プレイバック~1975.9.10 騒然・広島市民球場

今年になって、子供の頃のプロ野球を代表する内野手だった土井正三さんと三村敏之さんが相次いで亡くなられました。お二人とも地味なタイプで新聞紙上に名前が出ることも少ない選手でしたが、それぞれジャイアンツ・カープにとって、選手としても指導者としても欠かせない存在でした。
そのお二人が球史に残した名場面を紹介します。まずは三村さんから。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

広島、終回の猛攻及ばず

広島 25,000人
中日 001 001 030|5
広島 020 000 002|4

勝:星野仙14勝5敗
S:鈴木孝15
敗:宮本8勝2敗
本塁打:星野仙3号(外木場)

中日
(二)   高木
(中)   ローン
(右)   マーチン
 左   井手
打左   井上
(一)   谷沢
(三)   島谷
(左)右  大島
(遊)   広瀬
打    藤波
遊    正岡
打    江藤
遊    田野倉
(捕)  新宅
(投)  星野仙
投    竹田
投    鈴木孝

広島
(二)  大下
投    三輪
打    佐野
(遊)  三村
(一)  ホプキンス
(中)  山本浩
(三)  衣笠
(右)  シェーン
(左)  水谷
(捕)  道原
投    宮本
二    木下
打    深沢
(投)  外木場
打    山本一
走捕  水沼
打    久保

この試合に負ければ優勝戦線から脱落するとあって、中日は気合十分。二回、2点を取られた星野仙も、三回以降は球速を変えて変化球とシュートをきわどいコースに投げ分けて踏ん張った。そして三回、先頭の星野仙が2-3後の内角球を左翼席にたたき込んで1点差。6回は左中間二塁打の高木を、バントとマーチンの2ゴロで返して同点。そして八回、高木の左前打と四球で無死1・2塁。代打井上の時にヒットエンドランくずれから重盗に成功。井上、谷沢の連安打で貴重な3点をあげて勝ち越した。
広島は8回のピンチに、せっかくエンドランを見破りながら、捕手水沼が落球(記録は重盗)して走者を生かした不運が痛かった。しかし土壇場の九回裏に必死の反撃を見せた。一死から代打久保が右前打、続く佐野も中前安打して1・2塁。ここで三村が左中間二塁打を放ち、星野仙をKOして1点差。二死から山本浩が中前へ安打したが、ローンの好返球に三村が本塁で刺され万事休した。

三村憤死のタッチに怒り 過熱ファン暴れる
10日夜、広島市民球場で行われた広島-中日戦の最終回、広島の攻撃で、同点走者が本塁突入のさいのタッチプレーをめぐって興奮したファン数百人がグランドになだれ込み、中日選手を取り囲んでもみ合いになり、ファン一人と中日の選手四人がなぐられけがをした。いったん騒ぎはおさまったが、試合終了後、球場前で約三千人のファンがまた騒ぎ出し、球場正面のフロントガラスを割るなどの乱暴をした。待機していた広島県警機動隊員や広島西、東署員ら計250人がファンに引き揚げるよう説得にあたり、器物損壊で一人を逮捕した。

広島県警の球場警備本部の調べでは、騒ぎの発端は九回裏、1点差につめ寄った時のこと。広島の三村が本塁へ突入、ローンからの好返球で、本塁3メートルくらい手前で刺された。このとき、新宅捕手が三村の顔のあたりへタッチ。横転した三村が乱暴だとして新宅捕手に抗議。両軍選手も本塁付近に集まり、興奮したファンがグランドになだれ込んだ。この時、ベンチへ引き揚げる一部の中日選手との間で小ぜり合いとなり、ローンがびんで右手甲をなぐられたほか、星野仙・竹田両投手と大島外野手が顔、腕などにそれぞれ軽いけがをした。

ファンはさらにこの後、球場前に止まっていた中日選手送迎用のバスを取り囲んで『中日の選手を出せ』などと叫びながら球場入り口のガラスを二枚割ったりビールびんを投げるなど騒いだ。この騒ぎで中日選手は約一時間球場内に閉じ込められたが、機動隊員に守られてやっと脱出した。

広島球場では、4月11日夜の中日-広島一回戦でもファンが審判に暴行、中日選手のバスが取り囲まれて立ち往生しており、県警は【広島市民球場警備対策会議】を発足させ、この日も機動隊約百人が警備にあたっていた。


広島球場の騒ぎは、群集心理の恐ろしさをみせつけた。中日選手を襲ったのは数十人程度。なかにはバットを振り回したり、イスを投げつけたり。たまりかねた広島のホプキンス、山本一選手らが一塁側からかけつけて必死にとめに入った。

騒ぎの発端となった新宅捕手は『顔にタッチしようとしたのではない。はずみでああなってしまった』とぶ然とした顔つき。一方の三村は『完全にアウトのタイミングだったのに、わざわざ間を置いて顔面を狙ったと思ったので怒った』という。

朝日新聞縮刷版より抜粋しました

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

手元のコピーに問題のシーンの写真が出ています。【どついてる】というようにしか見えないのですが、どうなんでしょうね。三村さんは温厚な紳士的プレーヤーという印象が強いのですが、言うべきことは言う芯の強さが、選手としてカープを支え、指導者としても金本ら多くの選手を育てたのでしょう。

この時点(10日の試合終了時点)で、首位はタイガース、ゲーム差無しの2位がカープ、2ゲーム離れてドラゴンズという、セリーグの優勝争いです。タイガースは江夏さんがリリーフで7連投してジャイアンツを降し6連勝で首位に躍り出ました。江夏さんのタイガース最終年度なのです。この時代は【勝負】となればエースがリリーフで出てくる時代、この時点で5セーブ目(シーズン成績は49試合208+1/3イニング、12勝12敗6セーブ132奪三振)です。前年から血行障害の影響が出てきたのか、成績が急降下しています。

勝利投手となった星野さんは3本目の本塁打ですが、星野さんってそんなに打撃が得意だったとは知りませんでした。堀内さんと平松さんはよく打っていた印象があるのですが。

カープ悲願の初優勝まで、あと1ヶ月前。

| | Comments (13) | TrackBack (0)

プレイバック~1979.6.26~涙のバックホーム 

甲子園球場は高校野球が開催されています
一昨日(8/13)の第4試合は三重高校と熊本工業という、甲子園常連校同士の対決。三重高校が熊本工業をサヨナラで降しました。熊本工業と言えば、昭和12年の川上哲治さんと野口二郎さんの投げ合い…じゃなくて、松山商業との決勝戦での【奇跡のバックホーム】を思い出す方も多いと思います

