タイガース背番号物語【58】【59】【60】~最終回

【58】
酒井啓吾⇒松永満⇒河内孝⇒安岡正博⇒椎木孝彰⇒交告弘利⇒中村利一⇒山本晴三⇒中村典夫⇒山田和英⇒吉川弘幸⇒武内淳二⇒右田雅彦⇒矢野正之⇒寺前正雄⇒窪田淳⇒川俣ヒロアキ⇒早川健一郎⇒高橋勇丞
【59】
岡本良⇒野崎洋⇒樋口和生⇒奥田修⇒加納茂徳⇒牛山晃一⇒木立章成⇒中村良二⇒奥村武博⇒橋本武広⇒エバンス⇒田中聡⇒モレル⇒ダーウィン
【60】
梅本正之⇒後藤次男⇒藤本定義⇒西村一孔⇒川西俊雄⇒土井垣武⇒似鳥功⇒続木敏之⇒山口重幸⇒嶋田章弘⇒田中秀太⇒東辰弥⇒小宮山慎二

58・59とも、トレードでやってきたけど力を出せずに終わったという選手が多いですね。中村良二は天理高校が初優勝したときの主軸打者(決勝を戦った松山商業には水口と佐野がいました)。バファローズで期待されながら力を出せずにタイガースへやってきましたが、1年で退団します。

橋本は身長167センチの小柄な投手。プリンスからホークスへ入団した時は先発したりもしていましたが、開花するのはライオンズへ移籍してから。セットアッパーとして左の橋本・右のデニーと毎年50試合以上投げ続けました。98年にはライオンズで胴上げ投手にもなっています。また、積み重ねた連続試合救援登板526は日本記録です。

☆橋本武広:560試合登板/0完投/92交代完了/13試合当初/12勝22敗/20セーブ/30セーブポイント/勝.353/投球回数482.2/374与死球/199奪三振/防御率3.71/最多ホールド(1997:パ:25)

連載を続けてまいりました【タイガース背番号物語】、キリのいい60番の今回をもちまして終了させていただきます。ご覧頂きました方、コメントを下さった方、ありがとうございました。
少し休憩して、次の連載(内容はほぼ決まってます)を始める予定ですので、よろしくお願いします。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【55】【56】【57】

【55】
西五十六⇒中山重夫⇒滝道章⇒塚本博睦⇒村上俊義⇒椎木孝彰⇒嵯峨山幹雄⇒後藤次男⇒野上俊夫⇒尾藤龍哉⇒高木昇⇒清家政和⇒田村浩一⇒真鍋勝己⇒立花義家⇒米村和樹⇒大豊泰昭⇒中込伸⇒吉本亮⇒喜田剛
【56】
山池馨⇒蘭定美男⇒西岡修司⇒ソロムコ⇒中島広喜⇒川崎徳治⇒林義一⇒楠橋高幸⇒山本重政⇒上辻修⇒林真人⇒飯田正男⇒御子柴進⇒橋本大祐⇒藤本敦士⇒原田健二⇒田村領平
【57】
浅越桂一⇒西能勇夫⇒太田紘一⇒長幡忠夫⇒鈴村充男⇒野崎洋⇒山下皓⇒小鶴誠⇒畑口健二⇒マックファーデン⇒坂口慶三郎⇒中沢泰司⇒井沢武則⇒真鍋勝己⇒宮崎則昭⇒工藤慎明⇒ディアー⇒中谷忠己⇒広沢好輝⇒山岡洋之⇒岡本浩二⇒細見和史⇒大橋雅法

ここまでくると、まだ出ていないレギュラークラスはいないだろう…と思ったら、結構いてるではありませんか
まず清家さん。柳川商業で久保コーチの1学年後輩。タイガースには5年間在籍して6本のヒットを打っただけでライオンズへ移籍。黄金時代に入るライオンズでも出番は限られますが、大仕事をやっています。87年11月1日、ニッポーテイオーがぶっちぎりで秋天を制したその日、西武球場で行われた日本シリーズ第6戦に先発出場した清家さん。クロマティーの緩慢返球で有名なこのゲームでプロ入り初ホームランという大仕事をやっています。清家さんは90年までライオンズ、91年からはスワローズで2年間、15年間地道に現役を続けられました。

大豊は関川・久慈とのトレードで矢野とともにドラゴンズから移籍してきます。が、全盛期の威力はありませんでしたね。そして、どちらかといえば格下的な存在だった矢野がタイガースにとって欠かせない選手になるのですから、トレードとはわからないものです。

56番では御子柴。細身のアンダーハンド投手は先発にリリーフに地味な存在ながら活躍します。もう少し力強さがあれば、もっと成績を残せたでしょうか。

☆清家政和:228試合/406打数90安打/1本塁打/36打点/27四球/72三振/打率.222

☆大豊泰昭:1324試合/4097打数/1089安打/200二塁打/8三塁打/277本塁打/722打点/26犠飛/522四球/1057三振/打率.266/本塁打王(1994:38)/打点王(1994:107),ベストナイン(1994:セ一)

☆御子柴進:251試合登板/2完投/1完封勝利/18勝26敗/2セーブ/10セーブポイント/勝率.409/投球回数527/250奪三振/防御率3.30

| | Comments (0) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【52】【53】【54】

【52】
池田芳巳→河原主尚→和田功→三宅博→松尾勝彦→池田純一→三宅培司(秀史・伸和)→中村利一→才田修→松永美隆→新井良夫→大串尚弘→沢幡誠士→嶋尾康史→石井宏→古里泰隆→遠山昭治→柴田佳主也→竹下慎太郎→赤松真人
【53】
石川要→柏木裕→藤本克巳→板垣一彦→滝川博己→杉本郁久雄→谷本稔→奥田修→勝亦治→江島聖一→中谷賢平→吉竹春樹→斉藤直哉→近田豊年→中川申也→清水義之→畑山俊二→上田好剛→ミラー→赤星憲広
【54】
鴨田肇→伊藤光四朗→大黒正一→宇都宗夫→溝口憲夫→山田伝→畑口健二→小川清一→松下立美→松下竜三→前田耕司→多岐篤司→平塚克洋→山岡洋之→ウイリアムス

やっと赤星までたどり着きました

大きな背番号を背負うというのは、さほど期待されていないという事が多いのですが、池田さん、吉竹さん、そして赤星。この背番号からレギュラーに成長した選手もいます。
かと思えば、両手投げの近田…結局出番は無かったなー

平塚さんはブルーウェーブからの移籍。暗黒時代に主軸を打つこともありました。タイガースが苦しかった事の表れでしょう。

赤星、暑い夏は大変だろうけど、君無しでVは考えられん。頼むぞ!

☆平塚克洋:588試合/1675打数 440安打/76二塁打/43本塁打/201打点/2盗塁/11犠飛/打率.263

| | Comments (0) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【50】【51】

【50】
山中政博⇒松沢勉⇒梶岡忠義⇒伊藤舜二⇒樋口和生⇒酒井貢⇒真鍋幹三⇒但田裕介⇒玉城正富⇒高木隆司⇒枝川正典⇒浜田知明⇒麦倉洋一⇒古溝克之⇒清原雄一⇒カツノリ⇒ホッジス⇒町田公二郎
【51】
金原鉄夫⇒石川良照⇒水上静哉⇒中島広喜⇒石川良照⇒鏑木悦純⇒辻邦夫⇒久保征弘⇒古沢憲司⇒竹田和史⇒佐藤文男⇒浜岡浩幸⇒高橋昌也⇒高村洋介⇒井上貴朗⇒桜井広大

もうコメントする選手はおらんやろうなー…と思ったけどいますね
と言うか、自分でも初めて気付きました
石川良照さん
OBに石川と言う名前の投手が二人いて、一人はドラゴンズからの移籍でそこそこに活躍した石川緑さん…という程度しかしらなかったのですが…
1955年から1963まで在籍し、2ケタ勝利を記録したこともある石川良照さん、何と、わが町・堺のご出身
堺工業と記載されていますが、府立かなー?市立かなー?
堺市出身で記録を残したタイガースの選手は藤井栄治さんだけかと思ったら、昭和30年代に投げていた投手がいたのですね

現役では町田公二郎
セリーグ代打本塁打記録保持者(20本、大島さんと並んでプロ野球歴代2位。1位はもちろんブレーブス・高井さん、27本)
八木の引退で手薄になった右の代打と期待されカープから移籍も昨年は6安打・本塁打ゼロ。しかし、鳴尾浜でベテランは毎日のようにフリーバッティングを欠かさなかった。真夏の暑い日も、必ず打ち込みは続けた(昨年の二軍監督・木戸さんがラジオで言うてました)。今年もファームからのスタート。自分より一回り若い選手と混じっての練習。ともすれば腐ってしまう事だってあるだろう。でも、町田は昨年と同じように打ち込んだ。ファームの試合で代打満塁サヨナラホームランを打って一軍昇格。7月14日のドラゴンズ戦で放った代打本塁打は大島康徳さん(ドラゴンズ⇒ファイターズ)と並ぶ、通算代打本塁打記録2位タイとなる20発目の代打本塁打でした。
思えば昨年の9月7日、Vロード起爆剤に点火する本塁打を放った中村豊も、前年度ノーヒットの崖っぷち選手。苦しい夏、蒸し暑い瀬戸内・市民球場で鍛えた町田の必死に期待したい

桜井、守備はどないや?
これ以上同級生に引き離されるなよ、わかってるか?

