)  大城
 打   田代
 左   大利
(投)  佃


先制の広島商に食い下がっていく静岡の小気味よい攻撃が実を結んだ8回に、この決勝戦は最高潮に達した。余すところ1回、両チームの攻防ぶりから見て、延長戦となりそうな気配でもあったが、広島商は9回のトップ打者楠原が内野安打、四球、バントで1死走者3・1塁の好機をつかんだ。静岡ベンチは満塁策をとって1死満塁。打者は大利。大利はスクイズすると見せかけて秋本を揺さぶる。カウント2-2。秋本の第5球目を3塁前にスクイズ。楠原が決勝のホームを踏んだ。秋本がもう1球、打者大利に対して警戒して投球すべきではなかったか。そんな悔いも残ろうが、2-2から冷静に3塁前にバントした大利をたたえるべきだろう。
広島商は立ち上がり浜中の幸運な遊ゴロ悪投で静岡を動揺させた。それを裏付けるように静岡は、田所の投手右のバント処理を誤った。このバントは無人の野手の間を転々、広島商に劣らない好守の静岡だが、この守りは首をかしげたくなるプレーだった。金光のバントで1死2・3塁のあと、楠原の一撃は一直、野手はためらいもなく3塁に送球したがセーフ。この捕球の一瞬一塁手が大きく離塁していた2塁走者に目を注いでいたら難なく併殺にし、このピンチを脱し得たろう。このあと、町田に左前に適時打されて早くも2点の重荷を背負って左腕佃に向かっていった。静岡は3回、秋本が左中間に3塁打、1死後永嶋は1-2からスクイズ失敗。秋本は3本間できょう殺された。このあと連続四球を得ただけに、ベンチが佃をゆさぶるべく永嶋にバントの構えをさせるなどして、四球を選んだ後の攻撃策を考えていたらと惜しまれた。

さらに6回、永野三前安打、強打植松は期待にそって右中間に長打して無死2・3塁、続く水野の一打は打った一瞬、前進守備する二塁手の頭上を抜くかに見えた。ところが川本二塁手はこの打球を横っとび、逆シングルで捕球して二塁走者を併殺にした。この一打が抜けておれば、この決勝の試合内容は変わっていただろう。静岡にとって惜しまれる逸機であり、球運から見放されたといってよい。広島商の佃の投球はまったく薄氷を踏む感じであった。その佃を8回再び植松が左中間に長打、水野の中犠飛で同点。満場をわかしつつ最終回を迎えたが、静岡は一打リードのチャンスを逃した後、広島商大利の巧妙なバントに敗れた。この一戦、静岡の秋本、広島商の左腕佃は連投のため、その投球に精彩はなかったにせよ、両チーム必死の攻防は決勝戦にふさわしい緊迫感があった。
スクイズバントの明暗が勝敗を分けたともいえるが、攻撃力を看板とする静岡は堅守の広島商に破れた感が深い。

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記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

この大会の目玉はもちろん江川投手。センバツでは大会奪三振記録を更新しながらも準決勝敗退。その江川の作新学院を破ったのが広島商業。センバツでは決勝で永川投手擁する横浜高校に延長の末敗れて準優勝(高橋光・松坂・鈴木尚・成瀬・涌井・多村・阿部ら多くの現役選手を輩出した名門横浜高校、この時が春夏通じて初めての優勝でした)。『夏こそは!』と、期するものがあったでしょう。

広島商業の達川捕手は東洋大学を経てカープへ。現役時代を覚えていなくても、珍プレー特集で『かすったかすった』とアピールするひょうきんな選手…と言えばわかるでしょうか?
静岡の植松外野手は法政大学を経てタイガースへ。法政黄金時代の主軸打者として期待は大きかったのですが、プロでは大成できずに去りました。広島商業のキャプテン・金光内野手は法大へ。卒業時はバファローズから1位指名を受けるも拒否して三菱重工広島へ。引退後は広島商業監督を務めた後、現在は法政大学監督。流れを変えたファインプレーの川本内野手は高校野球解説を長く努め、広島商業監督の監督も経験されました。佃投手は法政へ進学しますが、野球部では登板機会に恵まれず(そりゃ、江川と同学年では…)。三菱重工広島で選手生活を終えた後はサラリーマンとして過ごしておられましたが、2年前に病気のため帰らぬ人となりました。

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