おつかれさま、カープ・前田智徳外野手

【前田】というと一般の方だったら【敦子】、多くの野球ファンは【健太】かもしれません。が、【前田】といえば【智徳】です。【とものり】の変換候補1位は【智徳】です。

カープの前田智徳外野手が、今シーズン限りでの現役引退を発表しました。4月23日のスワローズ戦で江村から受けた死球による骨折からの回復が思うように行かず、引退を決意したようです。

前田智 引退決断はここ1カ月 球団慰留も「今回は無理かなと」

Continue reading "おつかれさま、カープ・前田智徳外野手"

| | Comments (43) | TrackBack (0)

おめでとうシーズン最多本塁打記録達成 スワローズ・バレンティン選手

台風18号が日本に大きな被害をもたらした9月15日、スワローズのバレンティン選手が56号本塁打をタイガースの榎田投手から打ち、元ジャイアンツ・王貞治さんらの持つシーズン最多本塁打記録を更新しました。

王さん記録一気に抜いた!バレ56&57号連発アジア新

Continue reading "おめでとうシーズン最多本塁打記録達成 スワローズ・バレンティン選手"

| | Comments (11) | TrackBack (0)

おめでとう通算2,000本安打、ベイスターズ・ラミレス外野手

ベイスターズのラミレス外野手が6日のスワローズ戦(神宮)で、プロ通算2,000本安打を記録しました。史上42人目で、外国人選手としては初めての立派な記録です。また、2,000本までに要した試合数は1,696試合ですが、これは川上哲治さんの1,646試合につぐ歴代2位の素晴らしい記録です。

ちなみに、外国人選手で1,000本以上のヒットを打った選手は2013年4月6日現在で11人。さて、誰でしょうか?

Continue reading "おめでとう通算2,000本安打、ベイスターズ・ラミレス外野手"

| | Comments (4058) | TrackBack (0)

1試合最多奪三振

神奈川県代表・桐光学園の松井投手が1試合22奪三振の選手権新記録を達成しました

大会新22K!桐光学園 2年生左腕・松井が奪三振ショー

Continue reading "1試合最多奪三振"

| | Comments (51) | TrackBack (1)

平成24年 野球殿堂入り決定

平成24年 野球殿堂入りされる方が発表されました。

同世代(西暦・和暦両方で)生まれが殿堂入りするんや(しみじみ)

Continue reading "平成24年 野球殿堂入り決定"

| | Comments (15) | TrackBack (0)

プロ野球志望届

2004年から、従来の【退部届】に代わって【プロ野球志望届】提出が交渉条件になったようですね。

で、今年の【プロ志望届】提出者(9/26現在)

選手権で優勝した日大三や智弁和歌山から一人も提出者がいないのは、【集団事前交渉】でもやっているんでしょうかね?coldsweats01

選手権前から注目していた注目していた投手の名前がかなり見られますね。ただ、金沢の釜田君の名前が見当たらないのですが…

高卒即プロ入りしても、早い時期に出てきそうな気がする逸材、ぜひプロに来てもらいたいですね。

野球で全く名前を聞かない高校の選手が志望届を提出しているのは、『下位だけど指名するかもしれない、志望届を出してもらえないだろうか』とプロ側から声がかかったって事なんですかね?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2冊目無事購入~プロ野球データファイル(2号)

『忘れずに買えるか?』という低次元な課題を抱えつつcoldsweats01買い始めたプロ野球データファイル、2号を無事購入しました

Dsc_0848  Dsc_0849_2 
【名選手】は江夏さん・中畑さん・高木豊さん・津田さん・広沢・稲葉・ジョニー黒木、そしてイチローに田中マー君です。

Dsc_0850_2
【名勝負】は蘇るクロマティーの悪夢…やなくthinkて、辻さんの好走塁と清原の涙が忘れられない87年日本シリーズ第6戦。

Dsc_0851
【同世代ファイル】では【松坂世代】、【都道府県別出身校ファイル】では【南神奈川】を紹介しています。
【同世代】では、1965年・73年・58年・55年・53年あたりに好選手が多い気がしますが、どうでしょうかね?
【地域別】、横浜高校は60人もプロに送り込んでいるんですね。松坂・成瀬・涌井と、卒業後スグ使える投手を多く出しているのが印象的です。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

尾藤監督追悼~プレイバック1968.3.29 第一歩

箕島高等学校を率いて甲子園で4回優勝(そのうち79年は公立高校唯一の春夏連続優勝)された尾藤公さんが、先月帰らぬ人となられました。
しかし、箕島高校の全盛期は、今から30年以上前。20代・30代のファンの方には【いつもニコニコしてる高校野球の解説の方】という印象しかないかもしれません。

