35年前のプロ野球~セリーグ<一部追記>

続いてセリーグです
記事は朝日新聞縮刷版1973.8月からの引用です

☆広島、2安打で勝つ☆
(神宮)観衆9,500
広  島 100 000 000|1
ヤクルト 000 000 00X|0
勝:佐伯10勝10敗/敗:渡辺孝2勝5敗/本塁打:山本一4号

広島東洋カープ
(遊)  三村
(右)  山本一
 右   深沢
(中)  山本浩
(一)  衣笠
(左)  ヒックス
 走左 上垣内
(二)  マクガイア
(三)  国貞
 三   苑田
(捕)  水沼
(投)  佐伯

ヤクルトアトムズ
(遊)  東条
(右)  ロペス
(中)  山下
(左)  若松
(二)  船田
(一)  中村
 打   内田
(三)  城戸
(捕)  大矢
 走   井上
 捕   奥宮
(投)  渡辺孝
 投   安田

広島はヤクルトの渡辺孝・安田に8回までわずか1安打に抑えられた。しかし、勝負は貧打の広島が勝つという皮肉な結果に終わった。その1安打は1回、1死から山本一が右へ本塁打したものだが、2回以降はピタリと沈黙。3回1死から登板した安田には8回まで3人ずつでかわされる元気のなさ。結局、広島の安打は1・9回の2本だけ。
ところがヤクルトも2回から8回まで毎回安打を佐伯に浴びせたもののあと一押しがない。6回の1死1・2塁、7回の1死1塁はいずれも併殺。8回の1死2塁もものにできなかった。安田の好投がもったいなかった。

☆11安打打って1点も取れなかった翌日に…別に意味はありません(^_^;;;
この時点でまだ優勝未経験の両チーム。Vメンバーが揃うのはもう少し先のようですね。アトムズのラインナップを見て『4番若松???ちゃうやろ』と思いましたが、【一番信頼できる打者】と考えれば、こうなるのでしょうか。大杉さんはまだパリーグ、マニエルはアメリカ…

ここから追記☆
この記事をご覧になった方から他の場所でコメントを頂きました。
この直前までアトムズの4番は荒川尭さんだったそうです。前日の試合前練習後に目の異常を訴えて欠場、この日病院で検査を受けた結果、全治2ヶ月の診断で戦列を離れる事になったようです。
後日復帰するものの、荒川さんの目は元に戻らず。早稲田大学で谷沢さん(ドラゴンズ⇒評論家)・小田さん(アトムズ⇒ファイターズ⇒ホークス⇒バファローズ、現在はスワローズのフロント?)とクリーンナップを組み、通算19本塁打(高橋由伸・田淵さん・岡田さんに次ぐ東六歴代4位)の打者は5年で引退する事になります。
リンク先は東京六大学歴代ベストナインなのですが、当時はワクワクする名前がズラッとならんでいますね。
☆ここまで追記

☆上田、中日かわす☆
(中日)観衆30,000
阪神 000 000 022|4
中日 100 001 000|2
勝:上田18勝5敗/敗:松本6勝7敗

阪神タイガース
(左)    望月
(右)    川藤
 打     カークランド
 走中   佐藤
 打     和田
 投     上田
(遊)    藤田平
(捕)    田淵
(一)    遠井
(中)右中 池田
(三)    後藤
(二)    野田
(投)    山本和
 投     谷村
 打     安藤
 走右   末永

ヤクルトアトムズ
(二)    高木守
(左)    高木時
 左     飯田
 左     井手
 打     大隈
 投     三沢
(中)    ウイリアム
(三)    島谷
(一)    谷沢
(右)    大島
(捕)    木俣
 打     井上
(遊)    正岡
(投)    松本
 打左   テーラー

6回まで三者凡退。『カリカリきた』金田監督の阪神は7回、望月が突破口を開く三遊間安打。このあと、つまったり、拙守に幸いされたが池田の2塁打など3長短打が出て2-2と追いつく。幸運もあったが、松本の投球にちょっとスピードのにぶりが出たのを見逃さないあたり、打線の好調さを物語る。
望月は8回にもヒットエンドランを決めて1・3塁とする。死球、藤田平の犠飛で勝ち越し、さらに田淵のふり逃げ(捕逸)で決定的な4点目をあげ、上田を送って逃げ込んだ。
中日は立ち上がりがよくない山本を攻めきれず、高木守が打ち、走ってあげた2点だけ。致命的な田淵のふり逃げもベースカバーや投手の指示があれば防げたはず。

☆今だったらJFK投入ですが、この時はまだそんな時代ではなく、エース級をつぎ込んで逃げ切っていたのですね。この年は江夏さんと上田さんが大車輪の活躍、二人で594+1/3イニング46勝を挙げています。今だったら、エース2.5人分位の働きですわ。この時点でタイガースは首位ドラゴンズに1ゲーム差の2位です。そして、2戦残して1つ勝てば優勝まで迫るのですが…夢は12年後に持ち越しとなりました。今のタイガースの選手もまだほとんど生まれていなくて(生まれていたのは金本・下柳・矢野・桧山・ジェフだけ)、そう考えると『あ、そんなこともあったよな』みたいな遠い世界ですね、35年前って。
初めて野球をナマで見た(選手権決勝、広島商業vs静岡)記念すべき年です。

セリーグ年度成績

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35年前のプロ野球~パリーグ

江川さんの記事を書く際に一緒にコピーをとっておいた資料からの引用です
なんだか、ずいぶん昔ですよね
すでに鬼籍入りされている方も何人かおられますし、チーム名も『は?』というチームがあったり

まずはパリーグ、優勝チームに敬意を表してホークスから
記事は朝日新聞縮刷版1973.8月からの引用です

☆南海、新美たたき3連勝・大杉の通算250号実らず☆
(大阪)観衆7,100
日拓 000 010 040|5
南海 000 501 10X|7
勝:村上1勝1敗/敗:新美6勝7敗/本塁打:大杉19号

日拓ホームフライヤーズ
(二)  大下
(三)  阪本
 打   三沢
(左)  張本
(一)  大杉
(右)  鴨川
打右  高橋博
(捕)  加藤
(中)  白
(遊)  レドモン
(投)  新美
 投   山崎
 打   作道
 投   藤原
 投   中原勇
 打   中原全
 投   森中
 打   岡村
 走   大室

南海ホークス
(中)  島野
(二)  桜井
 走二 柏原
(右)  門田博
(捕)  野村
 走左 堀井
 打   林
 走左 阪田
(一)  ジョーンズ
(左)  片平
 打   相羽
 捕   梅村
 打   スミス
 捕   柴田
(三)  藤原
(遊)  小池
(投)  村上雅
 投   佐藤  

互いに塁上をにぎわしても、なかなか得点に結びつけられなかった。が、やっと4回、南海は4度目の好機をものにすることが出来た。
1死後、片平が四球、藤原が安打し、小池も四球で続いた。1死満塁、村上雅は1球目ストライクを取られたが、2球目の外角球をたくみに左前に安打し、2点。さらに島野も安打して小池を迎え、2死後、代わった山崎にも門田博、野村が安打を連ね計5点とした。
日拓・新美はかなりの球速があったが、ピッチングがまともすぎて南海につけこまれた。
日拓は8回、大杉の3ラン(通算250号、プロ10人目)などで反撃をしたが、村上雅をいま一歩で攻略できず、9回の途中で佐藤にスイッチされ逃げ込まれた。南海は3連勝で日拓は4連敗。

☆先日亡くなられたタイガース・島野コーチが現役時代でもっとも輝いていた時期です。この日は5打数3安打2打点1盗塁の大活躍。野村さんはかなり力が落ちてきた頃ですが、それでも4番に座って2安打2打点。レフトのスタメン・片平さんは清原がライオンズに入団した時のファーストのレギュラー。リリーフエースの佐藤さんは落合ドラゴンズの二軍監督をされていましたが、今はどうしているのでしょうか?

日拓ホームフライヤーズはこの年1年こっきりで、翌年からは日本ハムファイターズに。まだ【東映時代】のメンバーが多数おりますが、翌年のオフに主力一掃トレードを敢行します。81年Vまで残っていたのは千藤さんに岡持さん位でしょうか?張本さんはジャイアンツへ移籍して長嶋さん引退後の打線を王さんと支えます。大杉さんはスワローズに移籍して初優勝に貢献。両リーグで1,000本安打を打ったのは大杉さんだけです。大下さんはカープへ移り、三村さんとともに内野を固めて初優勝に貢献。新美さんも後年カープに移り、中継ぎ投手として活躍しました。

☆ロッテ首位に躍り出る アルトマン逆転3ラン☆
(仙台)観衆27,000
阪 急 000 010 000|1
ロッテ 000 000 03X|3
勝:近藤4勝3敗/敗:山田7勝8敗/本塁打:アルトマン19号

阪急ブレーブス
(中)   福本
(二)   住友
(一)   加藤
(右)   長池
 右    大熊
(三)   森本
(左)   小松
 打左右 当銀
(捕)   岡田
 打    正垣
(遊)   大橋
 打    ソーレル
(投)   山田
 打    高井

ロッテオリオンズ
(中)  弘田
(一)  ラフィーバー
(三)  有藤
(左)  アルトマン
 投   成田
(右)  池辺
(二)  山崎
(捕)  榊
(遊)  飯塚
(投)  八木沢
 投   鬼頭
 投   近藤
 打   長谷川
 左   江島  

ロッテの“ラッキー・エイト”は生きていた。7回まで山田の外角速球とカーブに0を重ねていたロッテ。逆に5回2死から八木沢と救援の鬼頭が阪急の住友と加藤に連続長打を浴びて1点を失い、敗色濃厚だった。
だがロッテは8回、1年ぶりの完封を目前にした山田から代打の長谷川が左へ安打した。弘田の投前バントで二封。ラフィーバーは二飛に倒れる。ハプニングが起こったのはその後だ。有藤が頭に死球で1・2塁。続くアルトマンは2-0から低目の球を右翼席へ文句なしの逆転本塁打を放った。有藤への死球で山田は動揺したのか。それにしてもロッテの粘りは見事、後期で初の首位に躍り出た。

