おつかれさま、ドラゴンズ・立浪和義内野手
ドラゴンズの内野手として現役22年
現役最多安打(歴代7位)、プロ野球通算最多2塁打の記録を持つ立浪外野手が、正式に引退を表明し、本日(9/30)のジャイアンツ戦終了後にセレモニーが行われました
タイガースの暗黒時代が始まった87年、PL学園は春夏連続優勝します
投手は橋本・野村・岩崎の3本柱
主力打者は立浪・片岡・長谷川・深瀬
センバツでは関東一、選手権では常総学院を降しての優勝でした
この年の選手権は左うちわでしたな、軸は鉄板でベスト4に3校残って
今では珍しくなくなった、先発タイプ投手を3名揃えるチーム編成
記憶にある限りでは、私の学年の前橋工業が最初だと思いますが、優勝したのはこの年のPLが最初ではないでしょうか?
同学年では野村(ホエールズ)・橋本(ジャイアンツ)・立浪が高卒即プロ入り、片岡は同志社大学を経てファイターズに入団します。
立浪選手は、当初ホークスが一本釣りと言われていました。そこへ割り込んだのがドラゴンズ。抽選の結果、立浪選手はドラゴンズへ。外したホークスは本田技研熊本の吉田豊彦投手を指名・獲得します。
ちなみにこの年のホークス、吉田・若井・柳田・大道・吉永・村田と獲得。【全員1軍戦力】の大当たり年でした。
他の主な指名入団選手は
タイガース=野田・山田勝彦、バファローズ=高柳、ホエールズ=盛田・野村・岡本透、オリオンズ=伊良部・堀・大村、スワローズ=長嶋・鈴木平・中西・城、カープ=石貫、ファイターズ=武田・芝草、ドラゴンズ=上原・音、ブレーブス=伊藤敦規・伊藤隆偉、ジャイアンツ=橋本・後藤、ライオンズ=鈴木健 といった選手です。
高校生が大当たりの年度でした。
翌年、開幕戦にスタメン出場(高卒野手のスタメンは王さん以来)して110試合に出場。打率.224ながら、ゴールデングラブ賞を獲得し、新人王(セリーグでは初の高卒野手?)にも選ばれます。
その後、堅実かつ力強い打撃で打率3割を7度記録し、攻走守揃った内野手として活躍したのはご存知の通り。ここ4年ほどはレギュラーを外れていますが、勝負強い打撃で代打の切り札として活躍していました。
昨シーズン末に、『来年で引退』と宣言していましたが、正式に引退を表明し、本日が引退セレモニーとなりました。
プロ初安打がツーベースだった立浪選手は、3年ぶりスタメン出場の今日も3安打。その最後の安打もツーベース。
これはプロ通算487本目となり、自らの日本記録を更新しました。
引退後の進路は未定との事ですが、今後もドラゴンズのみならず、野球界の発展のために頑張ってもらいたいと思います。
立浪、おつかれさま!
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Comments
雨の日が続いて(京阪神地方)うっとうしいですね
>0223さん
長期戦線離脱の少なかった立浪、レギュラーになってから出場試合数が100試合に満たなかったのは2年だけですね
身長も手元の選手名鑑では173センチと、プロ野球選手では小柄な部類
トレーニングと節制に工夫があったかと思います
>ぼぶさん
ご心配をおかけしました
原因は肩こりかな?と思われます
ありがとうございます
加藤正樹がそんな仕事をしていたとはしりませんでした
梨田さんに佐々木修に村上…主婦向けCMやイベントの仕事が多そうな感じですね
実際、佐々木と村上は関西ローカルで主婦向け番組のレポーターなどやっていたそうですし
当時のバファローズは新井さんに鈴木貴久、外国人選手、新井さんの引退後は中根が台頭してきて、層が厚かったので、特長がないと常時出場は難しい状況でしたね
Posted by: シルク@仕事せな | October 02, 2009 02:14 PM
シルクはん、体調はいかがでしょうか?
>>当時は早稲田ももう一つだったのでは?
そうだす。リーグ戦成績は4位が指定席でした。 とは言えぼくと同学年の早稲田からは2人プロ野球選手が出てますね。石井浩郎君はプリンスホテル経由ですが、加藤正樹君は大学から直接ですからね。
加藤正樹君はなんと今はプロダクションの社長で梨田監督や佐々木修氏、村上隆行氏が所属しているそうです。バファローズで商売してますな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%AD%A3%E6%A8%B9
Posted by: ぼぶ@豊橋 | October 01, 2009 10:15 PM
入団した頃の立浪のヒッティングマーチって【ガラスの十代 by 光GENJI】でしたよねぇ。
それから不惑の入り口まで一線を張ってきたのだから、偉いモンです。それだけケガも少なかった…ということでしょうね。
Posted by: 0223. | October 01, 2009 09:35 PM
風邪ひいたかな?頭が痛いです
>ごんふくさん
【指名選手全員スカ】というケースはどのチームでも時々ありますが、【全員が戦力化】というのはめったにないでしょう。
【南海ホークス】で残るは大道ひとり。【阪急ブレーブス】は中嶋と高木が残っていますが、高木は戦力外通告(現役続行希望)。
昭和は遠くなっていきます
>部長
ホークスはお金が無くて、マネーゲームには参戦出来ませんから、この頃は高校生育てる事に力を入れていたようで、佐々木や岸川、湯上谷、加藤、畠山、藤本ら、それなりの成果は上がっていますので、立浪もそこそこにはやれたと思います。
ただ、歴代通算○位という記録を作るレベルにまでなったかどうか?
でも、入団していて、立浪・井口・小久保・松中・城島・秋山(全員かぶってるかな?)という打線になっていたら、夢がありますね
>ぼぶさん
当時は早稲田ももう一つだったのでは?
野球を避けたくなる気持ちもわかりますな
ウチはここから暗黒時代なので
打って走って守って、三拍子こなせなくなったので引退というコメント、抑揚の無い淡々とした語り口だったのですが、これがとても響きました。
Posted by: シルク@仕事せな | October 01, 2009 04:45 PM
22年と言われてもピンと来なかったですけど、同期入団の面々を見て「あれ、社会人同期だったけ」と思い出しました。 あの年は異郷に来て、また星野監督就任、初優勝で大盛り上がりだったからなぁ。(あの年創刊された中部版ぴあの表紙が「星野仙一氏」であったのを今でも覚えております) 意識的に野球のニュースを遮断してたかも。
ともあれ立浪らしい引退試合でした。野球に対する自分なりの哲学もあるし男らしいし。現場に戻ってきてほしいですね。
Posted by: ぼぶ@昼休み | October 01, 2009 12:18 PM
南海党としては今でも【あの時ホークスが指名権を獲得してたら】と思うんですが、
ドラゴンズと縁があったからこそ、ここまでやれた気もしますな。
星野さんに鍛えられて。
そういえば、あの年ホークスは立浪を指名できていたら、
若井は指名せなんだかもしれませんな。
人生いろいろ、だなあ。
Posted by: スチャラカ部長 | October 01, 2009 09:05 AM
立浪が40歳と聞いて、ええっ、もうそんなトシ・・
ということは自分もそれだけ年取ったってワケですね。
19年勤務した前の会社に入社したとき、ちょうど立浪も中日に入団してきたので、若々しかった彼のことはよく覚えています。
そうか、この年のホークス(南海最後のシーズンでしたね)、けっこうあたりだったのね。
大道がいまだ現役なのが感慨深い。
Posted by: ごんふく | October 01, 2009 06:29 AM