プロ野球でも、今から30年前に劇的なバックホームがありました

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

近鉄 010 000 000 |1
南海 000 100 000 |1
近鉄:村田 南海:佐々木-金城

近鉄バファローズ
(中)   平野
(一)   佐野
打一   小川
(指)   佐々木
(左)   栗橋
(遊)   石渡
(三)   羽田
走     藤瀬
三     吹石
(二)   永尾
(捕)   梨田
(右)   阿部

南海ホークス
(三)   藤原
(左)   新井
打     阪本
左     山本雅
(一)   片平
打     伊藤
(指)   王天上
走指   堀井
(二)   河埜
(右)   山下
(中)   久保寺
(遊)   定岡
(捕)   黒田
捕     中出


近鉄、きわどく【前期】初優勝~本塁へ一直線送球~平野、南海の勝ち越し阻む

山下のバットがくるりと回って、近鉄が苦しみから解放された。五色のテープの雨の中を西本監督はマウンドに突き進み、歓喜の中で三度四度と宙に舞った。カクテル光線にキラリと光る白い歯が、心の奥底からの安心感をのぞかせた。勝負はつかなかったが、緊張の連続の3時間32分。それは山あり谷ありの栄光までの65試合をそのまま描き出した。

2回に早々と先行し、中一日の村田も好調だった。が、追いつかれてからナインにははっきりと気負い、焦りが見えた。バント失敗とけん制死でつぶした7回の逸機がその例だったし、8回の守りには勝負を急いだ村田が二死1・2塁とされ、代打阪本にも中前に痛打を浴び、どたん場に追い込まれた。

ここで近鉄の執念、いや西本監督の執念をのり移らせたのは平野だった。打球が二塁ベース付近からゴロで転がり、二塁走者定岡は快足とあって、スタンドからは悲鳴があがった。中堅平野は約10メートルも猛然とダッシュし、目にもとまらぬ早さで本塁へ返球した。白球はなんと待ち構える梨田のミットにノーバウンドで入り、すべり込んだ定岡を間一髪で刺した。

『ボールが転がってきたとき、あの走者をかえしてしまえば、すべてが終わりと思った。だからイレギュラーしようが、ハンブルしようがかまわないから、とにかく前でつかまえて刺すことだけを考えた。どうやって投げたか、なぜノーバウンドになったかなんて全然覚えていない。夢中だった。』という試合後の平野の言葉に実感がこもっていた。

選手に不評を買おうが、周囲に非難されようが、ただ練習至上主義でチームづくりにのぞんだ西本監督。ここ2週間、チームがどん底におちったときも、気晴らしの休養を拒否した。もし鶴岡監督や三原監督だったら、別の選手操縦法があっただろうが、西本監督は『弱いから負けるんだ、気力を出せ』とひたすら言い続けた。
そのひたむき過ぎる姿勢が、かえって選手を萎縮させるという見方もあった。しかし、絶体絶命の危機で気力だけをふりしぼり、すばらしいプレーを見せた平野。『あいつが持ち前の強い性格をあらわにしてチームを救ってくれた』と目を赤くする老監督だが、まれに見る65試合目での栄光は西本イズムの凱歌ともいえる。

朝日新聞縮刷版より抜粋しました

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

【江夏の21球】【10.19】【ブライアント4連発】【逆転・代打・満塁・お釣りなし・優勝決定・サヨナラホームラン】など、【ドラマチック】が売り物の近鉄バファローズ。
前年のスワローズの優勝により、12球団で唯一の【優勝未体験チーム】として取り残された状態になっていました。
しかし、シーズン前にそのスワローズから獲得したマニエルが打ちまくり、5月末に前期優勝マジックが点灯する独走態勢。ところが、オリオンズ戦で八木沢投手の投球がマニエルのアゴを直撃して戦線離脱するとチームも一気に失速してブレーブスの猛追を受け、ひん死の状態で迎えたのがこのゲームでした。

後期優勝はブレーブスにさらわれるものの、彗星のごとく現れたラッキーボーイ・山口哲治投手の活躍で、プレーオフではブレーブスを降し、悲願の初優勝をとげるのでした。

西本監督は1920年生まれ、第二次世界大戦真っ只中に立教大学を繰り上げ卒業して戦地へ…という年代の監督です。私らの親よりも一回りくらい上、非科学的頑固一徹、とてもじゃないですが、私だったらついていけないと思います。で、ブレーブスでもバファローズでも、ついていけない選手がゴロゴロ出てきて、その都度諍いを起こしながらも優勝するのですから、指導者としての資質があるのでしょうね。

劇的バックホームの平野さんは85年まで現役を続けて通算1055安打。現場にはまったく興味が無かったようで、天王寺か上本町あたりでスナックを経営しながらラジオ大阪の解説を長くされていましたが、今はどうされているのでしょうね?
平野さんの返球をガッチリと掴み、本塁を死守した梨田さんは、ご存知の通りファイターズの監督です。

いつも同じようなことばっかし言うてますが…タイガースって、こういう熱いハートを持った選手が少ないですよね

| | Comments (51) | TrackBack (1)

プレイバック~1992.5.26 とにかく強く振る!

ただいま、甲子園でタイガースvsジャイアンツ戦が行われています
2点先制されるも、その裏にすぐさま逆転したのはいいのですが、好判断でホームを陥れた赤星が阿部と交錯して負傷退場してしまいました。前日は関本も登録抹消。
セカンドスタメンの平野が外野へ回り、大和がセカンドに入りました。

解説の吉田義男さんが、『大和はチャンスですよ』と言っておられました
そう、大和にとっては代走守備固め要員から抜け出す大チャンスです

今から17年前、レギュラー選手の欠場で回ってきた代役起用のチャンスにホームランで応え、そのままスター選手になってしまった選手がタイガースにいました

また新トラ~代役・新庄 決勝1号

1992.5.26 甲子園 28,000人

大洋 100 000 000|1
阪神 110 000 000|2
勝:仲田6勝3敗 敗:有働2勝2敗
本塁打 新庄1号

横浜大洋ホエールズ
(二)   高木
(三)   清水
(右)   レイノルズ
(左)   シーツ
(中)   畠山
(一)   長内
(遊)   進藤
(捕)   秋元
(投)   有働
打     屋敷
投     盛田

阪神タイガース
(二)   和田
(遊)   久慈
(右)   亀山
(左)一  パチョレック
(中)   八木
(一)   岡田
左     中野 
(三)   新庄
(捕)   山田
(投)   仲田