☆ブレーブスは前年の優勝チームなのですが、このあたりが新旧交代機。まだ蓑田さんもマルカーノも島谷さんもいません。山田さんの投球内容に【シンカー】という言葉が出てこないのですが、この頃はまだ投げていなかったのでしょうか?
オリオンズ、いいメンバーですね。それもそのはず、この翌年に優勝します。ホームランを打ったアルトマン、外野の池辺さんと弘田さんは後年タイガースでも活躍します。

☆鈴木完投勝ち☆
(小倉)観衆20,000
近  鉄 040 013 000|8
太平洋 010 100 011|4
勝:鈴木10勝10敗/敗:東尾8勝6敗/本塁打:菊川2号・小川11号・ビュフォード14号・片岡1号

近鉄バファローズ
(中)   小川
(遊)三  関根
(右)   永淵
 一    佐々木恭
(左)   土井
(一)   伊勢
 右    服部
(二)   クオルス
(三)   羽田
 遊    西村
(投)   鈴木
(捕)   梨田
 打    北川
 捕    辻

太平洋クラブライオンズ
(三)左  ビュフォード
(中)   田中
 打    梅田
 三    伊原
(左)右  東田
(右)中  レポーズ
 打    大田
 中    福富
(一)   竹之内
(遊)三遊菊川
(二)   米山
(捕)   宮寺
 捕    片岡
(投)   東尾
 打    藤井
 投    芝池
 投    柳田
 打    日野

近鉄は鈴木の打力でやっと勝った。2回羽田の右犠飛で先取点を取ったあと、1死1・3塁で東尾から右前に適時打した。そして6回は1死満塁で代わったばかりの柳田から右中間を深々と破る3塁打して計4打点。肝心の投げる方はピリッとしない。2回菊川に左翼本塁打され、4回はバックネットに直接当てる暴投、8・9回にも本塁打されるなど危なかったが、大量点を背に何とか完投した。
太平洋の先発・東尾は球を揃えすぎた。当たっていない金鉄とはいえ2回鈴木に2-0から勝負を急ぎすぎ、2死後迎えた小川には1塁が空いているのにまともに好球を投げた。

☆ライオンズは【西鉄】から【太平洋クラブ】へ経営が移った初年度。この日出場している選手の多くは後に他チームへ移籍し、【西武ライオンズ】で優勝の美酒にありつけたのは東尾さんと大田さんだけでしょうか。ビュフォードといえばカネやんロッテとの遺恨試合。九州で当時の野球を見ていた方に聞きますと、カネやんと平和台のスタンドの観衆が怒鳴りあいをしていることもあったとか。

バファローズのメンバーに梨田さんと羽田さんの名前が見えます。そして翌年、ブレーブスの西本監督がやってきて、チームは初優勝へ向けて動き始めます。
この時点で優勝未経験チームはカープ・スワローズ・バファローズの3チーム。

パリーグ年度成績     

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プレイバック~1973.8.16 打倒・怪物江川(2)

(1)からずいぶん時間が経ってしまいました
3月は忙しくてね
お待たせしました、パート2です

江川、痛恨の押し出し 
土屋完封 銚子、気力で圧倒

作新学院 000 000 000 000  |0(延長12回)
銚子商業 000 000 000 001X |1

作新学院
(右)和田
(二)菊池
(投)江川
(捕)小倉
(一)鈴木秀
(中)野中
(左)橋本
(遊)鈴木和
(三)荒田

銚子商業
(遊)宮内英
(二)長谷川
(中)飯野
(捕)木川
(左)青野
(一)岩井
(三)磯村
(投)土屋
(右)多部田

延長10回、銚子商は無死で磯村が左中間を破って3塁に駆け込んだ。続く土屋は江川の高目ボールに手を出し三振。多部田スクイズ警戒の四球。そして打者宮内英0-3の時、打者か3塁走者か、どちらかのサイン見誤りだろう。宮内英が一度バントをしかけてはずしたところへ3塁走者の磯村が突入。三本間できょう殺アウトになった。
『チャンスを逃した』と思われた。続く2死1・2塁。今度は長谷川が江川のホッとしたスキをつくようにヒット・エンド・ラン。あざやかに1・2塁間を抜いた。2塁走者の多部田が3塁を回り本塁へ。『銚子商サヨナラ勝ちか』と思われたその時、前進守備をしていた右翼手の和田が1度ボールを弾きながら懸命のバックホーム。多部田が頭からすべり込んだが、捕手の小倉がガッチリとホームベースをブロックしてタッチアウト。銚子商はサヨナラ勝ちを逃し、作新学院は生きかえったのである。

死闘は続く。12回の銚子商は、また磯村から始まった。無死で四球に出た。土屋右飛のあと、多部田が2塁の左を抜いた。1・3塁。雨が降り続き、作新学院には二重のピンチだ。宮内英が四球。満塁になる。長谷川のカウントが2-3となった。江川がボールのすべりを気にしながら6球目を投げた。しかし内角高めに外れ、磯村がおどりあがってホームを踏んだ。江川にとっては“非情の雨”というほかにはない。

この日の江川は、いつものように初めから飛ばさず、セーブして投げた。過去4度の銚子商との対戦経験と、快調でない自分のコンディションを考え合わせたからである。逆に銚子商の土屋は1回から全力投球で対抗した。その結果は、9回を終わった時点で江川の三振奪取がわずか9個に対し、土屋のそれは8個だった。江川負けずに投げ抜いた土屋も立派だったが、江川なにするものぞ、と立ち向かった銚子商打線の気力が5度目の対戦で初勝利を呼んだ。

朝日新聞縮刷版から抜粋しました

当時、小学校6年の夏休み。固唾を呑みながらテレビを見ていました。
10回にスクイズ失敗きょう殺の後に安打、しかし本塁憤死は覚えています。多部田選手がブロックされてケガをしたため、治療でなかなかグランドに出てこなかった事も。

自分の記憶にはないのですが
12回満塁フルカウントになった時、野手がマウンドに集まったそうです。そして、『ここまでこれたのはお前のおかげだ、好きな球を投げたらいい』と声をかけたそうです。センバツの活躍で連日取材の記者が訪れ、好む好まざるに関係なくチームメイトと離れて行動せざるを得なかった江川さんは『自分だけ浮いている』と感じたそうです。最後にチームメイトから声をかけられた時、とても嬉しかったそうです。

江川さんはその後法大へ。勝ち星で六大学2位の記録を作り、奪三振で当時の新記録を打ち立てました(443。それまでの記録は故・秋山登さんの334)。この記録は早大の和田(ホークス)に破られてしまいます(476)。ただし、通算300以上の三振を奪った投手12名のうち、【昭和】の時代の投手は江川さん・秋山さんと立大からライオンズへ進んだ野口投手だけ。野球の質が変わった事も原因だと思われます。

プロ入り時には【クラウンライター1位指名】【一浪】【空白の一日】から【強い要望】を経てジャイアンツへ。ドラフトの時は柔道の時間。見学する同級生にラジオをこっそり聞いてもらって、【タイガース1位指名】を知りました。80・81年は西本聖との2枚看板に手を焼きました。マサや中田に手が出ないのとは質が違いました。力ずくでねじ伏せられるというイメージが強かったです。

ジャイアンツ入団時のトラブルなどでヒールのイメージがあった江川さんも、今は杉本清さんと楽しそうに競馬予想をしていたりして、変わりましたね。

☆【プレイバック】は、リクエストも受け付けています。『あの試合をもう一度再現して欲しい』『生まれた日の贔屓チームはどんなメンバーが出ていた(パソ通の時にやっていましたが)』などありましたら、リクエストしてください。ただし、“納期未定”はご了承下さい(^_^;;;

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プレイバック~1973.8.10 打倒・怪物江川(1)

江川卓 1955年5月25日生 
この投手を中心にこの年の高校野球界は動いていたと言って過言でなかったでしょう
全国の指導者が【打倒・江川】を目標に掲げ、策を練っていたと想像できます

センバツは準決勝で広島商業の伝統の前に2-1で敗れた作新学院
江川さんは予選栃木県大会において、5試合44回を投げ被安打2…、奪三振75という記録を引っさげて甲子園へやってきました

初戦の相手は福岡県代表の柳川商業(現・柳川)
真弓さんに若菜さん、久保コーチ、林の母校としてタイガースファンにはおなじみの伝統校ですが、この時は10年ぶり2度目の出場でした。若菜さんはライオンズ(この年から【太平洋クラブライオンズ】)の2年目、高卒時にプロに指名されなかった真弓さんは電電九州を経由しての入団でルーキーでした。

日本中が、『江川、何個三振取るやろか?』だけを楽しみに観戦していた事でしょう
が、柳川商業は作新・江川にしぶとく食い下がります

激闘15回 作新サヨナラ 捕手落球、決勝点拾う

柳川商業 000 001 000 000 000  |1
作新学院 000 000 100 000 001X |2 (延長15回)