☆石川良照:213試合登板/18完投/7完封勝利/32勝35敗/勝率.478/投球回数728.1/362奪三振/防御率2.83

| | Comments (2) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【48】【49】

【48】
岡田功⇒松岡一雄⇒滝英男⇒三原一夫⇒前岡謹也⇒久代義明⇒椎木孝彰⇒原秀樹⇒奥田敏輝⇒岩佐基治⇒中原勇⇒青木重市⇒佐藤文男⇒仲田幸司⇒中谷忠己⇒久保康生⇒片瀬清利⇒橋上秀樹⇒成本年秀⇒石毛博史⇒相木崇
【49】
小川仁久⇒小山正明⇒東郷幸⇒山田譲治⇒河内孝志⇒本田広司⇒嵯峨山幹雄⇒大原和男⇒表浩太郎⇒土谷賢一⇒豊原経久⇒赤松一朗⇒服部裕昭⇒酒井光次郎⇒リベラ⇒ハンセル⇒伊達昌司⇒新井智⇒若竹竜士

48はマイクが入団時につけていた背番号で、出世番号かと思いきや、最近は移籍してきた投手の固定番号となっているようですね。
中谷外野手と久保さん(現・投手コーチ)とのトレードは88年開幕後。このあたりからタイガースの安直トレード策に拍車がかかってきます。タイガースではほとんど出番無くノーヒットだった中谷ですが、移籍したバファローズに溶け込めたのと仰木監督に打力を評価されて出番が増え、左の代打の切り札兼外野手4~6番手(新井さんと鈴木貴久は固定、右投手なら中谷、左投手なら中根か村上)という所まで行きました。ただ、守備力で中根に及ばなかったのと、ケガがあったりでブルーウェーブへ移籍するも1年で自由契約になりタイガースへテストで再入団しましたが、バファローズ時代の輝きは戻りませんでした。ミナミの外れで居酒屋を経営されていまして、何度かお店にも行きました。1年ほどご無沙汰なので、そろそろ行ってみようかな。
交換相手となった久保さんもタイガースで主に中継ぎとして活躍されましたが…防御率はもう一つです。今だったら絶対に一軍には残れません。

相木、ルーキーで連続完封した時のキレはもう戻らんのか?

リベラは98年のストッパーとして27セーブ(当時のタイガース最多…今もタイ記録?)を上げます。が、とんでもない欠点がありました。走者がいると威力半減(-_-メ ドラゴンズには完全に弄ばれていたような記憶があります。重い球を生かせなかったのは残念です。

☆中谷忠己:236試合/345打数97安打.281/5本塁打/50打点
☆久保康生:550試合登板/35完投/5完封勝利/71勝62敗/30セーブ/68セーブポイント/勝率.534/投球回数1422/847奪三振/防御率4.32
☆ベン・リベラ:73試合登板/3勝4敗/39セーブ/42セーブポイント/勝率.429/投球回数78.1/奪三振74/防御率1.84

| | Comments (2) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【45】【46】【47】

【45】
竹元勝雄⇒片山春男⇒村井博⇒佐藤敬典⇒槙尾達男⇒幡野和男⇒本間勝⇒中村広喜⇒川藤幸三⇒山田敏彦⇒樫出三郎⇒鈴木照雄⇒遠藤伸久⇒加倉一馬⇒ゲイル⇒福家雅明⇒パリッシュ⇒嶋田哲也⇒定詰雅彦⇒平下晃司⇒立川隆史⇒オクスプリング
【46】
西村修⇒岡田功⇒宮崎逸人⇒前田法昭⇒西能勇夫⇒織田光正⇒中井悦男⇒金本秀夫⇒上辻修⇒浜崎正人⇒大島忠一⇒川原新治⇒横谷総一⇒村上誠一⇒新井亮司⇒筒井壮⇒鶴直人
【47】
楠本一夫⇒大原博志⇒山口雄英⇒秋光新二⇒小山正明⇒牧勝彦⇒野崎洋⇒坂本義雄⇒吉良修一⇒青雲光夫⇒藤原仁⇒島尾康史⇒伊藤敦規⇒佐久本昌弘⇒吉野誠

このあたりまでくると、レギュラークラスはほとんどいないのですが…
85年、21年ぶりのVにゲイルは欠かせない選手でした。『こんな非力な投手陣で優勝したのは初めて』と言われた投手陣の軸はゲイル。13勝をあげて、ローテの柱として活躍しました。日本シリーズでも2勝を上げ、胴上げ投手にもなりました。

47番は小山さんの背番号ですが、【6】で紹介しましたので、ここでは割愛します。

島尾はケガが多く、思ったような実績を残せなかったのが残念です。東洋大姫路時代、ブルーウェーブからマリナーズで活躍した長谷川と同級生(どっちがエースでしたっけ?)。現在は役者として第二の人生を歩んでいます。

そして、近年タイガースの47番といえばやはり伊藤敦規。
福井工大を全国区に押し上げ、ロス五輪でも勝利投手に。ブレーブス時代はライオンズキラーとしてローテ投手として活躍するも、ベイスターズに移籍後はパッとせず自由契約。
テストで拾ってくれたタイガースに恩返ししたいと、腕も折れよと連投連投。毎年50試合前後を投げました。
忘れもしない97年ゴールデンウイークのカープ戦。リリーフで出てきて好投。解説の福本さん(ブレーブス時代の先輩・後輩)がピンチになると『アツ、頑張れ! あと一人や!』と応援していたのが忘れられません(解説者としては???ですが、福本さんのこういうトコって好きです)。その試合、出遅れた大物・グリーンウェルがタイムリーを打ってお立ち台に上がったのですが、ヒーローは間違いなく伊藤でした。
暗黒時代の末期に来る日も来る日も投げ続けた伊藤。出来る事なら500試合登板を達成させてあげたかったな。

毎日放送のレポーターを経て、現在はファームのコーチです。

☆リチャード・ゲイル:60試合登板/6完投/3完封勝利/18勝18敗/投球回数352.1/228奪三振/防御率4.42
☆伊藤敦規:483試合登板/24完投/5完封勝利/ 56勝 51敗/11セーブ/43セーブポイント/勝率.523/投球回数1025/579奪三振/防御率3.76

| | Comments (2) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【43】【44】

【43】
河野博⇒横山光次⇒井村典夫⇒清水希人⇒渡辺邦彦⇒西茂夫⇒伊藤光四郎⇒山本康夫⇒古沢憲司⇒杉本郁久雄⇒川本浩次⇒西村公一⇒中谷賢平⇒井上圭一⇒宮本尊義⇒藤本雄司⇒オルセン⇒宮内仁一⇒山沖之彦⇒林純次⇒松井達徳⇒上坂太一郎
【44】
丸山一男⇒青木修⇒三浦正造⇒村川幸男⇒大木利男⇒村上俊義⇒辻恭彦⇒豊村建泰⇒藤田訓弘⇒アルトマン⇒ブリーデン⇒スタントン⇒中山孝一⇒オルト⇒ジョンストン⇒バース⇒フィルダー⇒石井雅博⇒山下和輝⇒ハイアット⇒吉本亮⇒関本健太郎⇒藤原通

43番に目立った選手はいません。いや、山沖さんはブレーブス⇒ブルーウェーブと主戦投手として活躍されましたが、タイガースにFAでやってきてからは…言うまい(-_-; 高知県の中村高校が野球部員12名でセンバツ甲子園へやってきて、決勝まで進んだ時のエースです。決勝では惜しくも箕島高校に0-3で敗れますが、イレブンの池田に対して24の瞳・中村と呼ばれ、後世まで語り告がれることになります。

オリオンズでロペスとコンビを組んで長く活躍したアルトマン。第一次吉田内閣の新外国人として迎えられます。
さすがに全盛期のような活躍は出来ず、1年限りで退団しますが、打撃3部門の数字は歴代外国人選手ランキングで上位にランキングされる選手でした。小学生の頃、外国人選手と言われて真っ先に浮かぶのはカークランドとアルトマン&ロペスでした。

吉田監督は2年目に外国人選手2名を補強します。1人は40番のラインバック、もう1人がブリーデンです。ラインバックはメジャーでほとんど実績を残していないのに対し、ブリーデンはバリバリのメジャーリーガー。活躍も額面通りで、初年度40本、2年目37本のアーチをかけました。残念ながら、3年目の初旬に故障し、そのまま帰国⇒退団となってしまいました。
多くの外国人選手がタイガースにやってきましたが、初年度から二人そろっていきなり大活躍となると、この2名だけでしょうかね?(オマリー&パチョレックはすでに実績がありましたし)

バース、いまさら語るまでもない、85年Vの立役者。メジャーでは目立った成績を残せずにタイガースへ来たのが83年。初年度は『まあ、エエやん』という成績でしたが、日本の野球に合ったのか、本人も努力したのか、年々成績は上昇。それが85年、21年ぶりの優勝(私にとっては初優勝)となって実を結びます。外国人選手の大物打ちにありがちな【三振かホームランか】ではなく、【大きいのを打つけど確率も高い】打者でした。88年、子供さんの病気治療で帰国した際のトラブルから退団してしまうのですが、タイガースが日本に誇る外国人選手であることに変わりはありません。残念な退団の仕方でしたが、時々来日してテレビで笑顔を見せてくれるのが嬉しいです。

こうして見ると、吉田監督は攻撃型のチームを作ることを好むようですね(バースの来日は安藤監督の時ですが)。これは、投手に人を欠いて仕方なくそうしたのか、はたまた、投手力が抜群でも、打てなくてあと一歩の所で優勝できなかった現役時代から、『打たな勝たれへんで』と考えたのか?