阪神は2回、新庄が有働の初球のカーブを積極的に打ってプロ入り初本塁打。これが決勝点となった。有働は7回まで3安打に抑える好投だったが、ちょっと無警戒すぎた。大洋は7・8回の得点機に犠飛も打てず、仲田に完投で6勝目を許した。

阪神にまた、生きのいい若手が出てきた。オマリーが負傷したため、代役で3塁を任された新庄。いきなり、今年の初打席で本塁打を放った。
共感を呼ぶのは『とにかく初球から打っていこう』という若者らしい気持ちだった。2回の先頭打者。有働の投球は高めの甘いカーブ。
だが、新庄は決してカーブを待っていたのではなかったそうだ。今シーズン、一軍初のスイングを『ただ強く振る』と、考えていただけだったという。果敢さが好結果を生むいい例だ。遠くへ飛ばす素質が評価されていただけのことはある。
西日本短大付高からプロ入りして3年目の20歳。これまでの1軍成績は17打数2安打。今年はウエスタンリーグで6本塁打など、順調に成長していた。
22歳の亀山、山田に23歳の久慈。それに加わろうとする20歳。積極的な気持ちを持ち続ければ期待は広がる。

もう歩かせないぞ
昨季までは【制球難】で有名だった阪神の仲田が、自己2度目の無四球完投でハーラートップタイの6勝目をあげた。『ストライクばっかり投げずに、ボールを使ってゴロを打たそうと考えた』。今年は逆転の発想が無四球投球につながっている。

朝日新聞縮刷版から抜粋しました

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

18年間も続いた長い長い暗黒時代、たった一瞬だけタイガースファンが夢を見たのがこの92年。亀山のヘッドスライディングで勢いづき、最後はスワローズに屈したものの優勝戦線に喰らいつきAクラスを確保しました。これでチームが変わってくれたら、暗黒時代後期はなかったんですけどね。この3年後に震災があって野球どころではない状況に陥るような不運はあったのですが。

掛布さんがレギュラーを獲ったのは、藤田平さんがオープン戦を欠場した時に代役で呼ばれて活躍したのがキッカケというのは有名ですが、新庄もオマリーの代役を見事に務め、そのままレギュラーを奪ってしまいました。
ホームランを打って3塁ベースを回る新庄の写真が出ています。ヒョロっとして初々しいですね。出迎えるサードベースコーチ(故・島野育夫さん)は背中しか写っていませんが、とても嬉しそうに見えます。

レギュラーの高齢化が進むタイガースでレギュラー二人の欠場。
このチャンスを生かさなくてどないすんねん>タイガースの若手選手rock

と、記事を書いていたら、江草得意の【追いつかれても自責点ゼロ】で一度同点に追いつかれた状況で、桜井がバックスクリーンに飛び込むホームランを打ちました。

真弓監督、もう右も左も関係なく桜井を使いましょう
ここでレギュラーを育てんかったら、次の機会なんていつくるかわからないですよscissors
桜井、絶対にレギュラーになれよrock

また、アッと驚くマイクが無四球完投をやってのけています。本文中にもあるように、【制球難】が代名詞だったのが、この年だけは別人でした。

| | Comments (8) | TrackBack (0)

プレイバック~1991.5.03 オリックスはこんな弱いチームじゃありません!

藤井がサヨナラ2ラン~“責任男”目うるませ歓喜の一周

1991.5.3 GS神戸 25,000人

ファイターズ   003 000 131|8
ブルーウェーブ 010 131 003|9
勝:シュルジー1勝2S 敗:武田2敗4S
本塁打 田中2号 藤井6・7号 本西1号

日本ハムファイターズ
(遊)   田中
(右)左 大内
(一)   大島
走右   川名
(左)   ウインタース
走三   森
(指)   ベイス
(三)一 中島
(二)   小川
打    白井一
二    広瀬
打二   五十嵐信
(捕)   田村
(中)   島田信
投手:松浦-内山-角-武田●

オリックスブルーウェーブ
(中)   本西
(遊)   小川
(三)   松永
(一)   ブーマー
一     山越
打     村上
(左)   藤井
(指)   石嶺
(右)   高橋智
(捕)   中嶋
捕     藤田
(二)   風岡
打     熊野
二     福原
投手:酒井-岩崎-伊藤隆-シュルジー○

オリックスは9回、本西の本塁打で1点差。さらに2死1塁で藤井が武田の直球を右中間に逆転本塁打した。武田がこの回浴びた安打はいずれも直球。単調な投球が一発攻勢に屈した。オリックスが救援陣が不調で苦戦した。

9回2死1塁。1点差を追う土壇場の場面で藤井は武田の直球を振りぬいた。打球は右中間に飛び込んだ…。一塁を回ってヘルメットを高く放り上げた。ホームインした時には目が真っ赤だった。
打線が看板のオリックス。やはり、本来の持ち味が出たときには強い。『野球で泣くなんて高校時代(泉州高校)に夏の大阪大会で負けたとき以来だよ。プロ入りして一番嬉しい』
開幕以来低迷を続けるチームで、責任感は人一倍だった。前日も試合前、選手会だけでミーティングを開き、『ウチは最下位にいるようなチームじゃない。監督・コーチが野球をやるんじゃない。各自、きっちりと仕事をやろう』と話し合ったという。
ヒーローインタビューの台上からスタンドに向かって『オリックスはこんな弱いチームじゃありません』と、この一ヶ月の思いのたけをはきだした藤井。西日にひとみが光っていた。

朝日新聞縮刷版から抜粋しました

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

前年2位(但し、ライオンズに手も足も出ず8勝17敗1分で12ゲーム差をつけられる)のオリックス。長年指揮をとってきた上田監督が区切りの1,000勝を記録したのを機にしたかどうかしりませんが、このあたりから【阪急ブレーブスカラー一掃】にとりかかります。その第一弾が、ジャイアンツOBの土井正三さんの監督招聘。
が、緻密なV9ジャイアンツ野球と豪快なブルーサンダー打線が融合するワケがなく、前日まで5勝14敗で最下位独走態勢を固めつつありました。

そんな中で飛び出した藤井のサヨナラホームラン。
朝日新聞はサラッと記事を書いていますが、プロ野球ニュースで見た藤井のインタビューは熱い思いが込められていました。テレビを見ていて、ジーンとしてしまいましたよ。前田のインタビュー拒否サヨナラホームランと同じくらいに熱いものを感じました。

