私鉄沿線~南海本線【岸和田】
南海本線の特急停車駅であり、泉州(大阪府南西部)南部の中核都市・岸和田市。泉州に土地勘のない方にとって、『岸和田まで来るともうすぐ和歌山』と思っている方は多いと思います。いえいえ、まだ大阪~和歌山の半分もきていません。仙台は東京⇔青森の中間より手前なのと同じような理屈ですな(違うか?)。
その岸和田、車で毎日通過しているのに、街の中をゆっくりと歩いた記憶がありません。
正月に小学校の同級生と岸和田市内で会いまして、その時に『あ、こんなに落ち着いた街やったんや』と気が付いた次第です。
完全オフの日曜日、岸和田を訪れました。
西側(=海側)から見た岸和田駅と、駅前商店街の入り口です。商店街は他の駅前商店街同様、苦戦している様子が見られます。空き家も数多く見られました。
北西⇔南東に細長い岸和田市、山間部へ向かうバスおよびタクシー乗り場は東側(山側)にあります。
商店街のアーケードを抜けると、府道・堺阪南線に出ます。原住民は『旧26号』『旧26(きゅうにーろく)』と呼んでおり、金融関係の岸和田支店はここに集中しています。
旧26号を少し南に進んだ本町付近です。子供の頃は大阪と和歌山を結ぶ幹線道路でした。山側の新しい国道26号線(原住民は【第二阪和】と呼びます)が完成したのは、バックスクリーン3連発の頃でしたでしょうか?
同じ本町付近ですが、こちらは江戸時代の幹線道路・紀州街道です。
その本町から南南東方向を見ると、岸和田城があります。
南北朝時代の武将・楠木正成の一族であった和田氏がこの地に城を構えた(現在の場所とは異なる)事から、【岸】という地名だったこの地が【岸の和田⇒岸和田】となったというのが通説です。
1640年に岡部氏の居城となって、大政奉還を迎えます。
江戸時代の城は1871年(明治4年)に廃藩置県によって廃城となり、取り壊されます。現在の城は1954年に再建されたものです。
岸和田城のすぐ東側にある、府立岸和田高校。1897年創立、旧第9学区トップレベルの進学校です。以前に紹介した奈良県立郡山高校と同様、城のすぐとなりにある高校というのは長い伝統を感じます。ファッションデザイナーのコシノヒロコ・コシノジュンコが卒業生です。
城のすぐ後ろにある建物が岸和田高校です。
現在は少し山側にある府立和泉高校が大阪府下4番目の高等女学校・泉南高等女学校として1901年に開校したのも、この地だったようです。
だんじりで有名な岸城神社。9月のだんじり祭りには、多くの人が訪れ、岸和田の街が熱くなります。
こんな身近な場所にこんな落ち着いた町並みがあるとは知りませんでした。たまには歩いてみないとダメですね。
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Comments
>ぼぶさん
『千日前デパートはとっくの昔になくなってまっせ』とかいうツッコミでも入るかなと考えてました
東京で初めてマルイのロゴを見たとき、『何て読むねん?オイオイ?』と考えました
Posted by: シルク@仕事せな | January 19, 2010 09:20 PM
》近年1つ増えましたので
え?と思って難波あたりの地図を見たらいつの間にマルイができてる。
マルイと言えば関東ローカルのファッションデパートだったのになぁ、三宮にもあるみたいだし。
ヨドバシカメラだって新宿ローカルだったし、ビックカメラは池袋ローカルだったのに。時代は変わりましたねぇ。
Posted by: ぼぶ@仕事せな | January 19, 2010 02:34 PM
>ぼぶさん
少し前まで【難波の某百貨店】というと、伏字になっているようでなっていなかったのですが、近年1つ増えましたので、立派に伏字になりますな。
伝統を感じさせる立地です、岸和田高校。
ウチの家はほとんど貝塚みたいな泉佐野です。アホ犬の散歩では境界線をまたいでいます。
Posted by: シルク@仕事せな | January 19, 2010 12:36 PM
》府立岸和田高校
大学時代の友人で岸和田高校出身のやつがおります。(実家は貝塚で今も貝塚に住んでます、難波の某百貨店勤め) ぼくが始めて密に接した関西人です、高校時代までは関西方面の人と接する機会なんかなかったんで。
ややこしいことに彼の嫁さんは豊橋の人でして。持って行かれた。
Posted by: ぼぶ@休憩中 | January 19, 2010 12:23 PM