柳川商業
(遊)吉田
(左)古賀
(中)松藤
(一)徳永
(右)坂口
 右 菊次
(捕)三宅
(二)東
(三)遠竹
(投)松尾

作新学院
(右)和田
(二)菊池
(投)江川
(捕)小倉
(左)橋本
(一)鈴木秀
(中)野中
(遊)鈴木和
(三)荒田

本大会屈指の好投手江川の右腕が注目された。柳川商は1番の吉田が初球からバントの構え、そしてヒッティングに出て右翼へいい当たりを放った。ミートの正確さを考えたもので、中心打者を除いたほとんどがこの打法で江川に食い下がった。この狙いは4回、吉田と古賀の連安打で功を奏し、6回に先取点となって実った。2死後、古賀が三塁強襲安打に出ると松藤が2-3からの真ん中直球を右中間に3塁打した。
江川はよく三振を取っていたけれども、バックスイングにためがなく、上体のキレがにぶかった。このため球筋が高く、春ほど速球にノビがなかった。そのうえ『打てるものなら打ってみろ』といわんばかりに速球で勝負する単調なピッチングだった。もしも後半に見せたように、カーブを交えた慎重なピッチングをしていたらピンチは防げたかもしれない。
走者を出しながら中途半端な攻めで点の取れなかった作新学院は7回、野中安打、1死後荒田のバントを一塁に悪送球した捕手の失策から内野ゴロで同点に追いついた。力投する柳川商の松尾には気の毒な失点だった。
同点になってから試合内容は作新学院の押し気味に変わった。好打していた柳川商の打者がミート主体から大振りになったことと、『これではいかん』とばかり、江川がカーブを使って慎重な投球を見せたからだ。作新は9回・12回とも1死満塁。14回は江川の3塁打でサヨナラ勝ちの場面をつかんだが、柳川商の中堅手が投手と3塁手の間に位置する【変則シフト】に惑わされ好機を潰した。
こうした接戦も15回、あっけない幕切れとなった。作新は死球とバント野選がからんだ2死1・2塁に和田が中前安打、この返球を捕手がはじいた。もし完全に捕球していたら、作新の決勝点はなかったかもしれない。それにしても、松尾の力投を基盤に作新と堂々とわたりあった柳川商の健闘は見事だった。

毎日新聞縮小版より抜粋しました

私が小学校6年生の時でした。この試合はなぜかよく覚えていた…つもりだったのです。ピンチになったら塁を詰めてしのいでいた事を。でも、センターが投手と三塁手の間まで出てきたことや、バントの構えからミートしてきたことなんて、全然記憶にありませんでした。人間の記憶なんてエエ加減なものですね。

試合開始14時5分、柳川商業のトップバッターがいきなりバントの構え。そして試合終了17時15分。善戦実らず敗れた柳川商業への賞賛の拍手は作新学院へのそれよりも数倍大きくこだましたと書かれています。

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プレイバック~1978.03.30 偏差値70のクール投球

やった! 小さな大投手・松本 半世紀を飾る夢の大記録
第50回センバツ高校野球 4日目

比叡山 000 000 000|0
前 橋 000 100 00X|1

前橋・松本投手が素晴らしい記録を樹立した。比叡山は最終打者に代打を送ったが、投ゴロに打ち取られて完全試合。一球々々慎重に投げる松本は、スローカーブを実にうまく使った。内外角への直球も低めによく決まり、比叡山打線は狙い球を絞れなかった。
試合は前橋が4回、相沢の中前打、松本の四球で無死1・2塁とし、佐久間が3塁強襲安打してあげた1点で決まった。前橋は1・6回に得点圏へ走者を送ったが、比叡山の攻守に阻まれ、松本の投球がすべてのゲームだった。比叡山は松本に常にストライクを先行されるピッチングだったから、もっと積極的なバッティングがほしかった。
比叡山の吉本もよく投げた。ピンチにも少しも動じない態度は立派で、前橋打者もしばし意表をつかれた。思い球質の速球をビシビシ投げる内容は松本と対照的で、大記録が生まれるのにふさわしい見ごたえのある投手戦であった。

比叡山
(8)中林
(9)根上
(6)蔦
(3)松川
(9)萩
(5)堀
(7)山本直
(2)大坪
(1)吉本
H 時田

前橋
(5)川北
(6)堺
(9)相沢
(1)松本
(3)佐久間
(2)高野
(7)石井
(8)茂木
(4)田口

打者27 投球数78 三振5 外野飛球3 内野飛球2 内野ゴロ17

毎日新聞縮刷版より抜粋

ヒデさんのブログでセンバツの話題になり、【春の好投手と言えば?】と、思いついたのがこのゲーム
松本投手は身長168センチ・体重63キロ、参加校の投手の中でもっとも小さい投手でしたが、テンポよく投げて、あっと言う間に春夏通じて初の完全試合を達成してしまいました。
卒業後は筑波大学に進学し、現在は母校の体育教師をされています。監督としても前橋中央高校・前橋高校と2つの高校で甲子園出場を果たしています。
時々、中継の解説者として見かけますね。

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最強世代はどの学年?~昭和28年世代~

2年連続パリーグV、ファイターズの新監督に就任した梨田さんの学年です
相撲界では横綱・北の湖(現・日本相撲協会理事長)が同学年です

もちろん、生まれていないので何があったか覚えているワケもありません
セリーグ優勝チームはジャイアンツ
首位打者は川上哲治さん、タイガースの藤村さんが本塁打と打点の2冠を獲得
パリーグの優勝チームはホークス
岡本伊三美さんが首位打者とMVP
本塁打と打点の2冠をライオンズの中西太さんが獲得し、豊田さんが最優秀新人
翌年の初優勝の準備が出来た年と言えるでしょう

高校野球は選手権が松山商業
敗れた土佐高校の捕手・永野さんは長い間高校野球の審判として活躍されました
センバツは淡路島の洲本高校
島部の学校が優勝したのは初めてのことです
小説『瀬戸内少年野球団』を書かれた故・阿久悠さんは、洲本高校の一年生でした

1973年(昭和48年)4月2日~1974年(昭和49年)4月1日生まれの主な選手

☆庄司智久(ジャイアンツ⇒オリオンズ):828試合2124打数532安打44本塁打197打点67盗塁215三振/打率.250
☆永射保(カープ⇒ライオンズ⇒ホエールズ⇒ホークス):606試合登板44勝 37敗21セーブ/投球回数906/654奪三振/防御率4.11
☆若菜喜晴(ライオンズ⇒タイガース⇒ホエールズ⇒ファイターズ):1387試合3878打数1037安打54本塁打340打点27盗塁399三振/打率.267
ゴールデングラブ1回
☆定岡智秋(ホークス):1216試合3386打数785安打88本塁打370打点27盗塁689三振/打率.232
☆山本雅夫(ホークス⇒): 534試合1097打数287安打37本塁打139打点( 18勝利打点)/打率.262
☆水谷新太郎(スワローズ):1297試合3419打数854安打23本塁打240打点146盗塁182犠打510三振/打率.250
☆梨田昌孝(バファローズ):1323試合3444打数874安打141二塁打113本塁打439打点492三振/打率.254
ベストナイン3回、ゴールデングラブ4回
☆橘健治(バファローズ):173試合登板28勝29敗2セーブ/投球回数573.1/251奪三振/防御率4.69
☆羽田耕一(バファローズ):1874試合5939打数1504安打203二塁打225本塁打812打点98盗塁62犠飛512四球876三振/打率.253
ゴールデングラブ1回

ここまでが、高校卒業即入団した選手です
超大物はいませんが、長い間渋い働きをした選手が数多くおります
ドラフトはバファローズが満塁ホームランの指名でした。社会人から佐々木恭介さんと平野光泰さんを指名・獲得
初優勝メンバーのうち、捕手・サード・ライト・センターをこの1年で揃えてしまいます。橘さんも中継ぎや谷間の先発で活躍、入団した選手全員が1軍戦力となりました。
一気にレギュラー獲得はバファローズの18番ですが、その第1回がこの年度でした。

永射さんは、2年間のカープ在籍中は力を発揮できませんでした。しかし、移籍したライオンズで左の中継ぎ投手として力をつけ、西武ライオンズの第一期黄金時代に欠かせない投手となりました。永射さんを苦手とするリーが半ばヤケクソで右打席に入ったことがありましたっけ。通算606試合登板は歴代28位の立派な記録です。
ジャイアンツに入団した庄司さんも、層の厚いジャイアンツでは、いくらファームでタイトルを取っても出番は訪れず。2安打を打っただけでした。79年オフにトレードでオリオンズに移籍して働き場を見つけました。
西鉄ライオンズ最後のドラフト指名を受けて入団した若菜さんは3年目あたりから出番が増え始め、ほぼレギュラーに定着したところで78年オフ。田淵さん・古沢さんとのトレードで竹之内さんや真弓さんらと共にタイガースへ。捕手らしくない長身のがっちりした体型と強肩、勝負強い打撃でレギュラー捕手に定着。しかし、プライベートの騒動やら一言多かったりでチームを移籍。ホークスではコーチとして城島捕手を育てました。

☆真弓明信(ライオンズ⇒タイガース):2051試合6624打数1888安打266二塁打292本塁打886打点200盗塁534四球953三振/打率.285
首位打者1回、ベストナイン3回、サイクルヒット1回
☆吹石徳一(バファローズ):1020試合1854打数424安打52本塁打200打点57盗塁80犠打203三振/打率.229
☆田尾安志(ドラゴンズ⇒ライオンズ⇒タイガース):1683試合5414打数1560安打241二塁打149本塁打574打点58盗塁467四球644三振/打率.288
新人王、最多出塁、ベストナイン3回
☆行沢久隆(ファイターズ⇒ライオンズ):1004試合1673打数385安打35本塁打154打点231三振/打率.230
☆中畑清(ジャイアンツ):1248試合4458打数1294安打250二塁打171本塁打621打点70盗塁290四球523三振/打率.290
ゴールデングラブ7回
☆藤瀬史朗(バファローズ):436試合218打数45安打4本塁打12打点117盗塁28盗塁死41三振/打率.206
☆森口益光(ホークス⇒ドラゴンズ):222試合登板27勝58敗1セーブ/投球回数861/445奪三振/防御率4.61
☆大石友好(ライオンズ⇒ドラゴンズ):683試合1241打数256安打12本塁打111打点196三振/打率.206

柳川商業で若菜さんと同級生だった真弓さんは、高校卒業時にはプロから声がかからず、電電九州で1年間過ごしてからのプロ入り(当時は高卒社会人選手の指名禁止期間3年という縛りがなかった)。若菜さんと同じくトレードでタイガースへ来てからの活躍はご存知の通り。83年には首位打者のタイトルを獲得しますが、これはタイガースの右打者としては藤村富美雄さん以来の快挙(田宮謙次郎さん・藤田平さんは左打者)でした。
田尾さんはドラゴンズのスター選手からトレードで運命が一転したようなイメージがあります。しかし、タイガースで代打に転向しても安定した成績を残したのは田尾さんならではだと思います。イーグルスの監督は上手くいきませんでしたが、またユニフォームを着ることがあるのでしょうか?