藤井はパリーグ新記録である14本の満塁ホームランをスタンドに叩き込んでいます。日本新記録保持者は、もちろん王さんで、15本です。藤井の通算本塁打数は282本で、王さんの1/3足らずです。いかに、藤井が勝負強い打者だったかということがわかるかと思います。

現役引退後はファームの打撃コーチから一度編成部に入り、昨シーズン末からファームの打撃コーチに復帰しています。かつては勝負強い打者が多かったオリックス・近鉄ともにサッパリした選手が多くなってしまいました。藤井のような熱いハートを持った勝負強い打者を一人でも多く育てて欲しいです。

タイガースっておとなしい選手が多くて…一人くらい、こういう気持ちを表面に押し出す選手がいてもエエと思うんやけどな(ぼそっ)

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

この試合なんて、ついこの前のことだと思っていたのですが…イチロー&田口が入団する前年ですなcoldsweats01
この試合の出場メンバーで、今も現役の選手はブルーウェーブの捕手・中嶋(現ファイターズ)だけです。ブルーサンダー打線はそうそうたるメンバーですが、スタメンで移籍を経験することなくオリックス一筋で引退したのは藤井だけですね。

さて、問題です。この日のパリーグ3試合に出場していた選手の中で、中嶋捕手以外にもうひとり、今も現役として頑張っている選手がいます。中嶋捕手は今シーズン出場ゼロですが、もう一人の選手は30試合に出場して15本のヒットを打っています。
見事当てられた方には【万馬券の素(100円)】を贈呈いたします。あくまでも【素】なので、紙屑と化す可能性大ですがhappy01

| | Comments (20) | TrackBack (1)

プレイバック~広島カープ名場面(1) アベックホームラン

昨シーズンで公式戦常打ち球場としての役目を終えた広島市民球場(オープン戦数試合は新球場でなく市民球場で行われるそうですが)
それに対して【おつかれさま】の意味で、【市民球場名場面】のプレイバックをやろうと思ったのですが…記憶にあるカープの名場面って、みんなビジターなんですねcoldsweats01
市民球場での名場面って、まったく思いつきません

そんなわけで、市民球場は忘れて【カープ名場面】

1975.7.19 甲子園 オールスターゲーム第1戦

全パ
(中)弘田<オリオンズ>
 打 門田<ホークス>
 二 マルカーノ<ブレーブス>
(二)山崎裕<オリオンズ>
 中 福本<ブレーブス>
(左)張本<ファイターズ>
 左 土井<ライオンズ>
(右)長池<ブレーブス>
(捕)野村<ホークス>
 投 鈴木<バファローズ>
 打 佐々木<バファローズ>
 投 山口<ブレーブス>
 打 小川<バファローズ>
(一)加藤<ブレーブス>
(三)遊三 有藤<オリオンズ>
(遊)大橋<ブレーブス>
 投 山田<ブレーブス>
 捕 村上<オリオンズ>
(投)太田幸<バファローズ>
 三 藤原<ホークス>
 遊 定岡<ホークス>

全セ
(左)若松<スワローズ>
 打左 高田<ジャイアンツ>
(遊)藤田<タイガース>
打遊 山下大<ホエールズ>
(中)山本浩<カープ>
 中 ローン<ドラゴンズ>
(一)王<ジャイアンツ>
 投 安仁屋<タイガース>
(捕)田淵<タイガース>
 捕 大矢<スワローズ>
(三)衣笠<カープ>
 三 島谷<ドラゴンズ>
(右)井上<ドラゴンズ>
 右 末次<ジャイアンツ>
(二)大下<カープ>
 二 中村勝<タイガース>
(投)江夏<タイガース>
 打 中塚<ホエールズ>
 投 外木場<カープ>
 一 松原<ホエールズ>

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

全セが6連敗を免れた。1975年度プロ野球オールスターゲーム第1戦は19日、甲子園球場で開幕した。セは江夏、パは太田幸の先発で午後6時30分プレーボール。全セは球威のない太田幸の立ち上がりを攻め、1回藤田の三塁打で先取点をあげたあと、山本浩が2点本塁打、さらに衣笠の本塁打などでたちまち4点をあげた。
さらに2回も二番手投手・山田を攻め、山本浩が3点本塁打3回にも衣笠が左へ。3回にも衣笠が左へと。二人揃って30年の西澤以来の【2打席連続本塁打4本塁打】と大差をつけた。全セは江夏・外木場・安仁屋が力投して全パを完封した。

朝日新聞縮刷版より抜粋・転記しました
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

当時中学2年生(^_^;;;
テレビで見ていました
浩二さんと衣笠さんの時だけ飛ぶボール使ってるんとちゃうのん?ってな感じで、いとも簡単に打球がスタンドに吸い込まれていたような印象があります。
悲願の初優勝へ、勢いと自信をもたらした試合だったのではないでしょうか

同じ日に甲子園球場でジュニアオールスターゲームが行われました
ライオンズから選出され、途中から代打に出てライトの守備についた選手…タイガースの真弓監督ですね
他には高校四天王の定岡さん(ジャイアンツ)・工藤さん(タイガース)・土屋さん(ドラゴンズ)、バファローズの栗橋さんに吹石さん、ホークスの河埜さん、ホエールズの田代さんなどもメンバーに名を連ねています

85年に【岡田激走・河埜世紀の落球】と【バックスクリーン3連発】をテレビで見た時、『もしかして、今年って夢見てもエエんとちゃうのん?』と思った方は多いと思います。あれはまだ5月。この日はシーズンも中盤にさしかかる7月。カープファンの方は、どんな思いでアベックアーチ連発をご覧になっていたのでしょうか?

完封リレーのセリーグ3投手は【後のカープのリリーフエース・現在のカープのエース・以前のカープのエース級】と、全員がカープ在籍経験者になるわけですね。これもまた何かの縁か?

| | Comments (34) | TrackBack (0)

プレイバック~1998.08.20 一丸の底力 横浜vsPL学園

就職して仕事やら家庭やらが忙しくなり、多くの方は昼間の高校野球から遠ざかっていくと思います
私もそうでした
でも、この年度だけは日本中の野球ファンに、『見ろ!』というオーラを発信していたような気がします
そして、それにふさわしいプレーヤー、ゲームが揃ったのではないでしょうか

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

横浜17回、一丸の底力
3時間37分、一振りが決めた 『点取るぞ』松坂の250球支える


横浜(東神奈川) 000 220 010 010 000 12|9
PL学園(南大阪) 030 100 100 010 000 10|7

横浜
(右)  小池
(中)  加藤
(一)  後藤
(投)  松坂
(捕)  小山
(左)  堀
 左   栄
(三)  山野井
 三   斉藤浩
 打三 常盤 
(遊)  佐藤
(二)  松本

