平成21年 野球殿堂入り決定
4名の表彰者の中から、若松さんと故・大社義規さんをとりあげました
若松さんは4年前までスワローズの監督を務めておられたので、ご存知の方も多いかと思います
北海高校から電電北海道を経て71年にスワローズに入団
身長170センチ足らず(私とほぼ同じ)の小柄な体格ながら、スワローズ一筋19年プレーを続け、初優勝した78年にはMVPにも輝いています
引退後、解説者を経て93年にコーチとして復帰、99年から05年までは1軍監督を務め、01年にはバファローズを降して日本一になっています
物静かで目立たない方ですが、選手として通算打率は3割をアッサリ超え、監督としても勝率5割をキープして優勝1回
【ミスタースワローズ】と呼ぶにふさわしい方だと思います
球団も若松さんの功績に報いるため、【背番号1】は池山(36⇒1)・岩村(48⇒1)という、チームを背負って立つべき選手にしか与えていません
(48ってやっぱし出世番号だわ)
スワローズは小さな選手がレギュラーとして活躍するチーム(2008年防御率1位の石川投手も手元の資料では身長169センチ)です
チーム最多安打打者と編成部長(安田さん)が身長170センチ足らずでは、『身長が足らないからアカン』とは言えませんね
ウチも吉田義男さんの身長は170センチなかったんだけど…
通算成績(選手)
2062試合(歴代32位) 6808打数 2173安打(歴代19位) 884打点 220本塁打(歴代73位) 355二塁打(歴代24位タイ) 43三塁打 151盗塁 56犠飛(歴代31位タイ) 574四球 463三振 112併殺打 打率.319(4,000打数以上で歴代2位・日本人1位)
試合数も打数もそれなりに重ねていながら、併殺打と三振がとても少ない好打者だったことが分かります。四球が少ないのはチョッと意外でした。とにかく当てて前へ飛ばしチームには迷惑をかけない、素晴らしい打者であったことがわかります。
若松さん、おめでとうございます
故・大社オーナーは日本ハムファイターズの生みの親と言われています
社業の知名度アップのためにとプロスポーツへの参入を考え、同郷の故・三原脩さんに相談。73年に日拓ホームフライヤーズを買収しました。初代球団社長は三原さん、監督は中西太さん。
しばらくは下位に低迷しますが、大沢監督が76年から指揮を執り、柏原さんが移籍してきた78年から3年連続で3位。生え抜きの高橋直樹投手らに加え、古屋さんや島田誠さん、高代さんといった選手がレギュラーに定着して戦力がアップしてきました。81年には江夏さんをリリーフエースとして迎え、ソレイタ・クルーズの両外国人選手の活躍もあって62年のフライヤーズ時代以来の優勝を飾ります。
大変な野球の好きな方で、いつもチームの試合経過を気にかけ、度々球場へも足を運ばれたそうです。2002年にオーナー職を辞任した後も常に球団を気にかけ、2004年の北海道移転成功を見届けた後、2005年4月27日に亡くなられました。
スタンドに閑古鳥の鳴く時代から心血を注いで球団経営に尽力され、北海道の地で地元に支えられ愛される市民球団として成功するまでには、オーナーの並々ならない努力があったと思います。
球界の発展に長く貢献頂き、ありがとうございました
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Comments
ヒデさん
記録では出てきませんが、【この場面ではこのコースへ打てば勝ち越せる】という打法に徹していたのではないかなーという気がします。ドカーンと一発は無くても、キッチリと打点を稼いでいたような印象があって、ウチもよくやられました。
(杉浦さんと角さん、近年では土橋が嫌いだったな)
長くやっていれば、投手だと失点・与四球等、打者であれば三振や併殺打といった【負の記録】も積み重なり、投手であれば【全て金田・米田】という図式になります。
若松さんは1シーズンで50以上三振したシーズンが一度もありません。それどころか、規定打席をクリアして30三振未満にまとめたシーズンが7回もあります。ちなみにリーは30を切ったシーズンゼロ、張本さん3回、小川モーやんが5回、藤田平さんが4回、イチローはゼロ…
併殺打の少なさも、福本さんの65は別格としても、広瀬さんの93と比較したら【右か左か】【トップバッターか主に3番か】を考慮しても遜色の無い数字だと思います。
(歴代盗塁数上位5選手の併殺打数=柴田さん:78、木塚さん:51、ヨシヒコさん61)
投手で言えば、亡くなられた稲尾さんが【負の記録】の少ない投手でしたが、打者版は若松さんではないでしょうか。
Posted by: シルク | January 14, 2009 01:20 AM
若松っつぁん、よかったねぇ
若松さんと言えば、忘れてならないのが勝負強さで、確か2夜連続代打サヨナラ本塁打なんてのをかっ飛ばしてたはずです。
もうあと何年か監督やって、古田に帝王学を教えてほしかったなぁ。
Posted by: ヒデ | January 13, 2009 11:33 PM
ごんふくさん
あの名言?は、極度に緊張したことで生まれたのだと思いますが、腰が低くて口下手であろう若松さんらしいと思います。
およそ勝負の世界に生きる人らしからぬ方ですが、選手としてだけでなく、監督としても勝率5割超は立派だと思います。
永久欠番は良い番号がなくなってしまうのでどうかなーと思うのですが、【それなりの成績を残し、チームの柱として働く選手となるまでは簡単につけさせない】というのは賛成です。ウチはどうもそのあたりが…やめとこ
中西太さん(入団時のコーチ)が『北海道まで若松君をプロに誘いに行った時に父親に「よろしくお願いします」と言われた。ようやく約束を果たせた』とコメントされています。こういう思いで指導を続けてこそ、多くの好打者を育てる事が出来るのかと思いました。
部長
川上さんと別所さんは別格としても、千葉さん、白石さん、与那嶺さん、呉さんといった選手がすでに殿堂入りをされていることを思えば、サンデー毎日事件は多少なり影響はあったかもしれませんね。
それと、言いたい放題で敵も多かったのかもしれませんね。スポニチのサイトに奥様のインタビューが出ていますが
http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20090113086.html
健在だったら?の問いに奥様は『また余計なことを言うんじゃないですかね』と答えておられます。
青田さんも取り上げたかったのですが、仕事中なんで(^_^;;;
Posted by: シルク@仕事せな | January 13, 2009 09:26 PM
青田さんの殿堂入りが今日(こんにち)にまで至ったのが意外でしたな。
【サンデー毎日事件】が効いてるんですかね?(^^;
Posted by: スチャラカ部長 | January 13, 2009 08:57 PM
暗く、世知辛いニュースが多い中、わたしにはひさびさにうれしいニュースです。
現役時代から若松さんは大好きな選手でした。
通算の打率が3割1分9厘というのはすばらしい。
個人的には背番号「1」は永久欠番にしてほしかったんです。
「ファンのみなさん、おめでとうございます」という口をついて出たセリフも、ある種名言でしたね(^^)
Posted by: ごんふく | January 13, 2009 08:35 PM