渋い選手が3名。内野の守備固めとケガ人・不調選手の穴埋め専門で1,000試合出場を記録した吹石さんと行沢さん。吹石さんは羽田さん・梨田さんと共に【江夏の21球】と【10.19】の両方に出場した数少ない選手です。何であの典型的な【近鉄顔】からあんなにカワイイお嬢さんが生まれるのか不思議ですね(タレントの吹石一恵)
同じく【江夏の21球】で石渡選手のスクイズ失敗でホーム寸前タッチアウトの藤瀬さん。ほぼ代走専門で117盗塁は立派な記録です。

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最強世代はどの学年?~昭和48年世代~

このシリーズを始めるキッカケになったのは『昭和48年会ってあるんや』というところからです
そのキッカケになった昭和48年世代を紹介します。

で、『48年生まれって誰かおったか?』と思ったら…失礼しましたm(__)m

ガソリン急騰の現在ですが、第一次オイルショックが起こったのがこの年。『トイレットペーパーが無くなる』と皆が買占めに走ったのが思い出であります。日本の高度経済成長が止まった年だと思っています。

野球では、中日球場新幹線通過事件がこの年。
高校野球は江川一色。日本中の指導者が【打倒・江川】を目標に甲子園を目指していました(大げさか?)
センバツは準決勝で広島商業の伝統に屈し、選手権はまだ無名だった柳川商業の満塁策攻めを切り抜けるも、雨の中銚子商業戦で押し出し四球。
選手権の決勝、広島商業-静岡戦を甲子園球場で観戦しました。これが、生まれて初めての高校野球ナマ観戦、優勝した広島商業の捕手がカープ黄金時代の捕手・達川さんでした。

1973年(昭和48年)4月2日~1974年(昭和49年)4月1日生まれの主な選手
*成績はすべて国内の成績です

☆イチロー(ブルーウェーブ⇒マリナーズ):951試合3619打数1278安打211二塁打23三塁打118本塁打529打点199盗塁333三振/打率.353
MVP3回、首位打者7年連続7回、最多安打5回、打点王1回、盗塁王1回、ベストナイン7年連続7回、ゴールデングラブ7年連続7回
☆三浦大輔(ホエールズ・ベイスターズ):365試合登板117勝112敗/1753奪三振/防御率3.51
最多奪三振1回、最優秀防御率1回
☆上田佳範(ファイターズ⇒ドラゴンズ):1026試合2057打数486安打37本塁打192打点/打率.236
☆石井一久(スワローズ⇒ドジャース⇒メッツ⇒スワローズ⇒ライオンズ):300試合登板98勝63敗1セーブ/1610奪三振/防御率3.47
最多奪三振1回、最優秀防御率1回
☆中村紀洋(バファローズ⇒ドジャース⇒バファローズ⇒ドラゴンズ):1598試合5624打数1504安打261二塁打339本塁打1040打点810四球1272三振/打率 .267
最多本塁打1回、打点王2回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ6回

高卒で入団してレギュラークラスになった主な選手です。この頃になると、高校野球はほとんど見ていません。が、上田と井手元(四日市工業⇒ドラゴンズ)の投げ合いは覚えています。上田は投手として入団しましたが、好手の外野手として渋い働きをしました。
上田と石井がドラフト1位ですが、イチローとノリは4位、三浦は5位、どこにでも指名チャンスはありました。

タイガースも、甲子園で活躍した高校球界屈指の好打者と呼ばれる野手をドラフト1位で指名したんですよ。背番号も大奮発して。
でも…その後は言うまい
久慈・弓長・桧山と、2・3・4位が当たったからエエか。タイガースって、全滅はあっても3人当たるなんて滅多に無いからなー…

☆城石憲之(ファイターズ⇒スワローズ):775試合1585打数374安打25本塁打133打点/打率.236
☆黒木知宏(マリーンズ):199試合登板76勝68敗1セーブ/879奪三振/防御率3.43
最多勝1回
☆門倉健(ドラゴンズ⇒バファローズ⇒ベイスターズ⇒ジャイアンツ):291試合登板76勝80敗10セーブ/1130奪三振/防御率4.37
最多奪三振1回
☆中村豊(ファイターズ⇒タイガース):536試合709打数176安打8本塁打63打点/打率.248
☆高木大成(ライオンズ):720試合2280打数599安打56本塁打319打点/打率.263
ゴールデングラブ2回
☆清水隆行(ジャイアンツ):1400試合4775打数1396安打219二塁打130本塁打479打点90盗塁552三振/打率.292
最多安打1回、ベストナイン1回
☆薮田安彦(マリーンズ⇒ロイヤルズ):343試合登板44勝59敗9セーブ/553奪三振/防御率4.03
最優秀中継ぎ投手1回
☆カツノリ(スワローズ⇒タイガース⇒ジャイアンツ⇒イーグルス):222試合356打数66安打4本塁打17打点/打率.185
☆松中信彦(ホークス):1227試合4286打数1312安打257二塁打277本塁打906打点615三振/打率.306
MVP2回、首位打者2回、最多本塁打2回、打点王3回、最多安打1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ1回
☆小坂誠(マリーンズ⇒ジャイアンツ):1246試合4078打数1029安打18本塁打295打点271盗塁250犠打/打率.252
新人王、盗塁王2回、ゴールデングラブ4回
☆礒部公一(バファローズ⇒イーグルス):1257試合4212打数1194安打231二塁打97本塁打504打点53盗塁/打率.283
ベストナイン1回
☆塩崎真(ブルーウェーブ・バファローズ): 1039試合2889打数755安打31本塁打247打点/打率.261
☆坪井智哉(タイガース⇒ファイターズ):887試合3067打数906安打32本塁打239打点/打率.295
☆川越英隆(ブルーウェーブ・バファローズ):190試合49勝70敗/669奪三振/防御率4.05

毎度毎度、外国人選手やら移籍選手と競わされながらも主力打者として活躍する清水、『予告先発見て観戦に行くのを止めた』『そんなあなたをマリーンズファンは責められない』などとファンに言われながらもセットアッパーとして変身した薮田、『今年ダメなら間違いなくクビ』の土壇場から日本中を興奮のるつぼ陥れた9.07の主役・中村豊…逆境からしぶとく這い上がってくる選手が印象的です。

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最強世代はどの学年?~昭和40年世代~

惜しまれつつ引退した古田に敬意を表しまして、次は【昭和40年】です
このブログへお越しいただく方も、この前後の年代が最大勢力かと思います
芸能界ではシブがき隊、小泉今日子などがおります

1965年(昭和40年)4月2日~1966年(昭和41年)4月1日生まれの主な選手

☆池山隆寛(スワローズ):1784試合5811打数1521安打278二塁打304本塁打898打点108盗塁1440三振/打率.262
ベストナイン5回、ゴールデングラブ1回、サイクルヒット1回
☆山本昌広(ドラゴンズ): 510試合登板193勝148敗5セーブ投球回数2987/2094奪三振/防御率3.39
最多勝3回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、沢村賞1回、ベストナイン2回、ノーヒットノーラン1回
☆加藤伸一(ホークス⇒カープ⇒ブルーウェーブ⇒バファローズ):350試合登板92勝106敗12セーブ743奪三振/防御率4.21
☆岸川勝也(ホークス⇒ジャイアンツ⇒ベイスターズ):744試合1943打数476安打 97本塁打307打点482三振/打率.245
☆佐々木誠(ホークス⇒ライオンズ⇒タイガース):1581試合5775打数1599安打279二塁打170本塁打638打点242盗塁414四球933三振/打率.277
首位打者1回、盗塁王2回、ベストナイン6回、ゴールデングラブ4回
☆仲田幸司(タイガース⇒マリーンズ):335試合登板57勝99敗4セーブ/投球回数1335/1158奪三振/防御率4.06
最多奪三振1回
☆小野和義(バファローズ⇒ライオンズ⇒ドラゴンズ):284試合登板82勝78敗4セーブ/投球回数1445.1/1005奪三振/防御率4.03
☆吉井理人(バファローズ⇒スワローズ⇒メッツ⇒ロッキーズ⇒エクスポズ⇒ブルーウェーブ・バファローズ⇒マリーンズ):385試合登板89勝82敗62セーブ/投球回数1330/763奪三振/防御率3.86(成績は日本国内のみ)
最優秀救援投手1回
☆村上隆行(バファローズ⇒ライオンズ):1380試合3552打数916安打147本塁打464打点68盗塁847三振/打率.258
☆光山英和(バファローズ⇒ドラゴンズ⇒ジャイアンツ⇒マリーンズ⇒ベイスターズ):726試合1393打数332安打42本塁打136打点8盗塁347三振/打率.238
☆大門和彦(ホエールズ⇒タイガース):228試合登板36勝51敗3セーブ547奪三振/防御率3.83
☆津野浩(ファイターズ⇒カープ⇒ドラゴンズ⇒マリーンズ):231試合登板53勝71敗/投球回数1020.2/554奪三振/ 防御率4.61
☆紀藤真琴(カープ⇒ドラゴンズ⇒イーグルス):474試合登板78勝73敗16セーブ/投球回数1456.1/1146奪三振/ 防御率4.07
最高勝率1回
☆星野伸之(ブレーブス⇒タイガース):427試合登板176勝140敗2セーブ/投球回数2669.1/927与四球2041奪三振/防御率3.64
最高勝率2回
☆水野雄仁(ジャイアンツ):265試合登板39勝29敗17セーブ/投球回数660/519奪三振/防御率3.10
☆香田勲男(ジャイアンツ⇒バファローズ):350試合登板67勝54敗11セーブ/投球回数1110.2/738奪三振/防御率3.82
☆渡辺久信(ライオンズ⇒スワローズ):389試合登板125勝110敗27セーブ/投球回数2075.2/1609奪三振/防御率3.67
最高勝率1回、最多勝3回、最多奪三振1回、ベストナイン1回、ゴールデングラブ1回、ノーヒットノーラン1回