PL学園
(左)  田中一
(右)  井関
 打右 平石
(遊)  本橋
(三)  古畑
(中)  大西
(一)  三垣
(捕)  石橋
 捕   田中雅
(投)  稲田
 投   上重
(二)  松丸

 もう、ガッツポーズをする気力さえ残っていなかった。延長17回、田中雅をカーブで三振に仕留めた横浜の松坂は、両腕をだらりと下げて下を向いた。250球。『野球人生で一番苦しい試合でした』
 その言葉に、わずかな誇張も含まれてはいない。
 PL学園のすさまじい粘りだった。11回。1点を勝ち越したら追いつかれる。13・14・15回は得点圏に走者を送りながら、上重にかわされた。16回には再び1点を勝ち越したが、また振り出しに戻されてしまう。
 『いい加減にしてくれ』松坂の心の叫びだ。
 なえそうになる気持ちを奮い立たせることができたのは、仲間たちがかけてくれる言葉だった。『いつか必ず点を取ってやる。抑えることに集中しろ』。捕手の小山が言い続けた。17回の攻撃に入るとき、常盤が『絶対打つからな』。
 女神を最後に振り向かせたのは、代打で11回から出場した、その常盤の一振りだ。『真っすぐだけにヤマを張って振りぬきました』。2死から敵失の走者を1塁に置いて、右中間席に本塁打を打ち込んだ。
 『自分が打てば決まっている場面があった。あそこはどうしても松坂を楽にしてやりたかった』。常盤が振り返る。
 『PL学園の強さは特別です。自分たちでなければ勝つことはできなかったでしょう』。松坂は『自分たち』の【たち】に力を込めて話した。
 『準決勝は松坂を投げさせられない』。横浜・渡辺監督の言葉が本音であるかどうかは、わからない。
 『そうだとしても、僕たちには全員野球がありますから』。常盤が最後に言った一言に、横浜の本当の強さがひそんでいる。
 
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

この試合も営業車のラジオで聞いていました。こんな激闘になるなんて、最初は考えてもみませんでしたよ。アポイントも無かったので、木陰に車を止めて、最後まで聞いていました。もしも今の時代だったら、『明日もこんな試合だったら…』と、ケータイをワンセグ内蔵に機種交換しにいったかもしれないですよ、マジで。
準決勝、控え投手が登板して松坂は外野。一方的に6-0になってしまうのですが、最終回に松坂が登板して、そこから逆転(だったと思います)。こんなドラマチックな大会、生きている間にもう一度あるかどうかわからないですね。決勝のノーヒットノーランも【オマケ】と感じてしまうような大激戦の2日間でした。

この試合の出場選手でプロに行ったのは松坂・小山・後藤・小池・大西だけかと思っていました。つい今までは。で、記事を書きながら、『最後の打者の田中雅…どっかで聞いたよな?ファイターズ?スワローズ? あ、マリーンズか』。もしかして、トップバッターの田中一もどっかに? ベイスターズに在籍していた小柄な外野手の田中一徳外野手。平石選手も大学⇒社会人経由でイーグルスに。他にも、杉内に和田に古木に村田に久保田に森本…田中選手のような下級生まで含めたら、この大会の出場選手が一体何人プロに進んだのか…

宇部商業-豊田大谷の【サヨナラボーク】も忘れられない試合です

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

40回記念大会から80回記念大会までを振り返ってきましたプレイバック・高校野球、とりあえずこれで終了します。取り上げたい試合は山ほどありますが、なかなか時間も取れなくて残念です。
残念と言えば、広島商業の佃投手、早稲田実業の小沢内野手、お二人の訃報を知ったことも。私の年代の高校野球ファンであれば絶対に忘れない名選手でした。ご冥福をお祈りします。

また、折りを見て、不定期で続けていきますのでコメント・ご指摘、よろしくお願いします。

| | Comments (169) | TrackBack (0)

プレイバック~1986.08.21 守った 耐えた 天理V 天理vs松山商業

2,566安打567本塁打の門田博光さんから、タイガースのオールラウンド内野手・関本賢太郎まで多くの人材をプロに送り込んだ天理高校。ベスト8あたりまでは何度もたどり着くのですが、そこから先へはなかなか進むことが出来ませんでした。その天理が奈良県勢として初めて決勝コマを進めたのがこの大会。しかし、相手は百戦錬磨の松山商業、そこにはとんでもない安打製造機が待ち構えていました。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

ミスついて逆転・加点 鮮やか“変身フィナーレ”

天 理(奈良)000 201 000 |3
松山商(愛媛)100 001 000 |2

天理
(遊)大平
(中)萩原
(二)北浦
(左)山下和
(一)中村
(捕)藤本
(右)藤井   
(投)本橋
(三)山下勝

松山商
(遊)水口
(左)堀内
(一)上川
(二)中村
(投)藤岡
(右)岩田
(三)菊谷
(捕)池田
(中)大野

 ベンチの策を責めるつもりはない。バントはもろ刃の剣にも似て、功罪なかばすることを痛感した。松山商5回の攻めである。
 1点を追う松山商は先頭の大野が遊ゴロ低投で二進、水口の一打は遊撃正面で不規則バウンドする安打で無死1・3塁とした。またとない反撃機に松山商ベンチは堀内に初球スクイズを命じた。ファウル。2球ボールのあとまたスクイズ策に出たところ、今度は空振り。三塁走者が挟殺されてしまった。このあと堀内が中前安打するというちぐはぐさで、結局無得点に終わった。
 堀内は前の打席でもスリーバントに失敗し、やや自信を失っていた。ここは一気に攻め込み、チームを波に乗せる方が先決ではなかったろうか。1点にこだわりすぎ、その重みにつぶされてしまった感さえした。

 天理は4回、1死から藤本が四球、藤井の右前安打で1・3塁としたあと、松山商・藤岡の暴投で難なく同点。なおも連続暴投で走者を進め、大平が右前に適時打して逆転。6回にも松山商内野陣の乱れから幸運な追加点をあげて逃げ切った。

 松山商は緻密な守りと、積極的な攻めが武器だったのに、【頂点】を目前にして守りのリズムがわずかに崩れ、そこを突かれてしまった。不運としかいいようが無い。逆に天理はひじ痛のエース本橋が想像以上の精神力で踏ん張り、最後まで投げぬいた。野放図なまでの攻守には、やはり強靭な気力がバックボーンとなっていたのだろう。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