藤原、永久欠番級の番号を背負っている事を忘れずに、今年こそ!

☆ジョージ・アルトマン:935試合/3183打数985安打/163二塁打/11三塁打/205本塁打/656打点//353四球( 64敬遠四球)360三振/打率.309/打点王(1968パ:100)/ベストナイン(1968:パ外/1970:パ外/1971:パ外)

☆ハル・ブリーデン:260試合/921打数231安打/79本塁打/194打点/111四球/176三振/打率.251

☆ランディー・バース:614試合/2208打数743安打/100二塁打/4三塁打/202本塁打/486打点/299四球/23死球/337三振/打率.337/首位打者(1985セ:.350/1986セ:.389<シーズン最高記録>)/本塁打王(1985セ:54/1986セ:47)/打点王(1985セ:134/1986セ:109)/最高出塁率(1985セ:.428/1986セ:.481)/MVP(1985:セ),ベストナイン(1985:セ一/1986:セ一/1987:セ一)

☆山沖之彦:327試合登板/72完投/11完封勝利/112勝101敗/24セーブ/38セーブポイント/勝率.526/投球回数1764/1051奪三振/防御率3.92/最多勝利(1987パ:19)/最優秀救援(1984パ:25)/最多奪三振(1983パ:143)

| | Comments (5) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【41】【42】

【41】
杣田登⇒高木睦雄⇒鎌田実⇒柿本実⇒鎌田実⇒渡辺博敏⇒渡辺純志⇒月山栄珠⇒吉川弘幸⇒西川佳明⇒渡辺伸彦⇒大門和彦⇒川尻哲郎⇒江坂政明⇒部坂俊之⇒伊良部秀輝⇒スペンサー
【42】
冷水美夫⇒赤松瞭⇒西岡修司⇒鏑木悦純⇒ヒルトン⇒ボウクレア⇒山口重幸⇒ヴィッグス⇒パチョレック⇒麦倉洋一⇒吉田浩⇒ウィルソン⇒ジョンソン⇒タラスコ⇒クルーズ⇒ハンセル⇒下柳剛

タイガースが誇る名セカンド・鎌田さんって、こんな大きな背番号だったのですね。右から鎌田-吉田-三宅の内野陣は守備を見るためにゼニを払っても惜しくないというくらいの鉄壁だったと聞きます。昭和30年代から40年代のタイガースが常に上位に位置していたのは、小山さん・村山さん・江夏さんに代表される投手陣に鉄壁の守りがあったから。これは今のタイガースに通じるところがあるかもしれません。と考えると、圧倒的猛打で優勝してしまった85年Vは方向性を見誤って暗黒時代に転落する前の、一種のバブルだったのでは? と思ったりもします。
慶大進学の予定だった鎌田さんはドラゴンズのスカウトに説得されてドラゴンズ入団と思いきや、そのスカウトがタイガースへ移籍することになり、鎌田さんもタイガースへ入団することになったそうです。昭和30年代からゴールデングラブ賞があったら、セカンドの常連だったことでしょう。

03年Vに貢献した伊良部がプロ生活をスタートしたのはオリオンズ。メジャーへ移籍し、ヤンキース・エクスポズ・レンジャースと渡ってタイガースへやってきました。以前のストレート一本勝負からコントロールよく球を操る投手に大変身。03年は右のエース格でした。日本シリーズでは2度対戦した投手が絶好調の杉内で打線が沈黙。伊良部もホークスの小技に翻弄されて2試合とも敗戦投手に。大ブレーキのように言われてしまったのは残念。
ぶっきらぼうで言葉数も少なく、誤解されることが多いようですが、現在のレギュラー投手の中には伊良部のアドバイスで一皮むけた投手も多いとか。
また、若い頃は力任せに投げたら相手が勝手に三振していたというイメージですが、野球理論を語らせたら、ロッテの先輩だった牛島もビックリするほどの理論家だとか。
謎の多い伊良部、何らかの形で球界に戻ってくる日は来るのでしょうか?

42番は【死に】と嫌われ、外国人選手がつけるケースが多く見られます。あんまりパッとせーへんなー…と思ったらパチョレック。
92年V争いで中軸打者として活躍したパチョレック。今のファースト・シーツと同じように、とっても真摯に野球に取り組む姿勢はホエールズ時代から好感が持てました。前年まで4年連続3割をクリアした選手がタイガースへ来てくれたのは…やっぱりお金の問題?
貧打だったタイガース打線をオマリーと二人で支えてくれた、忘れられない選手です。大物打ちではないけれども、チャンスにキッチリと外野手の間を抜ける打球を飛ばす、頼りになる選手でした。

☆鎌田実:1482試合/4451打数1041安打/133二塁打/33三塁打/24本塁打/264打点/84盗塁/109犠打/153四球/360三振/打率.234

☆J.パチョレック:698試合/2676打数/842安打/169二塁打/10三塁打/86本塁打/431打点/28犠飛/192四球/318三振/打率.315/首位打者(1990:セ.326),ベストナイン(1988:セ外/1990:セ外/1992:セ一)/ゴールデングラブ(1992:セ一)

☆伊良部秀輝:399試合登板/106勝104敗27セーブ/投球回数1800.1/1687奪三振/防御率4.01(日米通算記録)/最優秀防御率(1995パ/1996パ)最多勝(1994パ)/最多奪三振(1994パ/1995パ/1996パ)/ベストナイン(1994パ投/1995パ投)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【40】

仲忠雄⇒内司正弘⇒並木輝男⇒朝井茂治⇒村上俊義⇒土橋修⇒桑野議⇒テーラー⇒ラインバック⇒デード⇒ゴンザレス⇒アレン⇒岩切英司⇒ウイン⇒鮎川義文⇒マクドナルド⇒有倉雅史⇒塩谷和彦⇒斉藤秀光⇒桟原将司

レギュラーナンバーからはどんどん遠ざかりますが、忘れられない選手がいますね
来日した際の評価は低く、ほとんど期待薄だったのが、【タイガース 心に残る外国人選手ランキング】で必ず5位以内に入ってくるまでにのし上がった選手…マイク・ラインバック
同時に来日したブリーデンがバリバリのメジャーリーガーで大物打ちだったのに対し、ラインバックはメジャー実績は皆無に等しい選手
が、ひたむきなハッスルプレーと勝負強い打撃で5年間在籍しました。初登板の江川さんから逆転ホームランを打ったのもラインバック。
ただ、ひたむきなハッスルプレーは、打球に対する第一歩が遅く、なんでもない外野フライをスライディングキャッチで捕球していたと。子供にはわからなかった^_^;
3番・5番を主に打ち、オールスターゲームにも2度選ばれ、ベストナインも受賞しています。
残念ながら、帰国後の89年に交通事故で帰らぬ人となりました。

オマリーと一緒に来日したウィン。目立った成績を残せぬまま1年で帰国となるのですが、忘れられないゲームが1つ。91年7月7日ジャイアンツ戦。
アッサリ沈んだ猪俣をリリーフしたマイクと桑田の行き詰る投手戦は3回以降両チーム無得点のまま延長戦。すでに中継も終わってしまった延長12回表に飛び出した決勝ソロホームラン。その裏はマイクがキッチリ抑えて3-2の勝利。タイガースはブッちぎりで最下位に沈みますが、このゲームだけは何故か覚えています。

タイガースでは開花せずにブルーウェーブへ移籍、オールスターゲームにも選ばれた塩谷。今年から韓国球界へ働き場所を移しました。元気にやっているのだろうか?

桟原、緊急降板の藪をリリーフして投げたゲームの無心な気持ちを思い出そう!

☆マイク・ラインバック:565試合/2023打数598安打/97二塁打/94本塁打/324打点/28盗塁/231四球/313三振/打率.296/ベストナイン(1979:セ外)
☆マーベル・ウイン:123試合/453打数104安打/18二塁打/5三塁打/13本塁打/44打点/96三振/打率.230

| | Comments (3) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【38】【39】

【38】
三輪八郎⇒大島義雄⇒三宅秀史⇒西垣一⇒石田博三⇒横地由松⇒野田征稔⇒楠橋高幸⇒米田哲也⇒豊平晋一⇒ラム⇒山川猛⇒岩田徹⇒樋口一紀⇒与田剛士⇒弓長起浩⇒林威助

【39】
亀田敏夫⇒藤沢新六⇒上沼秀人⇒山本哲也⇒辰市邦輔⇒岩間章泰⇒入江淳⇒江田昌司⇒久代義明⇒吉良修一⇒バレンタイン⇒中村之保⇒松永美隆⇒町田公雄⇒若菜嘉晴⇒ストローター⇒八木茂⇒益山性旭⇒吉田康夫⇒グリーンウェル⇒矢野輝弘

ラムが入団した81年当時、確か1軍外国人選手枠は2名。ラムは育成選手みたいな形で入団して、上の外国人選手が不調だったら1軍というパターンだったと記憶しています。が、パンチ力がなく、一軍定着とはなりませんでした。

山川さんはライオンズから移籍してきました。ライオンズでは黒田-伊東の影で出場機会に恵まれず、83年にトレードでタイガースへ。若菜捕手がスキャンダルに消えた後、木戸さんが正捕手として確立するまでの間をつなぎました。東洋大姫路高校時代に出場した72年(54回)選手権では、掛布さんが2年生だった習志野高校と対決し、満塁ホームランを打ってチームを勝利に導いています。