ここまでが高卒でドラフト指名を受けて入団した主な選手。高校生の大当たり年で、高校生路線に打って出たバファローズとホークスが後の主力選手の大量指名に成功します。
この年は入札制度のドラフトで、東海大の高野に4球団(スワローズ入団)、創価高校の小野にも3球団の指名が。2位に回っても市立尼崎高校の池山に3球団、3位でも横浜商業の三浦に3球団と競合が続きました。

タイガースの仲田幸司投手は1964年生まれですが、学年で区切っているのでここに入れておきます。

タイガースも1位:中西、2位:池田、3位:仲田と2年後V時の主力投手の指名に成功します。
ライオンズは右のエース・ナベQと内野の要・辻さんを獲得。
バファローズの5名は10.19の頃には主力選手に成長。黄金時代のライオンズ相手に好勝負を演じました。
主力になる選手を複数獲得に成功するというのは重要ですね。
山本昌と星野は5位、佐々木は6位、どこにでもチャンスのあった年度でした。西宮から離れること1,000キロ以上、厳寒の地・旭川からストレート130キロが精一杯の投手を連れてきたら、後に176勝2041奪三振の投手に大化け。ブレーブスのスカウトにはただただ感心します。

☆八木裕(タイガース):1368試合3303打数817安打126本塁打479打点33盗塁742三振/打率.247
☆岡本透(ホエールズ⇒ファイターズ):200試合登板30勝33敗2セーブ/投球回数603.1/388奪三振/防御率3.67
☆長嶋一茂(スワローズ⇒ジャイアンツ):384試合765打数161安打18本塁打82打点8盗塁215三振/打率.210
☆武田一浩(ファイターズ⇒ホークス⇒ドラゴンズ⇒ジャイアンツ):341試合登板89勝99敗31セーブ/投球回数1517.2/1008奪三振/ 防御率3.92
最多勝1回、最優秀救援投手1回
☆小宮山悟(オリオンズ・マリーンズ⇒ベイスターズ⇒メッツ⇒マリーンズ):410試合登板113勝139敗3セーブ/投球回数2240/1508奪三振/防御率3.64(成績は日本国内のみ)
最優秀防御率1回
☆古田敦也(スワローズ):2008試合7141打数2097安打368二塁打217本塁打1009打点70盗塁748四球111死球951三振/打率.294
MVP2回、首位打者1回、ベストナイン9回、ゴールデングラブ10回
☆与田剛(ドラゴンズ⇒マリーンズ⇒ファイターズ⇒タイガース):148試合登板8勝19敗59セーブ 212奪三振/防御率4.58
新人王、最優秀救援投手1回
☆田村勤(タイガース⇒ブルーウェーブ):287試合登板13勝12敗54セーブ/投球回数257.2/260奪三振/防御率2.90
☆森田幸一(ドラゴンズ):117試合登板18勝13敗24セーブ/投球回数216.1/157奪三振/防御率3.87
新人王
☆南淵時高(オリオンズ⇒ドラゴンズ⇒ブルーウェーブ):824試合2055打数538安打22本塁打201打点21盗塁221三振/打率.262
☆佐藤真一(ホークス⇒スワローズ):629試合1440打数376安打36本塁打25盗塁220三振/打率.261

高校卒業時に青田刈りしてしまったのか、少し線が細くなりますが、それでもまだまだ好選手が社会人・大学を経て入団してきます。故障で短命に終わってしまったリリーフ投手が多いのが印象的です。

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最強世代はどの学年?~昭和33年世代~

競馬でよく『今年の3歳世代は強い』『今の4歳牝馬は大したことない』などという表現を使います。プロ野球界にも【昭和40年会】というのがあって、チャリティー活動を行ったり、別の学年(いつの間にか【48年会】なんて出来ているんですね)と対抗試合をやったりしています。今日(1/6)も、40年と48年が対抗ソフトボールをやっていました。

さて、学年別最強世代って、どの学年なんでしょうか?
少なくとも私の学年でないことだけは確かですが(^_^;;;

とりあえず、私が意識した最初の学年、昭和33年生まれから紹介していこうかと思います
この学年は芸能界でも山口百恵等を輩出した学年です
なお、選手は【プロ野球ドラフト全史】を参考に拾っていますので、社会人経由やドラフト外入団選手(現在はありませんが)を取りこぼしている可能性があります。気がついたら、どんどん突っ込んで下さいm(__)m

全学年を紹介しようとすると、途中でイヤになるのが目に見えている(^^ゞので、主だった5~10学年程度にまとめようと思っています。が、リクエストがあれば受け付けますので、お申し付け下さい。
それから…次がいつになるかは未定です(^^ゞ

1958年(昭和33年)4月2日~1959年(昭和34年)4月1日生まれの主な選手
☆酒井圭一(スワローズ):215試合登板6勝12敗4セーブ181奪三振/防御率5.08
☆都裕次郎(ドラゴンズ):243試合登板48勝36敗10セーブ投球回数844.1/507奪三振/防御率3.73
最高勝率1回
☆宇野勝(ドラゴンズ⇒マリーンズ):1802試合6188打数1620安打249二塁打338本塁打936打点78盗塁605四球33死球1306三振/打率.262
本塁打王1回、ベストナイン3回
☆久保康生(バファローズ⇒タイガース⇒バファローズ):550試合登板71勝62敗30セーブ847奪三振/防御率4.32
☆立花義家(ライオンズ⇒タイガース):1149試合3053打数 801安打51本塁打318打点33盗塁475三振/打率.262
☆久保寺雄二(ホークス):770試合2337打数602安打44本塁打239打点52盗塁312三振/打率.258
☆山崎隆造(カープ):1531試合4946打数1404安打218二塁打88本塁打477打点228盗塁217犠打722三振/打率.284
ベストナイン3回、ゴールデングラブ4回

ここまでが高卒でプロ入りした選手です(76年ドラフト)
甲子園でベスト4まで進出した長崎海星高校の酒井投手が『サッシー』の愛称で人気していて、指名順位1番のスワローズがササッと指名しました。故・久保寺さんは甲子園でナマで見ました。ウーやんは全然意識になかったですね。
この76年のドラフト、大学・社会人出身では、スワローズ:梶魔梶間投手、ホエールズ:斉藤明雄投手、ジャイアンツ:角投手・松本外野手、ブレーブス:佐藤投手、オリオンズ:仁科投手、ファイターズ:大宮捕手…などが入団しています。松本5位?福本豊以後5指に入る快速選手が?出来レースですよね、きっと…

この年のドラフト、12球団で成果の無かったのはタイガースだけ…(-_-メ

☆高沢秀昭(オリオンズ⇒カープ):1005試合3278打数932安打95本塁打399打点107盗塁72死球391三振/打率.284
首位打者1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ3回
☆弓岡敬二郎(ブレーブス):1152試合3144打数807安打37本塁打273打点132盗塁240犠打206三振/打率.257
ベストナイン1回、ゴールデングラブ2回
☆高木豊(ホエールズ⇒ファイターズ):1628試合5782打数1716安打316二塁打88本塁打545打点321盗塁747四球816三振/打率.297
盗塁王1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ1回
☆原辰徳(ジャイアンツ):1697試合6012打数1675安打273二塁打382本塁打1093打点70犠飛705四球50死球894三振/打率.279
MVP1回、新人王、打点王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ2回
☆大石大二郎(バファローズ):1892試合6664打数1824安打281二塁打63三塁打148本塁打654打点415盗塁236犠打725四球798三振/打率.274
新人王、盗塁王4回、ベストナイン3回、ゴールデングラブ3回
☆金沢次男(ホエールズ⇒ファイターズ⇒スワローズ⇒マリーンズ):367試合登板60勝70敗 7セーブ投球回数1239/906奪三振/防御率4.21
☆田中幸雄(ファイターズ⇒ドラゴンズ):214試合登板25勝36敗16セーブ投球回数546.1/334奪三振/防御率4.23
ノーヒットノーラン1回
☆辻発彦(ライオンズ⇒スワローズ):1562試合5187打数1462安打217二塁打56本塁打510打点242盗塁152犠打498四球82死球556三振/打率.282
首位打者1回、最高出塁率1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ8回

一人位拾えんか>タイガース
ちなみにタイガースに当てはめると掛布さんと和田の間の世代なのですが、この間の年代で1,000本安打を記録した選手って岡田監督だけなんですよね(多分)。そこそこにレギュラーとしてやったのも平田さんと木戸さん、他には北村さんに吉竹さん(どちらも放出してしまいますが)位。あとは、トレードで集めたベテラン選手のやり繰り。暗黒時代にもなるわな…

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プレイバック~1977.8.20 30年前のゲーム・セリーグ編

続いてセリーグ編

読売ジャイアンツ5-0阪神タイガース(後楽園)50,000人

タイガース
(遊)  藤田
(二)  中村
(三)  掛布
(右)  ラインバック
(一)  ブリーデン
(左)  佐野
 投   益山
打中  桑野
(中)  池辺
 投   谷村
(捕)  片岡
(投)  江本
 左   切通