就職して3年目、営業車の中でラジオを聞いていました。

天理のエース・本橋投手は6月頃からのひじ痛が甲子園に来て悪化。ベスト8あたりではキャッチボールもままならない状態だったそうです。無理を承知で登板した準決勝の鹿児島商戦も集中打を浴びて5回降板。2年生投手(確か、緑川という名前だったように記憶しています)が必死で踏ん張って打線が何とか打ち勝つ苦しい展開で決勝までたどり着きました。相手の松山商業には、今も個人大会記録として残る19安打・27塁打・最多打数連続安打8の水口を中心とした好打のチーム。浦和学院戦では11連続安打を記録するなど、かさにかかって攻めてくる攻撃は脅威で、戦前の予想は松山商有利でした。本橋投手の精神力がナインを集中させて運も引き込んで勝ったとも言えるでしょうか。主軸の中村選手がドラフト2位でバファローズに入団、後年はタイガースへ移りますが、プロでは成績を残せませんでした。山下和輝選手もプリンスホテルを経てタイガースに入団しますが、こちらも成績は残せませんでした(この年のタイガースのドラフト指名選手って、ほぼ全滅ですね)。

松山商業からは2名が大学進学後プロへ。昨年、惜しまれながら引退した水口選手は早稲田大学経由。小池が『ロッテだけは…』と語った90年のドラフト2位でバファローズへ。観戦に行くとよく打ってくれて、印象に残る選手です。30歳を過ぎてから勝負強さが光っていました。現在はバファローズのコーチとして後進育成に奮闘中。リリーフ役の佐野投手は近大工学部から同年ドラフト3位で同じくバファローズへ。全盛期は短かったのですが、赤堀につなぐセットアッパーとして活躍しました。よみうりテレビの朝の番組で見かけます。

バントを2度失敗し、最後の打者となってしまった堀内選手の名誉のために…『堀内がバントをできないほどなのだから相手の方が上だったんですよ、私のミスです』という監督のコメントが出ています。他の選手がフリー打撃で快音を響かせる間もひたすらバントの練習に汗を流し、監督もそれにつきっきり。監督が最も信頼していたと言うことでしょうか。堀内選手は大会後に行われる日韓親善野球のメンバーにも、水口選手・藤岡投手と一緒に選ばれています。

高校野球を真剣に見ていたのはこの大会が最後。その後は仕事が忙しくなったりして、疎遠になってしまいました。怪物登場まで…

| | Comments (130) | TrackBack (0)

プレイバック~1979.08.16 死闘18回 星稜vs箕島

自分の学年からはプロで大成する選手は生まれませんでした
ただし、高校野球では90年の球史を語る上で絶対に外れない出来事が2つありました
その一つがこの試合です

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

死闘18回、星陵力尽きる

星稜(石川)  000 100 000 001 000 100 |3
箕島(和歌山) 000 100 000 001 000 101x|4

星稜
(一) 加藤
(左) 金戸
(遊) 北
(捕) 川井
(投) 堅田
(右) 音
 二  高桑
(中) 山下
(二) 石黒
(三) 若狭

箕島
(捕) 嶋田
(左) 宮本
 打  辻内
(二) 上野山
(一) 北野
(遊) 上野
(中) 森川
(右) 久保
(三) 榎本
 打 石橋
 三 浦野
(投) 石井

 箕島が2度敗退の瀬戸際からはい上がって、延長18回、規定による引き分け寸前にサヨナラ勝ちするという劇的な試合をみせた。球史に残る大接戦といってもいいだろう。
18回、先頭の代打辻内が四球、上野山がスリーバント失敗後、北野がストレートの四球を選んだ。1死1・2塁。耳をつんざくような大歓声の中、上野は0-2後の内角球につまりながらも左前に適時打し、辻内が2塁からかえって、3時間50分にわたる熱戦に終止符が打たれた。 

 大技・小技を身につけた箕島が、得意のはずのバント戦法を、固い守りの星稜にことごとく封じられ、形成はまったく不利であった。延長に入った12回。1死1・2塁のピンチに星稜・石黒のバットの先に当たった難しいゴロを2塁手が取り損なった。考えられない失策から決勝点となる1点を失ったかに見えた。ところが、その裏2死を数え、敗色が濃くなった空気を嶋田が見事に吹っ飛ばす同点本塁打を左へ放った。
 こうした箕島は14回、安打の森川が久保のバントで2進し、投手のけん制の逆を巧みにつく3盗。粘る星稜の度肝を抜きかねないこの盗塁。だが、鍛えられた星稜ナインには落ち着きがあった。あまりほめられたことではないが、3塁手の隠し球で、この3塁走者をアウトにした。一瞬ぼう然とする箕島のナイン。

 これで生気を取り戻した星稜は16回1死後、川井が死球、堅田の2塁強襲安打で1・2塁のチャンスを得た。音の投ゴロで堅田は2封されたものの、2死1・3塁から山下が右翼線に好打、川井がかえって、また星稜がリード。こんどこそ勝負あったかにみえた。だが、まさに大熱戦。その裏2死から箕島は、森川が2-1後に左へ本塁打して3度目の同点。

試合展開は、いまだ見聞きしたことのない大試合ともいえた。箕島の大技が、大事な場面で発揮された底力は、やはり大したものと言うべきだろう。しかし、敗れたとはいえ、腕も折れよとばかりに、箕島打線を圧倒した左腕堅田の力投は、大いにたたえなくてはならない。そして堅田をもりたてたバックスの見事な攻守の援護ぶりも、絶賛に値する。 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

高校3年生でしたが、大学進学の意思がなかったので、まったく勉強していませんでした。この日はバイト。寿司屋さんで出前と皿洗いと調理補助。出前で出たり入ったりしていて、断片的にしか覚えていません。『まだやってるで…』という感じで。延長18回、それまでは『何とか勝ち越し』『取られてたまるか』という緊迫した試合だったのが、『あー、引き分け再試合かなー』と空気が変わった気がします。その一瞬の空気の変わり目を逃さなかった箕島が上だったのでしょうか。

今でこそ、ヤンキース・松井秀喜の母校として有名な星稜高校ですが、この時点でプロ入りした選手は小松辰雄さんだけ。この試合のメンバーでは北内野手と1年生で出場していた音外野手がプロへ。北選手はほとんど出場機会のないままに去りましたが、音外野手は新日鉄名古屋を経てドラゴンズへ(立浪の年度の5位指名)。ドラゴンズとカープで外野の準レギュラーとして活躍しました。その後、ホークス⇒ブルーウェーブ・バファローズで活躍する村松、ジャイアンツ⇒ヤンキースの松井、バファローズで今年突然エースにのし上がった山本などがプロへ進んで活躍します。