若菜さんは78年の大トレードで竹之内さん・真弓さん・竹田さんと共にライオンズから移籍。当時としては珍しかった、長身・筋肉質の捕手らしくない体型で注目されました。強肩・巧打は初年度から全開で、打率3割を記録し、ゴールデングラブ賞も受賞しています。
が、スキャンダルで退団し海外へ。その後はホエールズ⇒ファイターズと移籍しています。引退後は指導者として活躍し、城島(ホークス⇒マリナーズ)を育てたことで有名です。真弓さんとは柳川商業でも同級生です。

そして矢野
今さら語る必要もないかもしれませんが、もしもドラゴンズとのトレードが無かったら?
今のタイガースは無かったかも
矢野の後継者育成が望まれます
浅井、『39番下さい』と胸を張って言える選手になれよ

☆若菜嘉晴:1387試合/3878打数1037安打/117二塁打/16三塁打/54本塁打/340打点/75犠打/21犠飛/225四球/16死球/399三振/打率.267/ゴールデングラブ(1979:セ捕)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【36】【37】

【36】
小林吉雄⇒丸岡一男⇒横井啓二⇒大根晃⇒久保知之⇒金子哲夫⇒有光磐明⇒江田昌司⇒植木一智⇒植上健治⇒新井良夫⇒渡辺長助⇒鈴木伸良⇒山脇光治⇒田村勤⇒面出哲志⇒中林祐介(佑輔)
【37】
大橋衛⇒松下繁二⇒深見吉夫⇒中村和臣⇒太田鉱一⇒野上俊夫⇒合田栄蔵⇒池島和彦⇒榊原良行⇒永尾泰憲⇒高井一⇒米崎薫臣⇒風岡尚幸⇒根本隆輝⇒三東洋

レギュラーナンバーではありませんが、どちらもキラリと輝いた選手がいて印象に残る背番号です。
36は田村。ルーキーの年から50試合に登板し、59+2/3イニングで57三振を奪う好投を見せ、早速左のリリーフエースに。そして92年、単純なタイガースファンは亀ちゃんのヘッドスライディングで『今年って、もしかしたらイケるんとちゃうのん?』と舞い上がる。そんな中で前年に続く好投でチームのダッシュに貢献。しかし、シーズン途中でヒジの故障からリタイア。その後も好投とリタイアのシーズンを繰り返して引退したのは残念。
左サイドハンドからのスライダーが切れている時は安心して見ていられる投手でした。
余談ですが、次長が居酒屋でバッタリお会いしたそうです(^_^)

中林、密かに応援してくれているファンもいてるんで、頑張れよ!&待ってるでぇ!

37は控え内野手のエースナンバー。榊原さんは控えながら守備固めと代走を中心に毎年100試合前後に出場。後半はファイターズへ移籍し、10年間現役を続けました。
永尾さんは優勝の使者。スワローズ・バファローズと在籍したチーム全てで優勝を経験。榊原さんがファイターズへトレードで移った直後に金銭でバファローズから移籍。85年Vの時は左の代打1番手が役どころ。ビハインドで終盤に差し掛かった頃に代打で出て、場合によっては平田さんの後のショートの守備というパターンが多かったと思います。チャンスメーキングの永尾さん、ポイントゲッターの長崎さん、この年のタイガースには優秀な左の代打が2枚備わっていました。そして、永尾さんも在籍3チーム目で見事優勝。通算成績は地味ですが、忘れられない選手です。

三東、ケガの具合はどうや? 待ってるで!

☆田村勤:245試合登板:13勝11敗54セーブ57SP/投球回数238/245奪三振/防御率2.72
☆榊原良行:689試合/1552打数387安打/20本塁打/96打点/25盗塁/73犠打/6犠飛/159四球/234三振/打率.249
☆永尾泰憲:1114試合/2360打数610安打/23本塁打/208打点/54盗塁/86犠打/17犠飛/144四球/197三振/打率.258

| | Comments (8) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【34】【35】

【34】
山根実⇒石風呂良一⇒小沢馨⇒竹野博士⇒河津憲一⇒大越弘⇒米川清二⇒牧勝彦⇒三宅博⇒溝口憲雄⇒小笠原正一⇒池辺巌⇒田中昌宏⇒宮本四郎⇒仲田幸司⇒中ノ瀬幸泰⇒星野伸之⇒橋本武広⇒吉田篤史⇒橋本健太郎
【35】
中田金一⇒村田弘⇒辻嘉美⇒長尾旬⇒土井豊⇒福浦健次⇒交告弘利⇒ゲインズ⇒但田裕介⇒上甲秀男⇒山本重政⇒峯本達雄⇒服部浩一⇒岡島厚⇒山田勝彦⇒南牟礼豊三⇒舩木聖士⇒ポート⇒牧野塁

平田ヘッドやマリーンズの堀を輩出した長崎海星高校から初めてプロに入団して大成したのが池辺さん。60年代から70年代にオリオンズの中軸打者として活躍し、トレードでタイガースへやってきました。オリオンズでは有藤・アルトマン・ロペスの後の5・6番を任される、勝負強い外野手でした。9番のところで触れましたが、川崎球場で佐野さんが打球を追ってフェンスに激突し頭蓋骨骨折の重傷を負った時、センターのポジションから飛んできて『救急車を呼べ!』と叫んだのが池辺さんです。
今はどうされているのでしょうかね?パリーグ臭さが好きでした。もう一度表舞台に出て来れないものか

【34】は400勝投手・金田正一さんの背番号。現役ではドラゴンズ・山本昌のみですが、カープの川口さん、バファローズの村田さん、ブレーブスの星野といった左投手が活躍しました。
タイガースの34番ははマイク。85年Vイヤーに現れ、翌年からローテーションに定着。球威はあるし、もしかして江夏さんの後継者?
が…突如乱調病という持病があった。毎回奪三振完封ペース転じて突然火だるま…
6・7回あたりで『マイク(-_-メ』『猪俣(-_-メ』『藪(-_-メ』と一度も言うたことのないタイガースファンは絶対にいないと思います^_^;

そのマイクがたった一度だけ規定イニングクリアで白星先行&防御率2点台という年がありました。85年以来Vから遠ざかること7年、そろそろ優勝してーなと全世界18億人のタイガースファンの祈りが神に届き、期待が最高潮に達したのがカープ戦。新庄が山崎さんの打球を超ウルトラスライディングキャッチでアウトにし、その裏に大野さんからサヨナラ打。絶対に優勝すると思ったのですが…
この年のマイクは35試合に登板して217+1/3イニングを投げ、2完封を含む14勝12敗194奪三振で防御率も2.53と、自身最高の成績を残しました。
この年、タイガースはセリーグ最後のチーム防御率2.90という素晴らしい成績を残すのですが、その中心がマイクであったことは間違いありません。マリーンズへFA移籍するも力を発揮することなく引退し、現在は解説者兼関西ローカルタレント(みーみちゃんの情報ですm(_ _)m)として活躍しています。

星野は2000年にFAでブルーウェーブから移籍してきました。タイガースでは全盛期の力を発揮できずに引退してしまったのは残念でした。ストレート最速135キロほどの投手がプロで18年、176勝を挙げることが出来たのは?
【緩急】
100キロ出ていない?と言われる大きなスローカーブと130キロのストレートをコントロールよく操り、87年から97年まで11年連続2ケタ勝利を挙げています。スラッとしたスタイルと甘いマスクで、上に上がってきた頃は【星の王子様】などと言われていましたが、星野ももう40歳過ぎてるんですよね…
奥様は元ミス日本だったかのベッピンさん。南海ホークス時代の大阪球場では『星野、ヨメさん貸してくれー』という野次も飛んでました。
小山乃里子(タレント、関西ローカルかな?)が大ファンで、ラジオの番組の中で星野星野と叫んでいたのが懐かしい。

星野のカーブを見ていて思ったのは、並みの選手でも絶対に人に負けないものが一つあれば必ずプロで通用するということ。北海道の旭川から星野を探し当てたブレーブスのスカウトには脱帽します(パリーグの球団はマネーゲームになったら絶対に勝てないから、磨いて光るダイヤモンドを探すしかないという事もあったかもしれないですが)。
そして、それを怠ったがために暗黒時代にドップリと浸かったのがタイガース。

タイガースが暗黒時代から脱出した時、どんな選手が出てきたか
小柄で華奢で非力だけど、脚力だけは絶対に負けないレッドスターが飛んできた

☆池辺巌:1732試合/5208打数/1377安打/197二塁打/156本塁打/564打点/108盗塁/121犠打/33犠飛/250四球/75死球/674三振/打率.264/ゴールデングラブ(1972:パ:外/1976:セ:外)
☆仲田幸司:335試合登板/39完投/9完封勝利/57勝99敗4セーブ7セーブポイント/勝率.365/投球回数1335/642与四球/25与死球/1158奪三振/防御率4.06/最多奪三振(1992:セ:194)
☆星野伸之:427試合登板/129完投/29完封勝利(歴代30位)/176勝(歴代35位)140敗/2セーブ/8セーブポイント/勝率.557/投球回数2669.1/282被本塁打(歴代26位)/927与四球(歴代27位)/36与死球/2041奪三振(歴代16位)/防御率3.64/最高勝率(1989:パ:.714/1996:パ:.722)

| | Comments (4) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【32】【33】

【32】
橋本正吾⇒森国五郎⇒石風呂良一⇒岩村吉博⇒西村孜⇒梶岡忠義⇒田中博樹⇒谷川勉⇒バーンサイド⇒池田純一⇒奥田敏照⇒今西和男⇒加藤博一⇒引間克幸⇒山口重幸⇒クールボー⇒マース⇒本西厚博⇒坪井智哉⇒久慈照嘉⇒前田忠節
【33】
上田正⇒阪田正芳⇒丸山臣洋⇒伊藤正彦⇒山部儒也⇒松浦三千男⇒森光正吉⇒佐藤正治⇒楠本秀雄⇒大和田正海⇒池内豊⇒大野久⇒金子誠一⇒曾我部直樹⇒葛城育郎