ジャイアンツ

(中)  柴田
(三)  高田
(一)  王
(左)  張本
走左  二宮
(右)  淡口
(二)  土井
(遊)  河埜
(捕)  吉田
(投)  小林

タイガース:江本●9勝10敗-益山-谷村
ジャイアンツ:小林○13勝5敗
本塁打:G吉田5号

夏場にパタッと打てなくなるのは今に始まったことでないようですね(-_-メ 後にチームメイトとなる小林繁さんに打線は沈黙。江本さんが早々とKOされてしまい、ジャイアンツに完封負けです。

広島東洋カープ16-9大洋ホエールズ(川崎)8,000人

カープ
(右)  ライトル
(三)  衣笠
(一)  水谷
 遊   中尾
(中)  山本浩
(遊)  三村
走遊
一二  木下
(左)  ギャレット
 左   深沢
(二)  大下
 投   土居
(捕)  水沼
 打   内田順
 捕   道原
(投)  高橋里
 打一 高月

ホエールズ
(遊)  山下
(中)  長崎
(右)  高木
(二)  シピン
(一)  松原
(三)  田代
(左)  中塚
(捕)  辻
打捕  伊藤
(投)  斉藤明
 投   杉山
 投   田村
 打   清水
 投   渡辺
 打   若林

カープ:高橋里○12勝9敗-土居
ホエールズ:斉藤明●5勝6敗-杉山-田村-渡辺
本塁打:Cライトル16号 水谷11号 ギャレット24号 高月1号 H長崎12号13号

セリーグで唯一、チーム名が今とまったく違うのがホエールズ、今のベイスターズです。このときはまだ本拠地が川崎球場でした。斉藤明さん以下投手陣がメッタ打ちされて惨敗です。
カープは達川さんとヨシヒコさんが揃えばV2メンバーですね。ライトル&ギャレットは2人揃って活躍した外国人選手として今も忘れられません。ライトルの強肩は脅威やったなー
ホエールズが川崎を本拠地とするのはこの年が最後、翌年からは横浜スタジアムが本拠地となり、川崎はオリオンズの本拠地となります。

☆高橋里志さんと斉藤昭雄さんの勝敗が逆になっていました。ご指摘ありがとうございます>0223さん

中日ドラゴンズ4-3ヤクルトスワローズ(神宮)15,000人

ドラゴンズ
(二)  高木
(捕)  木俣
(左)  井上
 左   藤波
(右)  マーチン
 右   谷木
(三)  大島
(一)  谷沢
(中)  田尾
(遊)  三好
(投)  星野
 投   鈴木孝

スワローズ
(左)  ロジャー
(二)  永尾
(中)  若松
(右)  マニエル
(一)  大杉
(三)  船田
(遊)  渡辺進
 打   山下
 遊   水谷
(捕)  八重樫
(投)  安田
 打   伊勢
 投   井原
 打   杉浦
 投   佐藤
 打   福富
 投   梶間
 投   会田
 打   角

ドラゴンズ:星野○10勝10敗-鈴木孝S6
スワローズ:安田●13勝11敗-井原-佐藤-梶間-会田

『エエ選手が何人もいてるけど、おそらくチームに戻ってくることはないやろなー』という印象のあるドラゴンズメンバー… スワローズは翌年の初Vへ向けて陣容が整った印象です。【安田】【梶魔梶間】と、名前を聞くのもイヤな投手が二人も投げていますね。最後に投げた会田投手はジャイアンツの会田投手のお父さんです。

参考文献:朝日新聞縮刷版

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プレイバック~1977.8.20 30年前のゲーム・パリーグ編

バンビ坂本の記事を書いた際にコピーした新聞に出ている30年前のゲーム
タイガースがダメ虎だった事以外は、自分にとって野球を見ることが一番楽しかった時期かもしれません
30年前、1977年8月20日のゲームはこんなのでした

阪急ブレーブス3-4日本ハムファイターズ(西宮)7,000人

ファイターズ
(三) 富田
(中) 島田
(右) ウイリアムス
(指) 永淵
(捕) 加藤
(左) ミッチェル
 左  服部
(一) 渋谷
 一  小田
(二) 中原全
 打  岡持
 二  山下
(遊) 行沢
 打  千藤
 遊  菅野

ブレーブス
(中) 福本
(左) 大熊
(一) 加藤秀
 遊  渡辺勉
(指) 高井
走指 蓑田
(三) 島谷
(二) マルカーノ
(右) 大橋
 右  ウイリアムス
(捕) 河村
 捕  宇野
 打  大島
 捕  中沢
(遊) 吉沢
打一 藤井
 打  井上
 走  笹本

ファイターズ:三浦○1勝-村上-宮本幸-江田-高橋一S3
ブレーブス:山田●13勝6敗
本塁打:Bウイリアムス12号 加藤秀15号

【日本のベストチーム10傑】に間違いなく入るであろう黄金時代の勇者・ブレーブスですが、山田さんが中盤に捕まってしまいました

ロッテオリオンズ7-3南海ホークス(仙台)18,000人

ホークス
(三) 藤原
(遊) 河埜
(右) 門田
(指) ホプキンス
(捕) 野村
 捕  松本
(一) 柏原
(左) 外山
打左 望月
(二) 桜井
(右) 新井
 打  定岡

オリオンズ
(二)  山崎裕
 遊   千田
(右)  得津
 右   井上
(三)  有藤
(左)  リー
(指)  白
(一)  高橋博
 一   新井
(中)  弘田
 中  岩崎
(捕)  村上
(遊)二 飯塚 

ホークス:藤田●12勝11敗-佐々木
オリオンズ:村田○13勝10敗-安木S2
本塁打:H柏原13号 門田18号

ホークスは若きエース藤田が初回に5点取られてKO。門田・柏原のホームランで追い上げるも遅し。ホークスは野村さん(イーグルス監督)がプレイングマネージャーでしたが、この時点で後期最下位
仙台というのはフルキャスト宮城スタジアムではありません、県営宮城球場です(同じですが)

クラウンライターライオンズ4-6近鉄バファローズ(日生)10,000人

クラウン
(右)  真弓
(二)遊 基
(一)  ハンセン
 走   川村
(左)  土井
(捕)  若菜
(遊)  広瀬
 打   大田
 二   坪井
(指)  竹之内
(三)  山村兄
(中)  ロザリオ

バファローズ
(遊)  石渡
(指)  石山
打指  小川
打指  寺田
(右)  橘
 右   栗橋
 右   佐々木
(三)  羽田
(一)  ジョーンズ
 一   陽田
(二)  阪本
 二   西村
(中)  平野
(左)  島本
(捕)  梨田

ライオンズ:石井●5勝9敗-永射
バファローズ:太田幸○6勝11敗-鈴木-柳田S1
本塁打:B羽田18号・19号 小川2号

バファローズがホームラン2本で石井をKO
西本監督にとって、相手の先発投手はかつてブレーブス時代のローテ投手、自軍のスタメンセカンドは『もう一歩が足らなかったから山田が王にサヨナラホームランを打たれた』と放出した阪本。長くやっていれば色々なしがらみがありますね。
仙台のリーはこの時ロング敗戦処理で投げていた永射投手が【顔も見たくない】投手だと気付いていたのでしょうか?
まだ駆け出しの真弓さん、本職は内野ですが、この日は外野を守っていますね。
また、最近は滅多に見られないアテ馬(偵察メンバー)を、バファローズは二人も使っています。

参考文献:朝日新聞縮刷版

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プレイバック~1977.8.20 15歳エース、決勝のマウンドへ

今年の選抜に【希望枠】で初出場し、一気に決勝まで勝ち進んだ大垣日大。
惜しくも準優勝に終わりましたが、勝ち上がった自信は大きく、選手権も岐阜県予選を勝ち進み、甲子園に駒を進めてきました。
大垣日大の監督は阪口慶三さん。東邦高校で監督として24度甲子園に出場し、優勝1回・準優勝2回の記録を残した名監督です。
教え子は、ジャイアンツの正捕手だった山倉さん、ドラゴンズで中堅投手として活躍した山田喜久夫、一昨日タイガースが煮え湯を飲まされたドラゴンズの朝倉
バッテリーの育成に長けているという印象があります

その阪口監督が初めて進出した甲子園の決勝戦がこのゲームです

1977年8月20日 甲子園球場

劇的幕切れ【優勝アーチ】

東邦    010 000 000 0 |1
東洋大姫路 000 100 000 3 |4

東邦      東洋大姫路
(左)浅井    (二)田村
(遊)佐藤    (中)松田
(捕)大矢    (投)松本
(三)森田    (捕)安井 
(右)立松    (三)春名
(一)井上    (左)平石
(中)古川    (遊)金沢
(二)木戸    (一)山本
(投)坂本    (右)菰方