今でこそ、いわゆる【野球後進地域】と言われていた北海道・東北・北陸のチームでも打撃を売り物にするチームは多いですが、この時代に優勝候補の学校に勝とうと思ったら、大エースがいるか、堅い守りでしのいで何とか勝機を見出すしかなかったんですね。
高校野球の質が変わるまでには、もう少し年月がかかります。

優勝した箕島からは決勝打の上野選手がジャイアンツに入団しましたが、活躍の場はありませんでした。バッテリーの石井毅・嶋田宗彦は地元の社会人・住友金属和歌山へ。都市対抗でも優勝し、石井投手はライオンズ、嶋田捕手はタイガースへ。石井投手は腰痛が原因で、思ったとおりの活躍が出来なかったのは残念です。和歌山県には私大がなく、社会人チームも住友金属が廃部。そんな中で、『和歌山は野球王国じゃなかったのか?』『何で高校から先がないんだ?』と心を痛めるかつてのプレーヤーが行動を起こします。
箕島高校OBが中心になって、住友金属廃部の少し前に設立された【和歌山箕島球友会】
そして、石井投手(現・木村竹志)は、通信制高校と提携して、高校をやめてしまった子供がスポーツをしながら学べるスポーツ学校【和歌山スポーツアカデミー】を設立。そして次のステップとして、来春スタートする関西独立リーグに参加する紀州レンジャーズの理事長と監督に就任されました。道は険しいと思いますが、野球に携わる同学年には頑張ってもらいたいです。
嶋田捕手はタイガースへ。木戸捕手の控えに回ることが多く、7年間で300試合の出場にとどまりました。引退後もコーチ・スタッフとしてチームを支え、現在はファームのバッテリーコーチです。

箕島は決勝で池田(徳島)を降して春夏連続優勝を記録します。春夏連続優勝は62年の作新学院から98年の横浜まで5回記録されていますが、公立高校で記録したのは箕島だけです。2年連続も、旧制中学時代には和歌山中学・第一神港商業・広島商業・海草中学・小倉中学&小倉高校が記録していますが、【高校野球】となってからはゼロ。池田高校の【夏春連続】があるのみです。

今は和歌山と言えば智弁和歌山で、箕島が63回のセンバツを最後に甲子園から消えて、もう17年経ちまが、私の高校の卒業アルバムにも【3年間の出来事】として登場する箕島高校はいつまでも忘れられない高校です。

| | Comments (8) | TrackBack (0)

プレイバック~1979.08.09 同級生は牛島・香川・仁村弟 浪商vs上尾

いよいよ、自分の同学年まで来ました
私の学年はプロで大成した選手がおらず(1つ下はなかなかのメンバーなのですが)、そこそこに活躍した選手も、表題のの3人以外ではジャイアンツの岡崎内野手、カープからファイターズで投げていた長富投手、ドラゴンズの中継ぎ投手だった鹿島投手程度でしょうか
が、この年の選手権は球史に残る好勝負がありました。もう一つの試合が偉大過ぎてかすんでしまいましたが、この試合も緊迫した好勝負でした

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

あと1人…上尾“大魚”逃がす 浪商・牛島 同点2ラン

浪商(大阪)000 000 002 01|3
上尾(埼玉)100 001 000 00|2

浪商
(二)椎名
(中)木村
(捕)香川
(遊)山本
(投)牛島
(一)川端
(右)井戸
(左)森川
 打 山脇
 左 石見
(右)片山

上尾
(遊)福田
(二)細渕
(左)角田
(中)市川
(投)仁村徹
(三)江本
(一)長堀
(捕)長島
(右)梶原

上尾は浪商の力の前に屈したが、善戦は激賞に値する。
仁村徹投手は下手投げ特有のくせのある球を十分に生かしたすばらしいピッチングで、香川・牛島を軸とする強打の浪商打線に真っ向から勝負を挑み、9回2死までは完全に自分のペースで投げた。あるときは外角へカーブを、またあるときは内角へシュートをと仁村徹の右腕はさえ、2-0のリードを守り切るかにみえた。
試合の主導権を上尾に握られた観の浪商は、9回2死1塁で牛島が内角に入ってくる変化球を左へ2点本塁打。土壇場での1打で、ようやく苦境からはい出した。形勢を互角にしてからの牛島-香川のバッテリーは、すっかり本来のペースに立ち戻った。バットを短く持って牛島攻略に必死の上尾打線も、立ち直った牛島の球に的が絞りきれずに終わった。
延長11回、浪商は1死から木村が右中間3塁打。香川は仁村徹の頭脳的な配球に三飛に倒れ、これまでかと思わせたが、山本の左中間長打で決勝点をあげた。
上尾は1回、1死2塁で市川が遊撃右を抜いて1点。6回には2死3塁で仁村徹が2塁右へ強打(記録は失策)して2点目をあげた。積極果敢なスイングで牛島を攻め、9回2死まで優位に試合を運びながら、あと一人のところで投げた仁村徹の甘い変化球。この1球が惜しまれてならない。それにしても、対外試合禁止から短期間で立ち直って、すばらしい試合を見せたのは立派だった。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

高校3年だというのに受験勉強もせずに東京へ遊びに行ってまして、電車の中でラジオのイヤホンで聞いていました。牛島のホームランは西武線の江古田あたりだったかなー?
『もうアカン』って思いました、正直な話。ホームランで同点と言われてもピンとこなくて。
【野球は9回2死から】の典型的な試合でした。

牛島投手はドラゴンズに入団。そして、落合選手との電撃トレードでオリオンズへ。故障が多く、30代前半での引退は残念でした。14年間で395試合に登板、53勝64敗126セーブ の記録を残しています。ベイスターズでの監督業は不完全燃焼に終わってしまいましたが、同級生のリーダーとして、また現場に戻ってきてもらいたいです。
【ドカベン】香川捕手はホークスへ。初打席初本塁打を打ち、83年にはベストナインにも選出されますが、太りすぎで成績は低下、10年で引退します。決勝打の山本内野手も翌年ドラフト外でホークスへ入団しますが、1軍の試合には出場することなく退団しました。代打に出てきた山脇内野手もドラフト外でタイガースへ。しかし、和田・平田さんに久慈を抜くことは出来ず、1軍半の控え選手で終わりました。現在はタイガースの守備走塁コーチを努めています。
上尾の仁村投手は東洋大へ。通算29勝を挙げて83年ドラフト2位でドラゴンズに入団(4位指名で入団したのが、先日200勝を達成した山本昌)。入団後は1試合に登板しただけで内野手に転向。主にセカンドを守り、勝負強い打撃で主力選手として活躍し、主将を務めたことも。マリーンズへ移籍して97年に引退。その後、2004年までドラゴンズでコーチを努めておられました。