32番をもらって後に出世したのが池田さんと加藤博一さん。今はまだまだ一軍レベルではないけど、将来化けるかも…という選手につけてもらうといい番号なのか?
引間さんは85年Vイヤーの代走の切り札でしたが、レギュラー獲得はなりませんでした。

坪井はルーキーイヤーにいきなりレギュラーとして活躍。規定打席に到達して打率.327(2リーグ分裂後の新人最高打率)の活躍。新人王はドラゴンズの川上に譲ったものの、リーグ特別表彰を受けました。02年のオフに野口とのトレードでファイターズへ移籍。堅実な打撃は健在で毎年3割前後の打率を残していますが、ここ2年はケガで規定打席に到達せず。稲葉の移籍に森本(松坂世代で、甲子園では後に早稲田からホークスへ入団する浜田高校の和田からホームランを打っています)の成長と厳しいシーズンは続くけど、頑張れ!

33番では大野さんがレギュラーとなって背番号も2番に出世。
が、忘れたらアカンのが池内さん。江夏さん・望月さん⇔江本さん・島野さん(2軍監督)・長谷川さん・池内さんの大型トレード。戦力としての期待度合では一番低かった池内さんでしたが、最後まで頑張りました。左の福間・右の池内と来る日も来る日もリリーフ登板。福間さんは【85年V・影のMVP】という評価を得たのに対し、池内さんは84年オフに長崎さんとのトレードでホエールズへ。
藤田平さんのことを【優勝の翌年に入団して21年ぶり優勝の前年に引退した優勝と縁遠かった選手】と表現することがよくありますが、池内さんも同じくらい残念な印象があります。
Vを待ち焦がれた時期に黙々と投げていた池内さん、忘れませんよ!

葛城、使わないんやったら左の外野手が欲しいチームへ移籍させてあげたらどうやろ?
このまま終わらすのはもったいない…

☆池内豊:452試合登板/31勝31敗/30セーブ/52セーブポイント/投球回数782.2/461奪三振/防御率3.92

| | Comments (10) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【31】

堀尾文人⇒玉置玉一⇒森田忠勇⇒河西俊雄⇒戸梶正夫⇒滝川博己⇒平山英雄⇒カークランド⇒掛布雅之⇒萩原誠⇒広沢克実⇒濱中おさむ⇒林威助

私たちの年代ですと、『子供の頃、最初に意識した外国人選手はカークランドとロッテのアルトマン&ロペス』という方が多いのではないでしょうか?
爪楊枝を加えて打席に入る姿(覚えていないのですが…)で人気のあった外国人選手・カークランド。ややオールオアナッシング的な部分(通算打率.246)もありましたが、在籍6年間で126本塁打を記録しています。

掛布さんは74年のドラフト6位で習志野高校からタイガースに入団。実質的にはテスト入団だったそうです。
が、キャンプでの練習が認められて一軍オープン戦に抜擢。ただし、藤田平さんが結婚式で欠場するため員数合わせみたいな形で呼ばれて代役出場。そこで4-4の大活躍してそのまま一軍定着。ワンチャンスを逃さないのも実力です。ここで結果を出していなかったら、日本を代表する左打者・掛布雅之は現れなかったかもしれません。鳥谷がWBC壮行試合にタイガース代表で選ばれて欠場した時、下から呼ばれた前田大和に若き日の掛布さんを思い出したオッサンも何人かはいるのではないでしょうか?
翌年からレギュラーとなり、76年(だったかな?)には【GO GO 掛布】などというレコードまで発売されました(関西以外でも流れていたのかな?)
オールスターゲームに強くて、3発打った年が2度(78年と81年)ありました。タイガースはVから遠ざかっていて、【優勝を知らない子供たち】というパロディー曲もありましたが、掛布さんのホームランで明るい気分になりました。
ただ、ケガが多かったのと、多くの方が言われているようにホームランを求められて本来の打撃スタイルを見失ったのか成績は徐々に低下(と言っても、十分にレギュラーは務まる成績ですが)。極めつけがドラゴンズ戦でぶつけられた死球。これで掛布さんは終わってしまいました。

打撃のことばかり書きましたが、ライン際ギリギリの打球に飛びついて一塁へ送球する掛布さんはカッコよかったなー

掛布さん、タイガースに打撃コーチとして戻ってきてもらえませんか?

余談ですが、掛布さんの母校である習志野高校は名球界会員の谷沢さん、現役で5年連続規定打席3割をクリアするマリーンズの福浦と、優れた左打者を輩出しています。左打者が育つ土壌のようなものがあるのでしょうか?

☆ウィリー・カークランド:703試合/2273打数559安打/83二塁打/1三塁打/126本塁打/304打点/190四球/14死球/504三振/打率.246

☆掛布雅之:1625試合/5673打数1656安打/250二塁打/31三塁打/349本塁打(歴代20位)/1019打点(歴代25位)/49盗塁/48犠飛/124併殺打/819四球(歴代28位)/29死球/897三振/打率.292:本塁打王1979:48/1982:35/1984:37)/打点王(1982:95)/ 最多出塁数(1981:243/1982:232),ベストナイン(1976:セ三/1977:セ三/1978:セ三/1979:セ三/1981:セ三/1982:セ三/1985:セ三),ゴールデングラブ(1978:セ三/1979:セ三/1981:セ三/1982:セ三/1983:セ三/1985:セ三)

球団の方、この背番号をもっと大切にして下さい
掛布さんのホームランでファインプレーでいくつ笑顔が生まれたか、わかってますか?

| | Comments (8) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【30】

石本秀一⇒松木謙治郎⇒若林忠志⇒松木謙治郎⇒岸一朗⇒田中義雄⇒金田正泰⇒西村繁一⇒福浦健次⇒山下皓⇒奥田敏輝⇒後藤和昭⇒平山英雄⇒辻佳紀⇒続木敏之⇒平田勝男⇒太田貴⇒パウエル⇒藤川球児⇒横田久則⇒久保田智之

この背番号って、監督の背番号だったようですね
61年の金田さんまで、藤村さん以外の歴代監督は皆30番を付けておられます
61年途中に就任した藤本定義さんからは異なる背番号をつけるようになったようです

ヘッドコーチの平田さんは長崎海星高校で怪物・サッシー(酒井圭一、後にスワローズ)の1学年下で甲子園出場してベスト4まで進出。翌年も連続出場。明治大学を経てタイガース入り。入団3年目から4年連続でゴールデングラブを受賞した好守の遊撃手でした。派手な横っ飛びとかの印象はありませんが、打球が転がったところに平田さんがいた…という印象でした。通算安打633は、『え、そんなに少ない?』と首を傾げてしまうほど、存在感ありましたね。

♪かっ飛ばーせー 平田♪のテーマソングも好きでした

平田勝男:979試合/2450打数633安打/23本塁打/220打点/19盗塁/138犠打/133四球/229三振 打率.258/ゴールデングラブ(1984:セ遊/1985:セ遊/1986:セ遊/1987:セ遊)

久保田、全盛期の佐々木のように、【コールされたら相手は戦意喪失する】ような大リリーフエース目指して頑張ってくれ!

| | Comments (5) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【29】

皆川定之⇒大島武⇒石垣一夫⇒谷車明⇒鈴村充男⇒辻佳紀⇒植木一智⇒望月充⇒江本孟紀⇒福家雅明⇒渡真利克則⇒吉田博之⇒石嶺和彦⇒吉田康夫⇒井川慶

金曜日のジャイアンツ戦、試合途中で倒れて救急車で運び出された渡真利球審と投げていた井川、偶然ですがタイガースの新旧29番ですな

辻佳紀、別名ヒゲ辻。明治大学で主将を務め、タイガースへ63年に入団。オールスターにも4度出場しています。田淵さんの入団で活躍の場が減り、バファローズへ移籍。75年、第一次吉田監督の時代にコーチ兼任で復帰して同年引退。コーチも翌年限りで辞し、退団後はよみうりテレビで解説をされていました。ズームイン朝に出ておられましたね。残念ながら、49歳の若さでガンに倒れ帰らぬ人となりました。

江本さんがプロに入団したのは東映フライヤーズ。しかし、1勝も挙げられないままにトレードでホークスへ。ここで出会ったのがプレイングマネージャーだった野村さん。南海ホークス最後の優勝だった73年はエースとして活躍しました。76年(75年オフ)に江夏さんとのトレードでタイガースへ。いきなり15勝を挙げて右のエースに。当時のブルーのユニフォーム、江夏さんや田淵さんが着ると【パジャマ】でしたが、江本さんや小林さんが着ると格好よく見えるから不思議(^_^)
81年、『ベンチがアホやから野球が出来ん』の名セリフを残して引退。引退後は解説者に出版、国会議員と幅広い活躍をされております。

プロではほとんど数字を残せなかった渡真利ですが、ムチャクチャ美味しい場面を味わっています。85年、21年ぶりの優勝のウイニングボールを掴んだのは、バースの守備固めに入っていた渡真利でした。ホークスへ移籍して引退。その後、審判員の道へ進んでいます。