すばらしい決勝戦だった。東邦・坂本、東洋大姫路・松本と柔と剛の対決で、試合は1-1のまま延長へ。十回、東邦が二死一塁の好機を逃した後、東洋大姫路は一死後田村が1-1からの高めのカーブを左前へ巧打。松田がバントで送り松本に期待をつないだ。しかし、東邦ベンチは松本を敬遠して安井に勝負を挑んだ。
いくらか疲れの見え始めた坂本は、きわどいコースを攻めるのだが決まらず、カウントは1-3。続く5球目、外角高めに直球を配すと、安井は待ち構えたような打法で強振。白球は右翼ラッキーゾーンへ飛び込んだ。劇的なサヨナラ3点本塁打である。豪快な一撃は、坂本の158球目の投球をたたいたものだった。
決勝戦の雰囲気は、お互いに重苦しいものである。準決勝まで無失策を誇った東邦が1回、田村の遊ゴロを佐藤が一塁へ悪送球したり、制球のよい坂本が松田、松本に連続四球を与え、いきなり無死満塁のピンチを招いたのもそれである。東洋大姫路にしてみれば願ってもない好機が早く来たのに、打とう打とうとの意識が強く、硬さもあって強攻策が失敗。
こうしたピンチを脱出した東邦は2回、立松が遊撃強襲安打して二盗、井上のバントで三塁へ進み、古川が一塁手の左を破って先制点を奪った。
一方の東洋大姫路は、一見平凡な坂本の投球に、いつでも打てるという意識過剰からか、高めのボールに手を出したり、大振りが目立った。だが4回、平石が左中間三塁打し、金沢四球の一死一・三塁で打者山本の四球目に三塁走者の離塁が大きいのを見た捕手からの送球を三塁手が後ろへそらす間に、平石が還り同点、試合は白熱してきた。
松本の投球にも力強さが加わり、坂本もようやく自己のペースを掴んで譲らない。東邦に惜しかったのは6回。森田が中前安打、立松が三遊間を破り、井上が四球を選んで無死満塁。しかし、四連投にもめげず松本の左腕はピンチになると燃える。古川を三ゴロ、木戸の1-3からのスクイズを投飛にうちとり、併殺に退けた。並みの投手ではない。しかも、内角ギリギリに食い込む速球は威力がある。東邦にとって惜しまれるのはこのスクイズ。カウント2-3になってからでも遅くなかったと思う。
東洋大姫路がこの大ピンチを脱してからは一進一退のこう着状態。結局、安井の一発が勝負を分けたわけだが、古豪東邦は東海の雄だけに、よく鍛えられていた。
そのユニフォームは純白ですがすがしく、プレーもきびきびしていて、いかにも高校生らしかった。

☆朝日新聞縮刷版より抜粋しました☆

東邦の投手・坂本とは、バンビ坂本です。この記事内には【バンビ】という言葉は見当たらないところを見ると、大会後についた名称なのでしょうか?
坂本佳一・15歳
学制改革後、決勝のマウンドに登ったエースとしては、この時点では最年少だそうです
サヨナラホームランを打たれた後も涙は無く、白い歯がこぼれていました
甲子園のマウンドはこの年だけとなってしまいましたが、30年経った今も【バンビ坂本】の名前は、多くの高校野球ファンの脳裏に残っています

また、安井選手のサヨナラホームラン、決勝戦では初めてのサヨナラホームランでした

東洋大姫路の松本投手は阪急ブレーブスに入団しますが、思ったほどの活躍は出来ませんでした。
他には、星陵・小松投手、智弁学園・山口投手などがプロへ進みます。小松さんは星野さんの後のドラゴンズのエースとして【20】を背負いましたね
プロには進まなかったけど、今治西の三谷投手は早稲田でエースとして活躍しました(うろ覚え)

もう30年前ですねー(遠い目)

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プレイバック~1974.4.6 さわやかイレブン

ライオンズの不適切なスカウト活動に端を発し、【特待生】【野球留学】といった問題がマスコミを賑わすこの頃
今から30年程前、そんな事とはまったく無関係な、ただ野球が好きな少年と監督のチームが四国徳島の山間部から部員数11名で甲子園にやってきました

徳島県立池田高等学校

敗れてさわやか“池田イレブン”

池   田 000 000 010|1
報徳学園 000 001 02×|3

池田
(二)雲本
(中)泉岡
(一)石川
(三)上浦
(遊)富永
(捕)野木
(左)大石
(投)山本
(右)久保

報徳学園
(二)松浦
(三)三砂
(遊)渋谷
(右)西本
(一)牧野
(捕)新田
(中)高井
(左)篠原
(投)住谷
投 東

部員わずか11人という池田は果敢に切り込んだ。試合全体の流れとしてはむしろ池田のほうが先手、先手と攻め、山本の力投で主導権をとっていたかにみえた。5回まで4安打に対し、報徳はわずか1安打。しかも池田は2回と5回いずれも無死で上浦、野木がそれぞれ安打してバントで2進したのをはじめ、3回も2死2塁と押し気味。これに対し報徳は、4回西本が死球で出たのにはじまり、2盗と牧野、新田の連続四球で2死満塁としたが高井が遊ゴロで走者は2封され、5回ようやく初安打が出るという劣勢ぶりだった。
ところが報徳は試合巧者らしく、6回2死後、牧野が中前安打で出ると左打席から新田が左中間2塁打して1塁から一挙に生還。あっという間に先取点を取った。
新田のカウント2-3、池田・山本投手は武器の鋭いシュートで外角をつき凡打させようとしたのだろう。これが真中に入り、ダウンスイングの新田の打球はにぶく左中間に飛んで右から左に吹く風に流され、センターが左に突っ込んだが及ばなかった。
逸機が相次ぐ池田は7回にも無死、上浦がこの日2本目の安打を左前に放ち、追撃に出たところで報徳は果敢にも投手住谷を見限り、左腕・東へとスイッチした。東はこの回をかわしたが、8回久保に四球を与えバントで2進を許した後に泉岡に右前適時打され同点となった。このように競り合うと、報徳はそのシャープなカラーをはっきりと出す。山本の球威が少しにぶってきたかに見えたその裏、まず三砂が左中間2塁打で出ると、渋谷はバントに備えて前進してきた1塁手の横へ鋭くプッシュバント。これが内野安打となって1・3塁。続く西本の鋭い1塁ゴロは1塁手がいったん本塁返球のかまえに移るように見えたが、一瞬ちゅうちょしてベースを踏んだ後バックホームした。これが間に合わずセーフ。牧野は痛烈な右前打を放って渋谷を迎え入れ、左打者の活躍で決定的な2点をものにした。
報徳左打者の密度の濃さはその打率にはあらわれていないが、土屋(銚子商)山根(平安)ら大会一流の投手をつぎつぎに撃破したことになり、その威力は今大会の圧巻といってよかった。
敗れたとはいえ池田はかつて中京商に優勝戦で善戦、やはり少数精鋭(12人)で話題を撒いた土佐の勇姿をほうふつさせる立派な試合ぶりだった。

存分にやった~池田高・蔦文也監督
生徒がみんな思う存分やってくれ、言うことはない。勝敗は別として、ここまで来れたのは生徒が一丸となってやってくれたためだ。今日の試合は、あせってはいかんと思い、じっくり攻めた。同点になった時は延長戦になるかと思った。報徳は都会らしいキビキビしたチーム、特に守備は素晴らしかった。

毎日新聞・1974年4月7日より抜粋しました

私が中学1年の春でした。当時すでに【野球留学】は存在していました。特待生もあったかもしれません。が、11名で甲子園にやってきて決勝まで進んだ山間部の普通の県立高校に、そんなものは無縁だったでしょう。
ただ野球が好き、上手くなりたい、上手くなってたくさん勝ちたい
そういった野球の原点がわずか11名、ベンチ入り人数の上限(当時は14名)にも満たない人数で甲子園にやってきたチームを決勝まで押し上げました
『30年以上前のこと』かもしれません、今とは時代も違います。でも、どんなスポーツであれ、『好き』『上手くなりたい』『たくさん勝ちたい』という原点をみつめて、子供たちがスポーツに取り組んでもらえたらと思います。

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プレイバック~1974.4.3 たった1本のホームラン

このセンバツはボールが変わったこともあってホームランが出ませんね。去年の選手権は何やったの?と思うくらいに。
ホームラン数の話題になると思い出すのがこの大会のこのゲーム。
私が中学校に入学する年の春です。

46回センバツ高校野球第7日目第一試合(2回戦)
銚子商 000 403 000|7
日大三 100 000 100|2


銚子商
(5) 宮内
(9) 若海
H9 筒井
 3 前嶋
(4) 田村
(6) 篠塚
(1)31土屋
(7) 林
(3)19加藤
(2) 太田
(8) 池永

日大三
(8) 海東
(4) 佐竹
(5)95豊田
(3) 牧野
(7) 高橋
(6) 佐藤
(2) 山越
 2 松山
(1)平山
 H 阿部
R5 丸田
H9 福井
(9) 山田
 1 今野

勝:土屋 敗:平山 本塁打:豊田(土屋)

銚子商が土屋の力投と猛打の爆発で、日大三を力でねじ伏せた。
先手を取ったのは日大三。1回2死後、豊田は2-0と追い込まれながら土屋の第3球、外角低目を合わせてゴロで二塁手左を抜いた。これが右中間のド真ん中を破り、豊田は俊足を飛ばしてホームイン、大会第1号のホームランとなった。これでかぜん試合展開はおもしろくなった。
だが、この1点を守るには日大三の先発・平山は力不足だった。2・3回、いずれも先頭打者にヒットを打たれた時はよく後続を凡打に仕留めたが、4回ついに銚子商打線につかまった。
この回銚子は先頭の田村が左越え二塁打。篠塚は遊ゴロに倒れたが、土屋の左前打で1・3塁。この後がすごかった。林の遊撃内野安打に続き、加藤、太田がともに平山投手の初球を狙い打って左前打を連ねてあっさり逆転。池永がスクイズを決めて3点差とした。
平山は球威が無いだけに、力のある銚子商打線に対し、ボールを散らせて慎重にコーナーをつくつもりだったのだろうが、この回はいずれもボール1個分だけ中に集まってしまった。それにしても、好球を見逃さず積極的に打って出た銚子商の速攻は見事だった。

6回に4本の長短打で3点を失い、大きく引き離された日大三は7回、佐竹が中越え3塁打。豊田の右前打で1点を返し、なおも野選やダブルスチールで1死2・3塁とチャンスを広げたが、佐藤の投ゴロで飛び出した走者が2人とも刺されてしまった。土屋投手は連打で動揺しており、ここはじっくり攻めたかっただけに、日大三の焦りが惜しまれる。

