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プレイバック~広島カープ名場面(2) 悲願26年初優勝

1975年10月15日 後楽園

広島 000 010 003 |4
巨人 000 000 000 |0

勝:外木場20勝13敗 敗:新浦2勝11敗 S:金城4 本塁打:ホプキンス32号

広島
(二) 大下
(遊) 三村
(一) ホプキンス
 一  久保
(中) 山本浩
(三) 衣笠
(右) シェーン
走右 深沢
(左) 水谷
(捕) 道原
 捕  水沼
(投) 外木場
 投  金城

巨人
(中) 柴田
(二) 土井
(左) 淡口
(一) 王
(右) 末次
 投  倉田
 打  高田
 投  小川
 投  高橋一
(三) ジョンソン
(捕) 吉田
 打  萩原
(遊) 河埜
(投) 新浦
 投  高橋良 
打右 柳田

広島の先取点は、巨人守備陣の乱れが足場となって生まれた。5回1死後、道原はなんでもない3塁線へのゴロ。これをジョンソンがはじいて、道原は一挙2進。外木場右飛のあと、大下の一打はライナーで左翼フェンスまで飛んだ。淡口が追いついたが、守備のまずい淡口は打球をグラブに当てただけで二塁打となった。
1点を追って巨人も粘った。6回、柴田の右前安打から、淡口の右中間二塁打で2・3塁とし、王につないだ。だが、王は敬遠。勝負された末次は、初球内角をシュートで攻められたあと、2球目の外角球を打たされて、2ゴロ併殺打に終わった。7回も2死1・2塁で当たっている柴田に回ったが、タイミングを外されて2ゴロ。そして8回は1死から淡口が一塁強襲安打、王四球で外木場を攻略した。だが、救援した金城の速球に、代打高田が一飛、ジョンソンが遊ゴロで1点が取れない。
巨人の食い下がりを持て余し気味の広島は、9回1死1・2塁でホプキンスが巨人5人目の高橋一に、右翼へ3点本塁打してダメを押した。苦しみながらも投打に巨人を圧倒して、大事な1勝を勝ち取った広島には、優勝チームの貫禄があった。

朝日新聞縮刷版より抜粋しました

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カープが球団を創設し、セリーグに加入して以来26年、悲願の【優勝】を達成したのは、1975年10月15日の後楽園球場でした。チーム創設当初は資金難で選手の月給が遅れたりして、解散の危機も何度かあったと聞きます。ドラフトの無かった時代は、新人獲得は自由競争。マネーゲームになったらカープは勝てない…そんな悪循環が長く続きました。が、ドラフトが実施されてどのチームにも有力選手を指名するチャンスが訪れます。そういう状況で入団したのが山本浩二さん。
かつてのカープのレギュラーで、盗塁王になった事もある古葉監督の目指す機動力野球に移籍してきた大下さんがピタッとはまり(44盗塁でセリーグ盗塁王)、山本浩二さんが首位打者。投手陣は外木場さんが最多勝と最多奪三振の活躍でした。
先日亡くなった、ルーツ監督のシーズン開幕直後辞任の危機を乗り越え、カープは見事に優勝しました。

ちなみに、この年はジャイアンツが球団創設以来初めて最下位に沈んだ年。引退即監督就任の長嶋さんには辛いシーズンとなりました。シーズン終了後、ジャイアンツは高橋一三さんと富田さんを放出してファイターズの張本さんを獲得。また、ライオンズとの間で関本+玉井⇔加藤初+伊原のトレードも行われました(選手の名前だけだと思いっきり不釣合いな気がしますけど…)。
カープの優勝により、セリーグ優勝未経験はスワローズを残すのみとなりました。スワローズの優勝にはあと3年かかるのですが、この日のタイガース戦、スタメンに永尾・若松・大矢・杉浦・渡辺といったVメンバーが名を連ねています。優勝への手がかりは着実に出来ているようです。

神宮球場では、早大vs法大の試合が行われました。早稲田のメンバーには山倉さんと松本匡史さん、法政のメンバーには江川・高代・岩井・植松・袴田といった名前が見られます。東京六大学が輝いている時代ですね。

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Comments

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>0223さん
手元の新聞のコピーには、ホームインするホプキンスを古葉監督が出迎える写真が掲載されています。金城さんの打撃成績が1-1となっていますので、安打で出塁していたようですね。記事から推測すると、1死から金城さんがヒットで出塁、大下さんが1塁線へ絶妙のバントヒットで1・2塁、三村さん凡退後にホプキンスのスリーランのようです。

>ごんふくさん
外木場さんは九州男児ですよね(鹿児島県出身)
一人で3度ノーヒットノーランを記録したのは、故・沢村栄治さんと外木場さんの二人しかいません(2回はカネやん他計7名)。ノーヒットノーランの2回も、走者1名出しただけでした。
http://www.npb.or.jp/history/list_nohitnorun.html
そんな名言があったとは知らなかったなー

Posted by: シルク | February 18, 2009 at 12:13 AM

かつて外木場投手はノーヒットノーランをやってのけたとき
「なんなら、もう1回やりましょうか」
と言ってのけたというエピソードが残っています。
おお、カッコいい!
プロ野球選手の名言は数あれど、わたしはこの外木場のひとことにシビれます。
実際生涯2度のノーヒットノーランと1回の完全試合を達成してますからね。