近鉄バファローズがパリーグで優勝、これで優勝経験ゼロのチームはなくなりました。日本シリーズは伝説の【江夏の21球】。サザンオールスターズの“いとしのエリー”がヒットし、初代3年B組金八先生が放映開始。円広志の【夢想花】がヒットして“一発屋”という言葉が市民権を得、山口百恵が三浦友和と交際宣言し、翌年引退。
私は“彼女いない歴継続中”のまま、高校3年は過ぎていきました

| | Comments (276) | TrackBack (0)

プレイバック~1978.08.20 逆転のPL

60回記念大会は30年も前の出来事なのですね(当たり前か…)
私は高校2年生、セブンティーンですわ
年が明けてすぐに原チャリの免許を取りました
『モーリス持てばスーパースターも夢じゃない♪』という、谷村新司のCMにそそのかされてギターを買ってフォークソング部に入部しました
でも、上手くならなかったらスーパースターにはなれんのですな
もっと早く言うて欲しかったthink

そんな時代もあったのかhappy01

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

PL“不死鳥の逆襲”再演
柳川、左中間を真っ二つ 西田、歓喜のホームイン

高知商(高知) 002 000 000|2
PL学園(大阪)000 000 003|3

高知商
(三) 明神
(遊) 森田
(右) 正木
(中) 青木悟
(一) 松浦
(左) 中山
(投) 森
(捕) 坂上
(二) 中沢

PL学園
(中) 谷松
(一) 渡辺
(捕) 木戸
(投) 西田
(右) 柳川
(左) 荒木
(三) 戎
(遊) 山西
(二) 中村

2試合も続けて9回裏に、こんなドラマが起こると、誰が予想できたか。
3回に2点を先行され、PL学園は高知商の森に『ゼロ』を重ねた。ベンチで鶴岡監督はナインに何度もどなった。『1点がどうして取れんのや。きのうのようなことは2度と起こらんぞ』
だが、奇跡はまた起こったのである。今大会、前日まで10打数1安打の中村が突破口の中前打。幕開けにまず意外性があった。
森の顔が青ざめる。谷松に対して腕が縮みストライクが入らない。二宮主将がベンチから伝令に走った。リードを背負った投手は9回になると気持ちが攻めから守りに変わるといわれる。高知商ベンチはそれを心配して『これで終わると思うな、延長戦をやるつもりでいけ』とこの回森を送り出していたが、投げる本人には無理な注文だったかも知れない。
谷松ストレートの四球。渡辺のバントに森は立ちすくんだ。一塁手の松浦が拾って危うくアウトにしたが、この硬い動きにも森の不安はよく表れていた。前日、PL学園9回裏の逆襲に中京の武藤投手は『代えて欲しい』とベンチを何度もうかがったが、森の心境も同じようなものだったのだろう。
木戸の中犠飛で1点差とした後、打席に入った西田は、森の弱気を読んでいた。『2年生でしょう。経験不足で硬くなっていましたね』。1-1から西田はとんでもない高いボールに手を出し空振りした。『何でもいいから一つ思いっ切り振ってやろう』とヤマを張っての失敗だったが、不安いっぱいの森は、この強振に恐怖を感じたかもしれない。4球目は内角カーブ。森は『ねらったとこへいった。失投とは思わない』といったが、西田に言わせると『左打者にあのカーブはボクもよく打たれる球』。これが同点の二塁打。
このあと柳川の打球が左中間を真っ二つに割って、西田が両手をあげて本塁へ。森は柳川の一打を何か信じられないものを見るように、ぼう然と見送っていたが、マウンドを2,3歩降りると、しゃがみこんでしまった。勝者から一気に敗者へ。残酷な場面だった。
西田は4回、三直を打ったとき、球につまって左手の親指を痛めた。『気の強い子』(鶴岡監督)で、西田はこの試合明らかに気負いがあり、3回の失点は多分に力みが災いとなっていた。だが、親指を痛めたことで、投球を『打たせてとる』方向に変えた。これが高知商の追加点を阻むことになったのだから、野球は面白い。
PL学園はこの試合、ジャンケンに勝って『後攻』をとった。木戸が“グー”で高知商の二宮は“チョキ”。鶴岡監督は『昨日の9回裏を考えて後攻をとらせたのではない』と苦笑したが、後になってみると何もかもが『9回裏』のおぜん立てになっている。高知商はやはり運がなかった。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

記事は朝日新聞縮刷版より抜粋しました

前日の中京戦も9回裏に4-0を追いつき、延長12回裏にサヨナラ勝ち。【逆転のPL】の名を全国にとどろかせ、過去2回決勝戦で涙を呑んできたPLはこれが嬉しい春夏通じての初優勝。テレビ観戦をしていましたが、内容はあまり覚えていませんsweat01 ただ、試合後に涙が止まらない森投手を上級生がなぐさめていた姿は覚えています。

PLの主将・木戸は法大へ進学してベストナイン5期連続の活躍でタイガースへ。田淵さんがトレードで移籍した後空いていた捕手のエースナンバー【22】を背負って、85年V時の正捕手。今はタイガースのコーチ。エースの西田投手も木戸捕手と同じく法大へ進学して外野手に転向。こちらもベストナイン5回の活躍で卒業後はカープへ。しかし、山本浩二さんに山崎さんといった鉄壁の守備を誇る選手がいたためにレギュラーは取れず、【代打の切り札】として長年活躍しました。現在は四国・九州アイランドリーグ・香川オリーブガイナーズの監督をされています。

敗れた高知商業の森投手はブレーブスへ。もっぱらワンポイントリリーフが役目で12年間4勝6敗の成績を残して引退。昨年まで打撃投手をしていました。その森投手がピンチになると高知商業の谷脇監督が『あれが森へのボクの作戦』と、継投するつもりもないのにブルペンへ走らされた控え投手はタイガースの中西コーチ。木戸さんと同じく85年Vメンバーで、胴上げ投手になりました。

この年はタイガースがセ・パ両リーグ分裂以来初めて最下位に沈む年。この日も初回に先制したもののジャイアンツに逆転されて29勝63敗、首位との差は26ゲーム。どうしようもないブッチギリの最下位です。

| | Comments (41) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