石嶺さんは沖縄出身の野手として大成した最初の選手(投手では安仁屋さん)。甲子園へ出る事が目標だった沖縄県の高校が興南高校のベスト4で『勝てる!』となり、赤嶺さんの豊見城高校の時代になって2度3度勝つのも不思議ではない…となってきた時代でした。阪急ブレーブスへ入団当初、病気で苦しみましたが、摂生に努めてレギュラー定着。打点王1回、ベストナイン3回を記録しています。タイガースへ来てからは、残念ながら全盛期の力を出せませんでしたが…
現在はドラゴンズの打撃コーチをされています。

辻佳紀:960試合/2340打数486安打/87本塁打/231打点/20盗塁/130四球/27死球/483三振/打率.208

江本孟紀:395試合登板/78完投/17完封勝利/113勝126敗/19セーブ/31セーブポイント/勝率.473/投球回数1978.2/822与四球/97与死球(歴代20位)/1130奪三振/防御率3.52

渡真利克則:268試合/494打数126安打/14本塁打/47打点/打率.255

石嶺和彦:1566試合/5189打数/1419安打/218二塁打/269本塁打/875打点/52犠飛/160併殺打/456四球/53死球/776三振/打率.273/打点王(1990:パ:106)/ベストナイン(1986:パ指/1987:パ指/1990:パ外)

井川、タイガースには君の力が必要やねん!

| | Comments (3) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【28】

青木正一⇒金田正泰⇒田宮謙治郎⇒河文雄⇒小島勝治⇒横山国夫⇒西尾慈高⇒梅本正之⇒福塚勝哉⇒室山皓之助⇒江夏豊⇒長谷川勉⇒中田良弘⇒グレン⇒クレイグ⇒定詰雅彦⇒福原忍

タイガースファンの間で『球団はもっと背番号を大切にしてーや』という会話になったとき、必ず出てくるのが【22】【31】、そして【28】
V9ジャイアンツに真っ向勝負を挑んだ、私が子供の頃のヒーロー・江夏さんの背番号です
江夏さんは大阪学院高校から66年の第一次ドラフトで4球団(ジャイアンツ・ブレーブス・フライヤーズ)競合の末タイガースに入団。ちなみに、この年のドラフト指名で入団した選手には平松政次(ホエールズ)・三村敏之(カープ)・山下律夫(ホエールズ⇒ライオンズ⇒ホークス)・武上四郎(アトムズ・スワローズ)・浅野啓司(アトムズ・スワローズ⇒ジャイアンツ)・加藤俊夫(ホエールズ⇒フライヤーズ・ファイターズ⇒ホエールズ)・桜井輝秀(ホークス)・柳田俊郎(ライオンズ⇒ジャイアンツ⇒ブレーブス⇒ジャイアンツ)・高橋善正(フライヤーズ⇒ジャイアンツ)・大下剛史(フライヤーズ・ファイターズ⇒カープ)・得津高宏(オリオンズ)・八木沢荘六(オリオンズ)・阪本敏三(ブレーブス⇒フライヤーズ・ファイターズ⇒バファローズ⇒ホークス)といった選手がおります。

入団後の活躍については今さら語る必要もないでしょう。1年目に12勝を挙げてローテーション投手として定着。翌年には401奪三振の日本記録を樹立。71年のオールスターゲームでは打者9人連続奪三振の記録を達成。昨日、ファイターズの八木投手がホークス相手に延長10回をノーヒットに抑えながら味方が沈黙して大記録達成ならず(3人継投で無安打無得点という参考記録は樹立されたが)でしたが、江夏さんは73年のドラゴンズ戦で『誰も点取ってくれへんのやったら自分で打たなしゃーないやろ』と延長11回に自分でサヨナラホームランを打ってノーヒットノーランを達成しました。76年にホークスへ移籍後はリリーフ投手としての道を確立し、その後カープ・ファイターズで優勝。79年日本シリーズ第7戦9回裏は【江夏の21球】のタイトルで、今も【プロ野球忘れられない名場面】的特集で必ず上位に出てきます。最後はライオンズへ移籍して84年で引退、。現在はテレビ大阪で解説をされています。タイガースOBにも多くの解説者の方がおられますが、『この人、タイガースが好きやねんなー』と感じます。

タイガースで残した記録は424試合/147完投44完封/159勝113敗14セーブ/勝率.585/2401+2/3イニング/2224奪三振/防御率2.42です

梅本正之さんは故障が多くてプロでは6勝10敗の成績しか残せませんでしたが、2003年に寮長を退任するまで、コーチ・スコアラー・球団職員としてタイガース一筋に縁の下の力持ちとして球団を支えてこられました。

中田良弘さんはドラフト1位で81年に入団。故障が多くて一流投手になる機会を逸しましたが、81年7月21日から85年8月11日まで5年間無敗という記録の持ち主であります。現在もサンテレビの解説でみかけますね。

江夏豊:829試合登板(歴代5位)/154完投(歴代23位)/45完封勝利(歴代12位)/206勝(歴代20位)158敗(歴代17位)193セーブ(歴代3位)210セーブポイント(歴代4位)/勝率.566(2000イニング以上登板で歴代28位)/投球回数3196(歴代17位)/2340被安打/299被本塁打(歴代22位)/936与四球(歴代26位)/46与死球/2987奪三振(歴代5位)/防御率2.49(2000イニング以上登板で歴代16位)/最優秀防御率(1969:セ:1.81)/最多勝利1968:セ:25/1973:セ:24)/最多セーブ(1983:パ:34)/最優秀救援(1977:パ:22/1979:セ:31/1980:セ:30/1981:パ:28/1982:パ:37)/最多奪三振(1967:セ:225/1968:セ:401/1969:セ:262/1970:セ:340/1971:セ:267/1972:セ:233)/MVP(1979:/1981:パ)/沢村賞(1968:セ)/ベストナイン(1968:セ:投)/ノーヒットノーラン(1973. 8.30)

中田良弘:226試合登板/5完投/1完封勝利/33勝23敗14セーブ/295奪三振/防御率4.73

福原、ケガに強い体を作って、頑張ってや!

| | Comments (2) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【27】

枝広金一⇒比留木虎雄⇒森田明義⇒高山泰夫⇒東野真弓⇒白坂長栄⇒駒田桂二⇒富樫淳⇒麻田勝也⇒岡田功⇒西山和良⇒中村和臣⇒西村繁一⇒若生智男⇒宮崎昭治⇒宮田典計⇒宇田東植⇒笠間雄二⇒島田宗彦⇒山田勝彦⇒野口寿浩⇒岡崎太一

古くは森昌彦さん(ジャイアンツ)、近年では伊東勤(ライオンズ)、古田敦也など、【捕手のエースナンバー】的背番号として定着しつつある番号ですが、タイガースにはあまり当てはまらないようです。
若生さんはソロムコとのトレードでオリオンズから移籍してきました。野球を見始めた頃は江夏さん・村山さん・上田さんに次ぐ3~5番手あたりの投手でしたが、大崩れしない投手だったという印象があります。タイガースからカープへ移籍して2年間投げた後引退。引退後は多くの球団で投手コーチを務めておられます。

島田宗彦は私と同学年。箕島高校で石井毅(元ライオンズ)とバッテリーを組み春夏連続制覇を成し遂げました。ちなみに大阪代表は牛島・香川の浪商。センバツは決勝で箕島に敗れ、選手権は準決勝で池田高校に屈しました。箕島高校は選手権で星稜と延長18回の死闘を演じるなど、高校野球の歴史を語る上で欠かせない高校の一つでしたが、最近はまったくご無沙汰ですね。石井・嶋田のバッテリーは卒業後住友金属和歌山へ入社し、82年の都市対抗で優勝します。しかし、住友金属和歌山の野球部も今はなくなってしまいました。入団時は俊足巧打の捕手として期待されましたが、ケガが多く木戸さんを抜けませんでした。

山田、選手としてはあんまりパッとした印象ないねんけど、何でコーチに? タイガースOBで、【選手としての実績は乏しいけど努力の結果コーチとして色々なチームから声がかかる】という選手は少ないので、そうなるべく頑張れよ!

☆若生智男:628試合登板(歴代24位)/58完投/17完封勝利/121勝120敗2セーブ/勝率.502/投球回数2260.1/1396奪三振/防御率2.71(2,000イニング以上登板投手で歴代22位)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【26】

奈良友夫⇒宮崎剛⇒仁科栄三⇒白坂長栄⇒奥村高明⇒渡辺省三⇒久野剛司⇒山本重政⇒森山正義⇒相羽欣厚⇒切通猛⇒工藤一彦⇒藤本修二⇒竹内昌也⇒根本隆輝⇒カーライル⇒江草仁貴

渡辺省三さんはタイガースがセ・パ分裂後初の優勝を遂げるまでを支えた投手です。6年連続を含む8度の2ケタ勝利を挙げ、56年には防御率1位のタイトルも記録しています。通算防御率2.44は2,000イニング以上投げた投手の中では歴代13位の立派な記録でもあります。引退後はコーチやスカウトを務めておられましたが、10年前に帰らぬ人となりました。

工藤さんの背番号って、この26の方が印象強いのですが、19で取り上げてしまいましたので…
藤本は南海ホークスとの大型トレードでやってきました。出した大野さんは盗塁王、池田さんも少し復活したのに対し、もらった選手は…それ以上言うまい(-_-;
今思えば、暗黒時代の本格的到来を告げるようなトレードでした

江草、どこで使われても活躍できる馬力ある投手になってくれ
期待してるで!