そこで、主だったゲームをプレイバックしていこうと思います。
まずは【甲子園初勝利】です。

苫小牧の先制及ばず 箕島 強力打線ですぐ逆転

苫小牧東 100 001 000 |2
箕  島  300 101 00X |5
苫小牧東:熊沢・畑山-山口  箕島:東尾-田中
本塁打:東尾

苫小牧東
(7)  漆沢
(4)  牛崎
(8)1 畑山
(1)8 熊沢
(9)  木戸
(2)  山口
(3)  木村
(6)  貝田
(7)  藤原

箕島
(6)  鳥羽
(7)  狗巻
(4)  大田
(9)  上田
(1)  東尾
(3)  木村
(5)  野際
(2)  田中
(8)  前野

 二試合連続無安打無得点試合の投手か…スタンドの目をマウンド上で一身にうけた箕島の東尾。堅くなったのだろう。立ち上がりは右肩に力がはいりすぎて、ボールが低めに決まらない。そこへ、苫小牧の脚力を生かした攻勢が加わったから、東尾はますます力んでしまった。
 四球の漆沢に盗塁を許して一死を取り、しかも畑山を2-0と追い込みながらも勝負を急いで左翼線に二塁打された。早々と一転を許した東尾は制球力が無く、自分のピッチングを忘れていた。しかし、不安定な投球を続ける東尾を助けたのは、パンチ力を誇る箕島の強力打線だった。
 箕島の打線は実に力強い。一回、鳥羽が三遊間を破って二死三塁のあと、上田、東尾、木村が連続長短打を放ってまたたく間に逆転。外角へのカーブを上手く巻き込んだ東尾の左中間安打をはさみ、上田、木村が力のバッティングをみせつけた。さらに四回、東尾が左翼へ大会第三号本塁打。六回には木村の二塁打を足場に加点するなど、初出場校とは思えないほどのびのびとした見事な攻撃力だった。
 苫小牧東はチャンスをつかむと果敢な走塁などで東尾を苦しめたが、あと一歩の打力が足らなかった。雪に閉ざされて打撃練習が十分に出来ない不利が現れており、ナイトゲームに入った六回二死から山口、木村の連安打で1点を返すのが精いっぱいのようだった。
 しかし、二回の守りで三遊間の深い当たりをさばいた漆沢三塁手のプレーなど、守備と走塁はよく鍛えられており、存分に力を出し切り、最後まで食い下がった健闘は見事だった。

毎日新聞縮刷版より抜粋・転記しました

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

長年にわたって箕島高校の監督を務め、その後も高校野球の発展に尽力された故・尾藤監督の甲子園での記念すべき初出場・初勝利の試合がこの試合でした。
私は小学校1年生、まだ【高校野球】というものすら知りませんでした。高校野球を認識するのは、翌年の三沢-松山商業の延長18回引き分け再試合からです。

この年の箕島は高知商業・広陵という強豪校を破って初出場ながらベスト4に進出し、優勝した大宮工に3-5で敗れました。

箕島の投手・東尾は、説明するまでもなくライオンズで活躍した東尾修さんです。
この年のドラフト1位でライオンズに入団。しかし、【黒い霧事件】にチームは多くの選手が処分を受けてチーム力は大幅に低下。『みんないなくなって、まだ一軍の試合で勝てるような力が付いていない若いぼくでも、投げていかなければならない状況になった。打たれつづけ、負けつづけ、その中から若いなりに体がピッチングのコツというものを覚えていったんですよ』というのは、後の東尾さんのコメントです。ライオンズの経営が西武に移って強くなり、ようやく白星が黒星を逆転、251勝247敗の記録を残して引退します。

記事中に【箕島の打線は実に力強い】という表現があります。しかし、プロに入団後に強打者として大活躍という選手は、箕島高校からは現れませんでした。いや、甲子園での優勝回数を考えれば少ない方でしょう。
しかし、選手一人一人が自身の実力・立場・状況をわきまえて、しぶとく食い下がるという歴代のチームカラーはこの試合で作られつつあったのかと感じました。

大会に出場した高校では、中京・水谷投手(ドラゴンズ⇒オリオンズ、476試合登板108勝111敗)、市立神港・山口高志投手(ブレーブス、195試合登板50勝43敗44S、新人王・最優秀救援投手)、土肥健二(オリオンズ、897試合497安打44本塁打)といった選手がプロで実績を残しています。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