☆毎日新聞縮刷版より抜粋しました

この試合で初回に出た豊田選手のランニングホームラン、これがこの大会唯一のホームランでした。つまり、スタンドインのホームランはゼロ。戦後の粗悪なボールを使っていた時期ならいざ知らず、1970年代になってこんな年度があったのですな。豊田さんは明大からドラゴンズに入団、中堅選手として長く活躍されました。確か、【江川キラー】と呼ばれた時期があったような(うろ覚え)。今は何をされているのでしょうかね?
銚子商業の4番打者はジャイアンツでコーチを務める篠塚さん。2年生にして4番抜擢の素質はプロでも遺憾なく発揮されたのはご存知の通りです。エースの土屋投手は1位指名でドラゴンズに入団。故障がちで高校時代の球威は戻らなかったものの、ドラゴンズからオリオンズと中継ぎ投手として息の長い活躍をしました。

大会は報徳学園が【さわやかイレブン】で旋風を巻き起こした池田高校を降して悲願の初優勝を遂げます。甲子園球場のお膝元・西宮市の高校が優勝したのはこれが初めて。
またこの年は、土屋(銚子商⇒ドラゴンズ・オリオンズ)・永川(横浜⇒スワローズ)・定岡(鹿児島実業⇒ジャイアンツ)・工藤(土浦日大⇒タイガース)のオッサン四天王【高校四天王】が話題になりました。

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指定バトン~北海道日本ハムファイターズ

惰性君の所で拾ってきました
よろしければお付き合い下さい

1.最近思う「日本ハムファイターズ」 

北海道へ本拠地を移して3年目、現時点では地元のファンにも受け入れられているようで嬉しいです。ただ、新庄が引退し(ホンマにするんかなー?)、小笠原がFAで出て行ったら(あくまでも噂の域ですが)どうなる?
と考えると、【プレーオフ進出争い】ではなく、優勝争いが出来るチームにならなくては。

幸い、ダブル武田に八木、ダルビッシュと若い投手が次々に出てきているので、彼らを北海道が生んだスター選手とすべく、営業面でのバックアップも欲しいですね。

2.この「日本ハムファイターズには」には感動!!!!

1981.9.7 後楽園 観衆12,000人

南海ホークス 003 000 000|3
ファイターズ 000 000 004x|4
勝:間柴13勝 負:山内孝7勝10敗

ホークス
(三)藤原
(中)新井
(右)タイロン
(指)門田
(一)上田<アテ馬>
打一 山本雅
一 池之上
(左)久保寺
(二)河埜
(遊)定岡
遊 岡
(捕)吉田
【投手】山内孝-水谷
 
ファイターズ
(遊)高代
(二)菅野
(右)クルーズ
(一)柏原
(指)ソレイタ
走指 木村
(左)井上弘
(捕)大宮
(三)古屋
(中)岡持
【投手】間柴

この年の間柴さんは絶好調で、ここまで開幕から12連勝。しかしこの日は立ち上がりから力みが目立ち3回に門田さんに3ランを打たれます。が、これで硬さがほぐれたか後はスイスイと最終回まで投げます。しかし、打線がホークス・山内孝の前に8回まで散発4安打。今シーズン6度もKOされながら打線の援護で黒星を免れていた間柴さんも【黒星】を覚悟したかもしれません。
が、Vを目指すチームの勢いというか運というのは強いもので、9回になって完封を意識したか山内孝が突如乱調。クルーズはストレートのファーボール、柏原さんにぶつけて無死1・2塁。ここでソレイタがツーベースを打ってまず1点。続く井上弘の内野ゴロでさらに1点追加。大宮さんは凡退しますが、続く古屋さんはレフトへ打球を転がして同点。そして、代わった水谷投手から岡持さんのサヨナラタイムリーが飛び出しました。
東映が経営から手を引いて9年、張本・大杉・大下・白・高橋直・新美と主力選手を次々に放出したファイターズに東映フライヤーズ時代から残る数少ない選手だった岡持さんは、地元文京区(後楽園⇒東京ドームの所在地)出身の江戸っ子でした。(参考:朝日新聞縮刷版)

サヨナラのシーンはプロ野球ニュースで見ました。選手がベンチから飛び出し、優勝したような騒ぎだったのを覚えています。

3.直感的「日本ハムファイターズ」

上の記事に書いております81年のファイターズ。
後楽園球場からほど近い学校(大学だったら錚々たる面々なのですが、残念ながら専門学校(^_^ゞ)に通っていましたので、この時期はパリーグの試合をよく見ました。当時のファイターズは左腕王国で、江夏さん、成田さん、高橋一三さん、村上雅さんと100勝サウスポーが4人も在籍しており、ほかにも間柴さんと木田さんがいて、左腕王国絶頂でしたね。

4.好きな「日本ハムファイターズ」

津野と西崎が当たったからか、イケメン投手を集めたがるような傾向がありますね(^_^)
野球と関係ないか(^_^;;;

5.こんな「日本ハムファイターズ」は嫌だ!!!!

柏原さんが出た後小笠原まで、日本人の大黒柱がいなかった事が長い低迷につながっているのかと思います(田中幸は大黒柱ってタイプやないしなー)。小笠原はOBの故・大杉さんや張本さんをほうふつさせる男っぽい選手で好きです。全身から出る『何とかしたるからな』というオーラがたまりませんな。小笠原の後継者を作らないようだと、ファンにもソッポを向かれそう。

6.この世に「日本ハムファイターズ」が無かったら

80年代前半のパリーグには疎くなっていたかも

7.次に回す選りすぐりのエンターテイナー

ここまで来るとかなり【モノ好き】のレベルになってしまいますが、ファイターズへの熱い思いを語りたい方がおられましたら是非お持ち帰り下さいm(_ _)m

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【指定バトン】広島東洋カープ

平日の昼間にこんなことやっててエエんやろか?(^^ゞ

1)最近思う「広島東洋カープ」

タイガースにとって、ジャイアンツと並んで苦手だったカープ。
大野・川口・北別府のローテが予想された日にゃ、やる前から半分負けたような気分だった(-_-;;;
何をどう間違ってこんなに凋落してしまったのか?

最後に優勝した年って、秋山がバク宙した時でしたっけ?
なんか、随分昔だよなー

前田・野村以降、芯のある選手が出てこないですね
昔はウルさそうな選手がゴロゴロおったのに
それも、無名の選手が練習練習また練習で這い上がってきて

2)この「広島東洋カープ」には感動!!!

2つありまして、一つは75年オールスターゲームでの山本浩二・衣笠アベックアーチ連発
これは次長のブログでコメントしたので、もう一つの方を

1992.9.13 東京ドーム
カープ
(遊)野村
(二)山田
(中)前田
(三)江藤
走 河田
右 音
(左)ブラウン
(一)小早川
(右)山崎隆
打 西田
三 高
(捕)達川
(投)北別府
投 石貫
投 佐々岡
投 大野

ジャイアンツ
(二)篠塚
打 大野雄
(遊)川相
走 上田
(中)モスビー
(一)原辰
(右)駒田
(左)吉村
走左 四条
捕 藤田
(三)岡崎
(捕)大久保
捕 吉原
打左 西岡
(投)宮本
打 緒方
投 石毛
打 佐藤洋

カープ 000 010 020|3
ジャイアンツ000 010 000|1

1点リードの5回2死無走者。川相選手の打球はセンター前へ。ダイレクトで捕ろうと思いっきり突っ込んだ前田のグラブに打球は収まらず、外野を転々
好走塁の川相は一気にホームまで生還し、同点に追いつきます。
同点で迎えた8回、1死1塁で打席に入る前田の目には涙。『北別府さんの勝利を消してしまった、申し訳ない』 そんな思いをバットに乗せて石毛の5球目を叩くと、打球はライト上段へ特大の一発。最後は佐々岡-大野とつないで逃げ切ったカープの勝利。

試合後、お立ち台が用意され、ヒーローの前田が上がるはず…
が、前田は現れない
お立ち台拒否
『すいません、何もありません』涙で出ない声を振り絞って、前田は小走りにバスへ

8回の打席に入る前田の悔し涙を見た時、『絶対にこの子は10年レギュラーやれる』って思いました
ケガに苦しみながらも、今期も健在の前田

カープの若い選手たち、『悔しいっ!』って気持ちを持とう
そして、それを力に変えよう

3)直感的「広島東洋カープ」

ライトル-デュプリー-山本浩二の外野トリオ
アレは鉄壁だったなー

4)好きな「広島東洋カープ」

79年のオールスターゲーム第3戦で山本浩二さんがサヨナラホームランを打って勝つのですが、出迎える古葉監督(コーチとして出場)が嬉しそうだったなー。試合中は厳しい表情の多い古葉さんでしたが、嬉しそうな時はホンマに嬉しそうな顔をされますね。

5)こんな「広島東洋カープ」は嫌だ!!!

色々な方がおっしゃられていますが、昨年の後半、土曜日か日曜日のデーゲーム
カープが内野手のエラー連発でタイガースに負けたゲーム
水沼-大下&三村-山本浩二⇒達川-高橋慶&山崎隆-山本浩二
ビシッと芯の通っていたセンターラインは何処へ消えたのか

6)この世に「広島東洋カープ」がなかったら
【猛練習で這い上がって】という言葉はとっくの昔に消えているかもしれない


7)補足

古葉さんは現役時代の晩年にトレードでホークスへ移籍します(69年オフ)
同じ頃、カープを自由契約になった寺岡さんもホークスへ
ここで巡り会ったのが野村さん&ブレイザー
古葉さん・寺岡さんに佐野さんもカープへ

速球・強肩・俊足は野村さんが『プロに入ってからでは絶対に伸ばせない部分』といつも言っておられるセリフ
カープの黄金時代に多少なりともホークススピリッツは影響があったのではないかと推測します

8)次に回す選りすぐりのエンターテイナー

これはしんどかった<