☆渡辺省三:550試合登板/134勝96敗/勝率.583/投球回数2018/583奪三振/防御率2.44(2,000イニング以上で歴代13位)/最優秀防御率(1956:1.45)

| | Comments (2) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【25】

森茂雄⇒玉井栄⇒高山泰夫⇒松本太⇒別当薫⇒川西勇治⇒日下章⇒山本哲也⇒土屋正孝⇒古沢憲司⇒高山忠克⇒山本和行⇒猪俣隆⇒ハンセン⇒濱中治(おさむ)⇒前川克彦⇒渡辺亮

別当薫さんは地元も地元、甲陽中学(昔はダイエー甲子園店の場所にありました)の出身。戦後すぐの48年に入団するとホームランを連発して一躍スター選手に。しかし、この選手も50年のセパ分裂に際して若林さんを慕ってオリオンズへ移籍してしまいます。引退後はバファローズ・ホエールズ・カープの監督を務め、目立たないながらも1,237勝を記録しています。野球とは関係ありませんが、【別当薫=遠近両用メガネ=HOYAバリラックス2】と連想される方は多いのではないでしょうか?(但し、30代後半以上の方(^_^;;;)

古沢さんがタイガースへ入団したのは16歳の時。高校を中退してタイガースのユニフォームを着ました。球威はあるのですがコントロールが悪く、ファーボールが多かったという印象があります。78年オフのトレードで田淵さんとともに新生・西武ライオンズへ移籍、カープへ移って引退しました。

野球選手を表現する言葉に【細く長くor太く短く】という言葉を使うことがありますが、山本和行さんには【太く長く】という表現が合うと思います。大卒ながら16年間現役を続け、700試合登板はプロ野球史上13位、タイガースの選手としては第1位です(他球団での登板も含めると小山さんの856試合、江夏さんの829試合、権藤さんの719試合に次いで4位)。82年と84年には最優秀救援投手賞のタイトルを獲得。85年V時はアキレス腱断裂で9月に入って無念の戦線離脱も、優勝決定の日にはベンチ裏へ姿を見せていました。
また、今でこそ亜細亜大学はプロ野球界に多くの選手を送り込んでいますが、山本和行さんが学生だった当時、有力選手は東京六大学へ進学していた時代。山本和行さんは亜細亜大学が生んだ初の100勝投手でもあります。46年春の9勝は高橋善正さん(中大→フライヤーズ→ジャイアンツ)・阿波野秀行(亜大→バファローズ→ジャイアンツ→ベイスターズ)と並ぶ東都タイ記録、通算32勝は歴代6位の立派な記録です。

☆別当薫:891試合/3191打数965安打/170二塁打/38三塁打/155本塁打/549打点/186盗塁/318四球/254三振/打率.302/本塁打王(1950:パ:43)/打点王(1950:パ:105)/MVP(1950:パ)/ベストナイン(1948・1949外/1950~1953:パ外)
☆古沢憲司:543試合登板/54完投/17完封勝利/87勝115敗25セーブ/勝率.431/投球回数1896.1/1181奪三振/防御率3.72
☆山本和行:700試合登板(歴代13位・タイガース1位)/40完投/6完封勝利/116勝106敗34引分130セーブ(歴代11位・タイガース1位)190セーブポイント(歴代7位・タイガース1位)/勝率.523/投球回数1817.2/260被本塁打/451与四球/19与死球/ 1252奪三振/防御率3.66/最多セーブ(1977:セ:9)/最優秀救援(1982セ:40/1984:34)

この背番号も大切に扱って欲しい番号ですね

| | Comments (1) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【24】

本堂保次⇒三輪裕章⇒本堂保次⇒奥井成一⇒本堂保次⇒渡辺博之⇒河津宏紀⇒高井良一男⇒遠井吾郎⇒鈴木弘規⇒太田幸司⇒佐藤秀明⇒住友一哉⇒桧山進次郎

☆本堂保次:1374試合/4754打数1242安打/218二塁打/42三塁打/58本塁打/588打点/145盗塁/413四球/22死球/289三振/打率.261/ベストナイン(1950:パ二)
☆渡辺博之:1019試合/3278打数896安打/134二塁打/11三塁打/54本塁打/453打点/76盗塁/306四球/10死球/245三振/打率.273/打点王(1954:セ:91)/ベストナイン(1954:セ外/1955:セ外)
☆遠井吾郎:1919試合(タイガース歴代3位)/5281打数1436安打/253二塁打/29三塁打/137本塁打/688打点/22盗塁/471四球/17死球/832三振/打率.272

ド派手な活躍は無くても、安心してレギュラーポジションを任せられる選手の背番号。現在の24番に通じるものがあるかな?
初代24番・本堂さんは大阪出身の内野手。2リーグ分裂でオリオンズへ移り、引退後はコーチ・監督も務めています。
渡辺博之さんはプロ入りが遅かったため、通算成績こそ目立ちませんが、打点王のタイトルも獲っています。引退後は同志社大学で野球部監督を務め、教授にまでなりました。田尾さんはその時の教え子です。ただ、残念な最期でしたが…
昨年亡くなられた遠井さんは『ホトケの吾郎ちゃん』の愛称で親しまれる左打者。ゴツイ体格ですが、好球必打のシュアなタイプの左打者でした。初めて野球を見始めた頃、ファーストを守っていたのは遠井さんでした。タイガース一筋20年は藤田平さんや吉田義男さん、和田豊より長く、出場試合数もタイガース歴代3位です。

桧山、今年も頼むよ!

| | Comments (2) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【23】

原一朗⇒富松信彦⇒渡辺誠太郎⇒呉昌征⇒中田金一⇒丸岡武⇒吉田義男

タイガースの永久欠番は3つ
そのうちの一つがこの【23】です

呉選手は台湾の嘉義農林学校代表として甲子園に出場し、卒業後ジャイアンツに入団。42・43と2年連続首位打者に輝いています。なお、42年の打率.286は首位打者の打率としては史上最低記録です(戦時中でボールの品質が粗悪だったため)。44年、一度ジャイアンツを退団してからタイガースへ入団。選手不足の時代ゆえ、投手としても登板(強肩でバックホームが正確なのだから投手もいけるやろという理由だったとか)し、2完封を含む15勝。46年にはノーヒットノーランも記録しています。50年、セ・パに分裂した際に毎日オリオンズへ移籍し、57年まで現役。95年に野球殿堂入りされています。

吉田義男さんの現役は最後の方しか記憶にありません。藤田平さんにショートのポジションを譲り、セカンドを守っておられました。現役時代のタイガースは打力に乏しく、投手が踏ん張ることが生命線。その投手を支えたのが三宅-吉田-鎌田の鉄壁の内野守備。全盛期にナマで見たかったですね。出場試合数・通算安打数ともに藤田平さんに次ぐタイガース歴代2位です。
引退後はチームから離れていましたが、85年に監督として復帰すると、真弓・バース・掛布・岡田の30発カルテットを軸とした強力打線を擁して優勝。日本シリーズでもライオンズを降して悲願の日本一に。
現在もABCの解説者として活躍されています。

☆呉昌征:1700試合/4867打数1326安打/159二塁打/81三塁打(歴代6位タイ)/21本塁打/389打点/381盗塁(歴代9位)/818四球(歴代29位)/24死球/465三振/打率.272/首位打者(1942:.286/1943:.300)/盗塁王(1944:19)/MVP(1943)/ノーヒットノーラン(1946. 6.16)
☆吉田義男:2007試合/1864安打(歴代42位)/273二塁打/70三塁打(歴代10位)/66本塁打/434打点/350盗塁(歴代14位)/264犠打/20犠飛/498四球/71死球/325三振/打率.267/盗塁王(1954:51/1956:50),ベストナイン(1955:遊/1956:遊/1957:遊/1958:遊/1959:遊/1960:遊/1962:遊/1964:遊/1965:遊)

| | Comments (4) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【22】

塚本博睦⇒森下博⇒長原孝治⇒後藤次男⇒田宮謙治郎⇒古川啓三⇒室山皓之助⇒谷本稔⇒西村公一⇒田淵幸一木戸克彦⇒関川浩一⇒中谷仁⇒喜田剛⇒キンケード⇒藤川球児

私らが子供の頃、タイガースを代表するスター選手って言うたら田淵さんと江夏さんのバッテリー
その、田淵さんが付けていた背番号が22です
田淵さんがライオンズに移籍した後、『それ相応の選手が出るまで使わない』とされていましたが、85年V捕手の木戸さんがつけることになりました。現在は球児の背番号です。

田宮さんの入団当時は投手。あと一人でパーフェクトというゲームもあったりで、50試合に登板して12勝を挙げています。肩を壊して打者に転向、藤村さんの後の4番打者を務めました。打率3割の常連で、58年には長嶋さんを降して首位打者のタイトルを獲得しています。59年に10年選手の権利を行使してオリオンズへ移籍。引退後はOB会会長も務められました。

谷本さんはタイガースでの現役は3年間でしたが、コーチや球団職員として引退後も活躍されました。オリオンズ時代の日本シリーズにおけるスクイズ失敗が西本さんのクビを飛ばした事件は有名です。

そして田淵さん。法政大学で放った22ホーマーは長嶋さんの8本を大きく上回る東京六大学新記録(高橋由伸に破られるまで長い間新記録でした)。天性のホームランアーチスト、高く舞い上がり、美しい放物線を描くホームラン。しかし、なかなかホームラン王になれなかった…王さんがいた。75年、ついに王さんを抜いてタイトル獲得。78年オフにトレードでライオンズへ移籍し、新生ライオンズの主軸打者として活躍。
70年のカープ戦で外木場さんの投球が頭部を直撃、死線をさまようという事件は、耳あて付ヘルメットを義務付けるきっかけになりました。これが、プロ野球の出来事で覚えている一番古いものだと思います。

木戸さんはPL学園・法大と優勝を経験して入団してきたエリート捕手。しかし、当初2年はプロのカベにぶち当たりもがきましたが、優勝の年から正捕手に定着。知人にファンがおりまして、引退試合にも行きました。長くコーチを務めましたが、昨年末に退団して現在は評論家。しかし、必ず指導者としてタイガースへ戻ってくる人材です。

球児、今年も頼んだよ!