買ってもた~プロ野球データファイル

これですな
週べで結構宣伝していたので、ご存知の方もおられると思いますが

Dsc_0771
毎週発売される冊子をジャンルごとに切り離してバインダーにファイリングすることで、一冊のプロ野球百科事典が出来るような仕組みです。

予算的に厳しく、年間購読は断念したので、毎週書店へ行かなければならないのですが、そこをクリア出来るかどうかcoldsweats01

【1試合でも1軍の試合に出場した選手6,000人の選手名鑑】は、期待していたupwardrightのですが少々役不足かなdownwardright
Dsc_0770

ただ、【名選手ファイル】は様々なエピソードも取り上げていて楽しめます。
ある選手を例にとると
“ボークの規制が厳しくなってリズムを崩し力が落ちてしまった”“ドラフトで指名された球団3つ全てにトレードで移籍した”“そして、その3球団全てで優勝を経験した”
わかりますよね、阿波野です。
Dsc_0769

さて、選手名鑑のトップは誰でしょうか?


ヒント1:阿井英二郎ではありません
ヒント2:20代・30代の方には厳しいかなー
ヒント3:プロ野球史上に残る名場面に出場しています
*オッサンファイヴにはストライクゾーンど真ん中な問題ですscissors

てな具合に、かなり遊べそうな気はします

| | Comments (18) | TrackBack (0)

訃報~尾藤公さん死去

訃報って、続く時は続きますね

エラーをしても、打ちこまれても、チャンスに三振しても、いつも教え子笑顔で迎えた監督
40代以上の高校野球ファンだったら名前を知らない人はほぼ皆無、和歌山県立箕島高校の元監督・尾藤公(びとう ただし)さんが、6日午前3時37分、ぼうこう移行上皮がんのため亡くなられました。68歳でした。

オッサンファイヴがこの世に全員揃った1966年、尾藤さんは箕島高校の監督に就任されます。
2年後の68年、後にプロで250勝投手となる東尾修投手を擁してセンバツに初出場。苫小牧東・高知商業・広陵を降してベスト4まで進出しました。

その2年後、プロ入り後は野手に転向してホークス・バファローズで中堅外野手として活躍した島本講平投手がエースで4番として活躍。箕島高校は初優勝します。
その後、センバツは77年と79年、選手権は79年に優勝、黄金時代を築きました。

特に79年はセンバツで牛島・香川の浪商を降して優勝し、選手権にも進出。3回戦の星稜高校戦で、球史に残る名勝負を演じます。
今でこそ、松井秀喜をはじめ、村松や山本省吾など多くの選手をプロに送り込む星稜高校も、この時はまだ新興勢力。その星稜が横綱・箕島相手に有利に試合を展開。
しかし、勝ちこされては追いつき、勝ちこされては追いつき、延長18回に上野選手のタイムリーでサヨナラ勝ちを収めます。

プレイバック~1979.08.16 死闘18回 星稜vs箕島

勢いに乗った箕島は、その後城西・横浜商業・池田を降して優勝、センバツと合わせて春夏連続優勝となりました。
私が高校3年生の年で、卒業アルバムにも【高校野球 箕島が春夏連覇】と写真が出ています。
(春夏連続優勝は62年の作新学院から昨年の興南まで6チームが記録していますが、公立高校は箕島だけ)
プロに送り込んだ主な選手は、東尾さん・島本さんの他にも多数
ドラゴンズで左の内野手として82年Vに貢献した上川誠二 さん
私の学年の優勝バッテリー、石井毅(ライオンズ)・嶋田宗彦(タイガース)
バファローズ・スワローズ・メッツなどで活躍し、投手コーチとしてファイターズを支える吉井理人など

昨年、星稜vs箕島の親善試合が行われた際も、闘病中だった尾藤さんは車椅子で参加されていました。

伝説の延長18回…星稜・山下総監督「残念と言うほかない」

私が高校在学中の高校野球は【近畿の時代】。3年時は箕島が春夏V、2年時はPL学園が選手権V(カープで代打として活躍した西田・タイガース85年V捕手木戸のバッテリー)、1年時はセンバツが箕島V(決勝で下した中村高校のエースが山沖之彦さん)、選手権が東洋大姫路V(決勝戦の相手・東邦のエースがバンビ坂本)。その【近畿の時代】に3度優勝した箕島を率いたのが尾藤さんでした。

これからは、天国でのんびりと野球を楽しんで下さい。
ご冥福をお祈り申し上げます。

| | Comments (16) | TrackBack (1)

より以前の記事一覧