Posted by: ごんふく | February 17, 2009 at 09:11 PM

後楽園は秋口になるとライトへHR風が吹く事が多かったんですな。
「HRだけを警戒した。今日のは自分のピッチングスタイルじゃない」のコメントもありました>外木場投手

ホプキンス3ランの時のランナーの1人が金城さんでした(ヒット?で出塁)。
手持ちの映像では、三塁ベース付近で古葉監督と一緒にバンザイしてる場面が残ってます。

Posted by: 0223. | February 17, 2009 at 09:07 PM

そう言われて気になり、帰宅して新聞のコピーを確認しました
投球回数の欄、外木場:7+1/3 金城:1+2/3となっております

30年以上前の記憶なんて、曖昧なもんですよ
プレイバック書いていて、しみじみと思いますわ

Posted by: シルク | February 16, 2009 at 11:38 PM

記憶違いとはオトロシイもので。
この試合、最後は金城投手が締めくくってるんですが、
9回表にダメ押しの3点が入った後に外木場から金城に代わったもんやと
今の今まで思い込んでました(^^;

前年20勝のあと交通事故であわや失明の危機。
そこから不死鳥のようなカムバックを果たした金城投手。
その彼が胴上げ投手とは、古葉監督もやるもんだ(^^と
33年もの間勘違いをしておりました(^^;;;

8回裏にピンチがあって、ここで外木場投手からスイッチしたんですなあ。

Posted by: スチャラカ部長 | February 16, 2009 at 03:44 PM

駒大が2部????

しばらく目を離していたら、そんな事が起こっていたとは
自分の世代前後って、駒大全盛期ですから信じられません

ジョンソンって、ジャイアンツ戦後初のカタカナ外国人選手でしたよね、確か
WBCのアメリカ監督とは

誤審連発で名を上げた?【ボブ】は、今回のWBC審判には入っていないんでしたよね

Posted by: シルク | February 16, 2009 at 12:21 AM

>>74年まで【善正】で、この年から【良正】のようですね(ウィキペディア)

それは知りませんでした。勉強になります。確かにプロ野球選手って改名する人多いですよね。字だけだったり、ガラッと変えてみたり。

でその高橋さんが中央大学の監督をされているのは知ってました。当時はけっこう話題になりましたしね。中大は東都2部に落ちてたんだけど去年の秋から復帰しましたね。なんと入れ替えで落ちたのは駒澤大学です。秋のシーズン終了後の入れ替え戦では日大が落ちて國學院大が昇格したようです。

ちなみにデーブ・ジョンソンはWBCのアメリカチームの監督ですな。

Posted by: ぼぶ@豊橋 | February 16, 2009 at 12:11 AM

0223さん
手元の新聞によると、『肩はパンクしそうに重かった』『スピードはもう一つ』『ストレートで勝負するのは怖かった』『でも、きょうは変化球のコントロールには自信があった』というコメントが出ています。

当時って、【スライダー】【フォーク】って、投げる投手はあまりいませんでしたよね?
カーブとシュートとストレートの時代

【ドロップ=縦割れカーブ】でしたっけ?

Posted by: シルク | February 16, 2009 at 12:03 AM

文中に何度もジョンソンの名が出てきますけど、【害人】のレッテルを貼られかけていた彼も、9月あたりから打つようになってたんですよね。外木場さんにめっぽう強かった末次さんと合わせ、この試合では恐れてました。

で、その末次さんを併殺打に討ち取るわけですが、その時投げた球は「そのシーズンでたった1球だけ投げたスライダー」だったそうです。一か八か!の面もあったんでしょうね。

あの場面をもう一度!な方は、毎回紹介してますが(^^)コチラをどうぞ。
http://www.rcc.net/carp/library.htm

Posted by: 0223. | February 15, 2009 at 11:43 PM

86年から【ゴールデン】のようですね
高田さんのコンバートは覚えています。確か、ジョンソンって本職はセカンドかショートだったんですよね。
♪高田の 背番号も 知らないくせに って歌詞になるくらい、人気ありましたよね

高橋投手ですが、74年まで【善正】で、この年から【良正】のようですね(ウィキペディア)。パーフェクトゲームや新人王など、全盛期は【善正】だったんですね。まったく意識無く新聞を転記していました。

で、調べてビックリ
現在、高橋さんは母校・中央大学の監督をされているそうです(【甲子園への遺言】の故・高畠導宏さんが中大同期、2学年上が末次さんと故・武上さん、1学年下が水沼さんに中塚さん…そうそうたるメンバーですね)
で、もう一つビックリは、高知商業時代にバッテリーを組んでいたのは、後に同校の監督として有名になる谷脇さんだそうです(私と同年代の高校野球ファンだったら、名前位は知っている可能性大)

知らなかったなー

Posted by: シルク | February 15, 2009 at 11:41 PM

カープの話でなくて恐縮ですが、

この翌年のジャイアンツはシルクはんの挙げられたトレード以外の大きな変化として、高田さんのサードコンバートがありましたね。【塀際の魔術師】と称された外野守備の名手を内野コンバートですからね、大変な驚きでした。コンバートされたその年にゴールデングラブ(ダイヤモングラブ?)も取りましたからね。

追:この試合でリリーフに出ている高橋投手は芳正dangerもとい善正じゃなかったでしたっけ。(高橋良ではなく高橋善では?)

Posted by: ぼぶ@豊橋 | February 15, 2009 at 10:43 PM

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