☆田宮謙治郎:1488試合/4807打数1427安打/284二塁打/55三塁打(歴代24位)/106本塁打/597打点/190盗塁/416四球/104死球(歴代10位)/467三振/打率.297/首位打者(1958セ.320)/ベストナイン(1956セ外/1957セ外/1958セ外/1960パ外/1961パ外)
☆谷本稔:1099試合/2759打数708安打/46本塁打/360打点/145四球/236三振/打率.257
☆田淵幸一:1739試合/5881打数/1532安打/167二塁打/12三塁打/474本塁打(歴代10位)/1135打点(歴代19位)/18盗塁/0犠打/43犠飛/176併殺打/823四球(歴代28位)/128死球(歴代5位)/972三振/打率.260/本塁打王(1975セ43),新人王(1969セ),ベストナイン(1972セ捕/1973セ捕/1974セ捕/1975セ捕/1976セ捕)/ゴールデングラブ(1973セ捕/1974セ捕)
☆木戸克彦:965試合/2192打数505安打/89二塁打/5三塁打/51本塁打/226打点/8盗塁/95犠打/12犠飛/228四球/393三振/打率.230/ゴールデングラブ(1985セ捕)

| | Comments (7) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【21】

小島利男⇒比留木虎雄⇒松本貞一⇒大橋棣⇒塚本博睦⇒森下博⇒谷田比呂美⇒金田正泰⇒河野博⇒弘瀬昌彦⇒横山光次⇒滝川博己⇒山尾孝雄⇒早乙女豊⇒米田哲也⇒益山性旭⇒山内新一⇒遠山昭治⇒関川浩一⇒コールズ⇒クリーク⇒山村宏樹⇒吉野誠

弘瀬投手はタイガースへ入団したものの1勝しただけで退団。一度ノンプロへ戻ってカープへ再度入団しています。昭和30年代のカープが苦しかった時期に8年間在籍、一度も勝ち越しはありませんでしたが、カープ入団後333試合に登板して44勝61敗、完封も4試合記録しています。昭和40年代以降、江本さん、鹿取さん、中西、津野・球児など多くの投手を輩出する高知商業ですが、プロで初めて実績を残した投手が弘瀬投手です。

米田さんがタイガースへ来たのは選手生活の晩年。ブレーブスの若返りによって出番が減り、移籍を決意したと記憶しています。75年のシーズン途中に移籍したのは、確か連続年度2ケタ勝利がかかっていたからだったでしょうか?
ほとんどの記録は金やんこと金田正一投手に次ぐ2位(勝利数350、敗戦数285、イニング数5,130、与四球5,130、奪三振3,388)ですが、通算登板試合数949は金田投手を5試合超えて1位です(他に、被安打4561も金田投手を抜いて1位)。打者としてもなかなか優秀で、33本塁打を記録しています。

益山さんは選手としての活躍はほとんどありませんでしたが、故・パンチョ伊東(伊東一雄・元パリーグ広報部長)さんのドラフト司会時代のエピソードで、『益山性旭の性はセックスの性』というのが必ず出てきます(^_^)

山内新一さん。この方はどこのチームのファンとしていつ頃見ていたかで、印象(評価)がすごく変わってくるのではないでしょうか? ジャイアンツ時代=『V9時代の後半に投げていたけど、あまりパッとしない投手だった』 南海ホークスファン=南海ホークス最後の優勝の功労者の一人、晩年は【トリプル山内】と背番号だけの写真を撮られていた タイガースファン=連続試合先発登板記録にしがみついていた…色々あると思いますが、野村監督が南海ホークス時代に再生を手がけた投手としては江本さんの113勝、松原(福士)さんの91勝を超える出世頭でしょう。73年と76年に20勝を記録していますが、最多勝投手にはなれませんでした(73年=成田文男21勝・76年=山田久志26勝)。

遠山がドラフト1位に指名されたのは85年Vの年。クジで清原を外して、外れ1位指名でした。1年目こそ8勝してまずまずの成績でしたが、その後はサッパリでオリオンズへトレード。オリオンズ・マリーンズでの後年は打者に転向しましたが、97年オフに自由契約。テストを受けてタイガースへ再度入団して、左のワンポイントで最後の最後に働き場所を見つけました。頼りになる先発投手がおらず、来る日も来る日も伊藤敦→葛西→遠山だった暗黒時代晩年です。現在は育成担当コーチ。

捕手をやったり外野をやったり中途半端でレギュラーになりきれなかった関川。97年のオフに久慈・関川⇔大豊・矢野のトレードでドラゴンズへ移籍。125試合に出場して.285の成績でレギュラーを確保します。99年は.330の好打率でベストナインに選出され、チームの優勝にも貢献します。その後、ヒジのケガとチームの若返り方針で出番が減り、04年はついにノーヒット。無償トレードで新チーム・イーグルスへ移籍。選手層の薄さもあって、101試合出場・.287の成績を残しています。もう長くない現役生活、最後の最後にタイガース魂を!

吉野、もうイケるやろ? 苦難を乗り越えて頑張ってきた先輩の背番号や、2003年の輝きを見せてくれ!

☆米田哲也:949試合登板(歴代1位)/262完投(歴代8位)/64完封勝利(歴代7位)/350勝(歴代2位)285敗(歴代2位)/勝率.551/投球回数5130(歴代2位)/4561被安打(歴代1位)/370被本塁打(歴代7位)/1480与四球(歴代2位)/143与死球(歴代3位)/3388奪三振(歴代2位)/1659自責点/防御率2.91/最優秀防御率(1973:パ:2.47)/最多勝利(1966:パ:25)/最多奪三振(1962:パ:231)/MVP(1968:パ)
☆山内新一:431試合登板/118完投/18完封勝利/143勝142敗/勝率.502/投球回数2459/252被本塁打/693与四球/66与死球/774奪三振/防御率3.74
☆遠山昭治(奨志):393試合登板/16勝22敗5S/3完投/2完封勝利/投球回数480.1/奪三振283/防御率4.38/カムバック賞:セ99

| | Comments (2) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【20】

加藤信夫⇒朴賢明⇒平林栄治⇒川北逸三⇒星沢純⇒藤村隆男⇒島田吉郎⇒阪田正芳⇒内山清⇒西村一孔⇒伊奈努⇒石川緑⇒辻恭彦⇒笹本信二⇒竹村和義⇒伊藤弘利(宏光・文隆)⇒真鍋勝己⇒渡辺伸彦⇒郭李健夫⇒金澤健人

ドラゴンズではエースナンバーの20番、タイガースではどんな選手が背負ったのか?と系譜を追ってみましたが、こちらは地味な選手が多かったようです。
石川さんはドラゴンズからタイガースへ移籍してきました。先発・中継ぎ・抑えと何でもありの活躍で64年には10勝を挙げ、胴上げ投手に輝きました。
ダンプ辻こと辻恭彦さんはいわゆる【キャッチャー体型】なのと、運送会社(西濃運輸)出身であることから【ダンプ】というニックネームがつきました。江夏さんとの相性がよく、ヒゲ辻さんを逆転しますが、田淵さんの入団。75年にホエールズへ移籍して現役を続け、42歳まで22年間活躍しました。
渡辺はタイガースではあまりパッとせず、スワローズ戦で外国人選手(誰でしたっけ?)にデッドボールをぶつけて逃げまどう姿しか記憶にありません。移籍したブルーウェーブでは中継ぎでチャンスをつかみ、結構エエ場面で投げていました。
郭李は【銀腕】と期待され、そこそこの働きは見せましたが、あの体型と気迫の無い表情はどうも…
金澤、ケガも治ったようだし、今年は頼むよ!

☆石川緑:374試合登板/33完投/15完封勝利/62勝60敗/勝率.508/投球回数1169.2/244与四球/547奪三振/防御率3.32/最高勝率(1964:.769)
☆辻恭彦:974試合/1998打数/418安打/44本塁打/163打点/193四球/353三振/打率.209

| | Comments (4) | TrackBack (0)

タイガース背番号物語【19】

佐藤武夫⇒西村幸生⇒土井垣武⇒西江一郎⇒鹿野鉱一⇒大津淳⇒藤井栄治⇒阿部良男⇒工藤一彦⇒小林繁⇒中西清起⇒川尻哲郎⇒筒井和也

これはエエ背番号ですね。小林繁さんと中西のイメージが強く、投手の背番号と思っていましたが、野手にもそうそうたる面々が。
西村幸生さんは関大からタイガースへ。在籍3年で55勝を記録しましたが、この投手も景浦さん同様に戦火に散りました。
次の土井垣さんは戦中・戦後の正捕手。2リ